叔父さんは森けい二九段

将棋世界1991年11月号、「棋士交遊アルバム 森けい二九段&玉海力」より。

 若貴ブームで大相撲が人気を集めているが、森九段のオイの玉海力が秋場所で待望の新入幕を果たした。

 玉海力(たまかいりき)。片男波部屋、東京都出身、25歳、本名、河辺幸男。

森「姉の啓子の息子で、子供の頃から太っていたな。とにかくよく食べるんだ。中学生の時に部屋からスカウトされ、初土俵を踏む前に部屋に住み込んだ。姉の家は食費が助かって、ホッとしたんじゃないかな(笑)」

玉海力「将棋は指しますよ。新弟子の頃は先輩とよくやりました。テレビも見ます」

 片男波部屋は横綱玉の海を出した名門であるが、最近は関取が二人だけでややさびしい。全盛時は60人いた弟子が、現在は10人だけである。兄弟子の玉竜以外は三段目以下で、稽古はもっぱら胸を貸す方だ。自分の稽古はよその部屋へ出かけてする。

玉海力「九重、佐渡ヶ嶽、押尾川あたりに行きますね。でも他の部屋とは、遠慮があってやりづらい」

 185センチ、139キロの身体は、関取のなかで決して大きい方ではない。だがキビキビした動きと差し身の鋭さで幕内力士になった。

 秋場所は西前頭15枚目だった。森九段は「勝ち越して幕に残れよ」と激励した。だが場所前の稽古で右足を捻挫、さらに5日目の両国戦で左ヒザを痛めて、途中休場のやむなきに至った。休場は初土俵以来、初めてという。

 負傷休場で来場所は十両へ逆もどりとなった。だがケガを直し、オジさんの森九段ばりのガッツを出せば、再入幕はそう遠くはないだろう。玉海力の土俵上の勇姿を、また見ることを期待しよう。

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玉海力は1966年生まれ。得意技は怪力を活かした右四つ、上手投げ。

対談の時には十両へ落ちることが決まっていたが、4場所後には幕内に復活。最高位は前頭8枚目。

1993年5月場所で右手親指を骨折したことが後々影響して、1995年11月に引退している。

引退後は、1996年10月に実家近くの渋谷区広尾に「どすこい酒場 ちゃんこ玉海力」をオープンし、現在では、広尾本店、武蔵小山店、銀座店、中国青島店、中国上海店を構えるに至っている。

どすこい酒場 ちゃんこ玉海力

また、2004年から2年間PRIDEに参戦し3試合を戦っている。

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「どすこい酒場 ちゃんこ玉海力」のホームページの河邉幸男社長(玉海力)の「企業理念を生んだ背景」で書かれていることが、経営理念や人材育成に筋が一本しっかりと通っていて非常に説得力がある。

力士を廃業してゼロから出発し、5店舗を持つ株式会社へと発展させたのだから、並大抵の努力ではなかったと思う。

ぜひ一度、行ってみたい店だ。

玉海力 社長ブログ