近代将棋1993年2月号、深浦康市四段(当時)のオールスター勝抜戦〔深浦康市四段-羽生善治王座・棋王〕自戦記「山麓にて」より。
自戦記の依頼が来た。
最近の対局から一局を選んでくれ、との事。
まず11月4日のC級2組順位戦、対中川五段戦が思い浮かんだが、慣れない振り飛車穴熊で指し手がぎこちなく、書く事をやめる事にした。
他にも何局かピックアップしてみたが、どれも納得のいかない将棋ばかりで今ひとつだった。早くどの将棋を選んでも、自信を持って見せられる様になりたいと思う。
今期はこれまで19勝6敗。順調ではあるが、一流棋士と呼ばれる人達との対戦は少なく、しかも勢いだけで勝っているという感じだ。内容もいい加減な所が多い。
まだまだ未熟な自分ではあるが、この一局を紹介したい。
(中略)
この一局は私にとって、タイトル保持者との初対局になる。
オールスター勝抜戦は上記陣と下位陣にわかれて行われる。羽生王座・棋王はタイトル保持者として上位陣から、私は新四段として下位陣から、顔を合わせる事になった。
この対局が決まった時は嬉しかった。将棋界のトップクラスの実力がわかるのである。
勝負としてはとてもかなわないだろう。しかしこの一局によって、自分がこれからどうすればいいのか、どうすれば山頂に一歩でも近づけるのかわかると思う。山の形、高さを知らなければ、初めの一歩は踏み出せない。
(中略)
羽生王座は今、竜王戦を戦っており、昨日の25日にロンドンから帰ってきたそうだ。そのため、この対局も午後1時からになっている。
やや疲れている様な感じの羽生王座だが、気は凛々と満ちており、それを肌で感じた。恐らく谷川竜王との竜王戦の事で頭がいっぱいなのだろうとも、ぼんやり思った。
(中略)
現在、サッカーに凝っている。1年半程前に社会人の人達と結成したチームと、連盟サッカー部、2つのチームに入っている。連盟サッカー部の方は棋士、奨励会員、女流棋士で結成した。中田(宏)六段、中川五段、先崎五段、船戸女流初段などが主なメンバー。基本的な体力などは他のチームにもひけをとらないが、個人プレーに走るのがいかにも棋士らしい。国立競技場に日本一近いサッカーチームではないかと、ひそかに自負している。(日本一弱いチームかもしれないが・・・)両方のチームとも、サークル感覚で楽しんでいる。
局面の方では、いよいよ戦いが始まった。
(中略)
本譜は妥当な所、と思い進めていたが、似たような実戦例がある事を局後に羽生王座に教わった。
▲1三桂成の所で▲3三桂成△同銀▲4五銀△4四歩と進めば、手順こそ違うが中原-南戦と同一局面。
以下▲3四銀△同銀▲4六桂と進んだが、▲5四銀という手もありそうだし、とにかくこの変化を選ぶべきだった。
それにしても羽生王座は何でも知っている。
中原-南戦の指された時期まで、ピタリと言い当てたのには驚かされた。自分の勉強不足を思い知らされた。
本譜は薄い端を攻めて勝負だと思ったのだが・・・。
▲1三歩成が敗着だった。
(中略)
この一局は、大変意義のあるものだったと思う。羽生王座の手を広げる指し方は勉強になった。必ず弱い方が間違えるわけだ。
羽生王座はこの一局に自分の力の半分も出していないだろう。今はそれを素直に認めたい。
ただし、全てはこれからである。頑張りたい。
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深浦康市九段が四段になってほぼ1年経った頃に書かれた自戦記。
今読むと、非常に感慨深い思いになる。
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9月にあった将棋ペンクラブ幹事会終了後の飲み会での会話。
私は8月に副鼻腔炎と鼻中隔湾曲症の手術で東京逓信病院に8泊9日の入院をしていたのだが、医師も看護師さんも素晴らしく、もっと入院をしていたいという思いにとらわれてしまうほどだった。私にとってはほとんど初めての入院。
私「看護師さんが優しくて、私が若い頃なら惚れていたかもしれませんね」
三上さん「僕も若い頃1ヵ月ほど入院したことがあったけど、その時の看護師さんには本当に憧れましたねえ」
荒幡さん「僕も入院した時、看護師さんのファンになっちゃいました」
そこから、いかに看護師さんが素晴らしいかという話になったのだが、私が一つのことに気がついた。
私「しかし・・・、バトルロイヤル風間さんも、週刊将棋元編集長のOさんも、湯川博士・恵子さんのご長男も、みな看護師さんと結婚していますが、それは患者と看護師という関係で知り合ったのではなく、全く外の世界で付き合いが始まっていますね・・・」
私たち3人の表情がやや暗くなった。
やはり看護師さんは、患者にとっては天上にいる白衣の天使なのか・・・
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ところが、よくよく考えてみると、深浦康市九段が奥様との馴れ初めが病院。
深浦康市五段(当時)が入院した時に、看護師だった奥様と知り合った。
まさしく患者と看護師さんの関係だった。
そういう意味では、非常な快挙だ。