将棋世界1992年10月号、写真家の弦巻勝さんの大山名人の想い出・追悼文「オレの知っている名人」より。
=タイトル戦=
名人宿に着く、支配人がかけつける。
鞄を持とうとするが断る。自分の部屋の位置を知ると、非常口の確認にまず動く。たまたまこの非常口に鍵が掛かっていることがあった。この時は周りにいてもオレはおっかなかった。
これ以後、このタイトル戦の3日間名人がガン飛ばしただけで、支配人はスピーディーに言いつけられた仕事をこなしていた。
=関西将棋会館の寄附金集め=
タクシーで廻った。リストに書かれた社名を廻る。ずいぶん廻ったので昼食かと考えた。時計をチラリと見た名人、約束のない隣の社名を見、中に入る。
「将棋の大山です」社長の名前をスラスラと受付に語る。いつもこれですべてが通る。広報に案内される。社長不在、名人「会えなくてもともとだもんねっ」と、その時は広報に直筆ではなく印刷の方の扇子を数本渡していた。
次の日も同じ行動、昼食の時間はたぶんない。カメラバッグにみかんをいっぱいつめて参加した。
タクシーの中で名人はけっこうみかんを食べた。オレ、日吉丸の心境・
=講演=
広島の自動車メーカーで講演、ついて行った。まず社のPR用の映画を見せられる。始まるやいなや係の者に聞いた。
「この会社の一番いい所はどこなの・・・聞けばわかるんだから・・・」映画も見学もはしょった。しかし社のエライ人達との語らいの時間は多くとった。
すべてが終わりハイヤー内。
「あんたこの会社いい会社と思う・・・?」 「うしろ見てごらん・・・見送りの社員が我々のハイヤーの見えなくなる前にビル内に入れば悪い会社」と名人。
「みんな下を向いてお辞儀をしていますよっ」 「名人、車の窓をくるくる回してあいさつすればこちら側いい人、オレはそう思います」
「そうねっ」と名人。せいいっぱいのオレのナマイキ。
その日、ヘルメット姿のかわいい名人が撮れた。
=タイトル戦、地方にて=
「あんた5時に起こして、タクシー5時10分に呼んでおいて、仲居さんに言っておきなさい」
「名人、朝ですよ・・・」タクシーは来ていない。「あんたタクシー言っておいたの・・・?」 「ハイ・・・?」
「こっちは言葉が違うんだから仲居さんに紙に書いて渡さなければ分からないじゃない。証拠も残んないのよ・・・」
=タイトル戦のマージャン=
「あんた写真撮ったら用ないんだから、将棋研究してもなんにもなんないのよっ。マージャンしなさいなっ」
オレのうしろで見ている名人、オレはいつも負けている。
「あんたその牌切りなさんな、すぐくっつくから・・・」 「・・・?」 場に2枚出ている発をだいじにしろという。流局、となりの人けっこう高い手を発でテンパイしていた。
記録係が指し手を知らせに来た。
名人「ここで考えてもいっしょよっ」と立ち上がって対局室に向かった。
=色紙=
宮崎での将棋の会だったか・・・色紙を書く名人、オレ判をおす係。
「あんたがやっても判をおすのは同じ、そっちにたまっているのを早くおしなさいなっ」 オレが判をおすのと名人が書くのとスピードはそれほど変わらない。
なんだかオレはせんべいを焼いているような気分になった。
帰りに名人からお礼だと言ってハニワ人形の大きいのをいただいた。我家の玄関にまだある。
=メガネ=
「あんたメガネ変えたの・・・」 「ハイ」 それほど前のと変わらないが少し色がついている。
「メガネはねぇ、ちゃんと考えるとこういうメガネになるのよっ」 自分のまん丸いメガネを左手ですこしもち上げた。
オレは大山名人の合理主義からすごく学んだ。時にはモーツァルトを聞きたくなることもあった。子供の頃、オレは歴史上の人物を親にずいぶん読まされた。そして子供ながらにその歴史上の人物に会って話を聞きたいと夢に見た人も多い。
今自分が生きている大山康晴にかなり身近に会えたことに胸がふるえる。
葬儀の写真はオレが撮影した写真をえらんでもらった。ありがたい仕事をさせてもらったと心から思う。
なんだかもう一回名人とマージャンができそうな気がしている。
「あんたそのタバコ、灰皿におかないで口においておきなさいなっ、口に」
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弦巻さんらしい視点と文章。
弦巻さんが文章を発表することは少ないが、どれもが印象的で味わい深いなものばかり。
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大山康晴十五世名人が話した言葉を弦巻さんは忠実に再現しているわけだが、大山十五世名人は、決してテレビドラマ『半沢直樹』に出てきた黒崎主任検査官のようなタイプの人ではない。
「~なさいよ」など、語尾に”よ”と付けるのが大山流だった。
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