B型ばかりの対局室

将棋世界1991年12月号、神吉宏充五段(当時)の「対局室25時 大阪」より。

 激闘の余韻が覚めやらぬ10月15日、火曜日。自分もあんな将棋が指したいものだと思いつつ、4階の対局室に。部屋に入ると対戦相手の森(信)五段と隣で対局の伊藤(博)五段、平藤四段がすでに来ていた。森が駒を出す。そしてこう叫ぶ「何やこの駒は!わしの一番嫌いな駒なんや」

 確かにその駒は小振りで、歩なんか摘むのに苦労する。私もちょっと使いにくいなあと思っていたが、森「駒代えてくれ。神吉君、ええやろ」で駒交換。

 「森先生、いつもこの駒が当たったら代えてもらうんですか?」

 「いや、初めて言うたんや。いつもは相手に怒られると思て言わへんねんけど、神吉先生やったらええと思てなあ」

 新しい駒を記録係が摘んで振り駒。と金が3枚で私の先手。定刻になる。

 「それでは時間になりましたので、森先生の先手でお願いします」

 「何でや!」

 記録係の言い間違いで慌てたが、ピシリと初手を指した時にフッとある疑問が浮かんだ。「これでもし森さんが間違えて指してもたらどないなんねやろ?」

 「反則負けやろか」「そのまま進むんちゃうやろか」などとちょっとした議論を展開する。でもこんな事はもうあるわけないやろからと笑って済まそうとした時、ポツリと伊藤が言った。「ボク、やった事があんねん」 一同「え~」

 「奨励会の時記録係で大山-有吉戦を取った事があんねん。十段戦のリーグ戦で、先後が決まってたから、有吉先生の先手番でお願いしますって言うてん。ほんなら大山先生が『ん、僕の先手番じゃないの』言いはるから、いえ有吉先生の先手番ですと自信満々に言うてん。それでもまだ大山先生納得いかんかったみたいで『君、1回事務所行って確認してきて』そう言われたんで見に行って、再度、間違いありません、有吉先生の先番です。そこまで言われたらしょうがないと思たんかなあ。大山先生、シブシブ指しはって昼まで局面が進んでん」

 「それで」

 「昼休みに大山先生が事務所に入って『君、ちょっとこっちへ』って呼ばれて、リーグ表の前で『今日はこの対局だよね。これ、どっちが先手番?』それでよく見て答えてん。ハイ! 大山先生の先手です」

 「ドヒャー!・・・・・・それでどないしたん、指し直しか反則負けになるん?」

 「いや、そのまま指し継いでんけどな。当時の十段リーグは総当りの先後2回当たる事になっとたから、その将棋は後半の有吉-大山戦という事にしてくれはってん。いやあ、大山先生はええ先生や」

 「それはええとして、何で伊藤君事務所に見に行って確認したのに間違うてん。そっちの方が不思議やで」

 「昔、ボクちっちゃかったから、表の下の所しか見えへんなんでん。ん、これ書くの?・・・いやあ何度も言うようやけど、大山先生はええ先生や」

 内藤九段が部屋に現れた。九段は郷田四段と5階の対局室で棋聖戦を戦っている。「今日は大きな一番ですね」

 「おう、相手が動かんねや。なんぼ考えても平気っちゅうから困るわ」

 「それでも持ち時間切れたら秒読みになるからええんとちゃいますか」

 「ところが秒読みがまた強いときてるからエライこっちゃで。この部屋はにぎやかそうやなあ」

 「はい、何といっても全員B型ですから」

 「そうか。B型はわし苦手なんや。この前も雑誌の取材でB型の女性がインタビューでな、先生は結構苦労なさってるんでしょうとか、かなり大変だったんですねって、結構とか、かなりという言葉を連発するんや。相手の質問に、いやあ大変でしたよなんて、こちらが使うもんやのに。まった日本語が乱れとるで」 ”結構かなり”大変な内藤先生のようだが、郷田との勝負も苦しい局面の連続だった。

(中略)

 4階の対局室は相変わらずにぎやかである。伊藤が株の話を始めた。

 「この前有森君が対局中にボクの横に座ってな『伊藤クン、株の調子はどうなんですか』 絶好調やで!って言うたら、『本当のところはどうなんですか』 それから押問答みたいになって、結局ソンした言うまでしつこく聞きよんねん。それを聞くと『そうですか、損してますかダダダ』って笑いながら去って行きよって・・・何が言いたかったんやろ・・・。ところで森先生、将世の付録のスーパートリック良かったですねえ。また本出すんですか」

 森「まだわからんけどなあ」

 伊藤はじっと森を見る。「儲かる思てんのか。なんや!その嫉妬の目は。それより伊藤君30過ぎてんねんやろ。その年でその成績はヒドイな」

 「あー、人が気にしてんのに。でも将棋を指す喜びがわかってきたからええんですよ、なあ平藤君」

 「ええ、いえ・・・」海千山千の伊藤の口攻撃に、新四段の平藤はかなり指し辛かったのではなかろうか。そう思ったが、彼もB型なので気にしていなかった様子。

(以下略)

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B型だけの対局室、とても楽しそうだ。

話の中に出てくる大山康晴十五世名人もB型。

内藤國雄九段の「B型はわし苦手なんや」というのは、その辺にもかかっているのかもしれない。

ちなみに、中原誠十六世名人もB型。

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この当時の関西では、淡路仁茂九段、酒井順吉七段、東和男七段、神崎健二七段もB型。

現在の関西勢ならば、中田功七段、豊島将之七段、増田裕司六段、糸谷哲郎六段なども加わることになる。

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東京でB型だけの対局室を再現しようとすると、

森けい二九段、田中寅彦九段、島朗九段、塚田泰明九段、屋敷伸之九段、豊川孝弘七段、北浜健介七段、松尾歩七段、中村太地六段などの登場となる。

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森信雄七段は、児玉孝一七段と伊藤博文六段との忘年会が毎年の恒例となっている。

麻雀→鶴橋で焼き肉→甘味喫茶

という定跡。

★鶴橋にて忘年会 12,18水曜日(森信雄の日々あれこれ日記)

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仕事でB型の人が上司だったことが何度もあるけれども、AB型の私にとっていずれも非常にやりやすかった思い出がある。

一緒に住んだ女性もB型だった。

これは後になって知ることになるのだが、私が高校生時代にファンだった浅田美代子さん、岸本加世子さん、1985年前後にファンだった菊池桃子さん、斉藤由貴さんも皆B型。

そう考えると、森信雄七段(B型)と故・村山聖九段(AB型)の師弟関係は、村山聖九段にとってとても居心地の良い環境だったのだろうなとあらためて思うのである。