昨日のA級順位戦、深浦康市九段-屋敷伸之九段戦で屋敷九段が勝ち、勝ち数の関係から、谷川浩司九段のB級1組への陥落が決まった。
勝負の世界なので、いつかはこういう時がやってくる・・・
将棋世界2000年5月号、河口俊彦六段(当時)の第58期順位戦最終局レポートA級「静かなる幕切れ」より。
新年早々のA級順位戦で谷川棋聖が丸山八段に負けたとき、これはえらいことになった、と思った。なにしろ、中原、谷川の永世名人が2勝で最下位。もし永世名人がそろって落ちたりしたら、どうなるのだろう。「谷川さんは降級するようなことになったら考える、と言ってましたよ」などと、ほとんどデマに違いないような話も耳に入って来た。
そもそも今期のA級順位戦は秋のころから変だった。21連敗と絶不調だった加藤一二三九段が、櫛田五段に勝って連敗を止めるや俄に活気づき、順位戦で3連勝した。それも、対田中戦、対羽生戦は詰まされていたのを逃れる、という奇跡的な勝ち方だった。
今だから言えるのだが、加藤さんが序盤で3連敗したときは、今期は助からないだろう、とみんな思った。それが3連勝で息を吹き返した。ここで慌てた面々も多かったはずである。そこへ、谷川、郷田と予想外の不調が重なり、訳のわからないことになったのだった。
と、このあいだ書いたことのくり返しみたいになったが、それもこれも、すべてが終わった今となっては、あっけないような出来事に思える。それはあれだけ騒がれながら、何も起こらなかった2000年問題と同じようなものだった。
A級順位戦の結末は、テレビ中継もあったし、各紙で伝えられたから、すでにご存知であろう。中原永世十段の降級は、たしかに大事件だが、それも、引退したらの話で、来年B級1組で指す、と言うのなら、さしたることではない。もしすぐA級に戻れば、今度の降級はどってことないのだから。
結局、丸山八段が名人挑戦者になり、谷川棋聖は悠々助かりして、多くの人が予想した通りになった。
とはいえ、最終戦はそれなりに迫力があり、ドラマを期待していたファンを満足させるものがあっただろう。
中原苦戦
その最終戦の有様であるが、まっさきに形勢に差がついたのは、中原対加藤戦だった。
中原の四間飛車に対し、加藤は例によって、加藤流棒銀で端を攻めた。ここまでは互角だったが、その直後、中原に疑問手が出て、いっぺんに不利になった。ただ、こういった勝負将棋で、内容を云々するのは筋違いというものだろう。勝ち負けだけが問題なのである。
(中略)
中原対加藤戦は五面並んだ継ぎ盤の中央にあるが、中原に形勢好転の気配がない。
(中略)
中原投了
10時近くになった。山場が近づいたのである。
必勝になっている加藤九段が、ややもたついているが、すこしくらいのことで逆転する将棋ではない。そうして2図▲6六角の決め手が指された。
△4八角成を防ぎ、▲9四桂をよりきびしくした。図の▲9三歩はずっと前に打たれ、▲9四桂はいつでも打てた。それを含みにしていたあたりに、先手側の余裕があらわれている。
(中略)
10時9分、中原投了。これを待っていたように報道陣が対局室にあうれた。
しばらく加藤九段が、高揚した声色で感想を言い、中原がそれに応じた。どことなく淡々として、特別に変わった様子もなかった。私は「高雄の間」の入り口で関係者の肩ごしに室内の様子を見ていたのだが、ふと気がつくとうしろで森内八段が首をのばしていた。
加藤さんが引き上げると、記者会見が始まった。
進退を問われた中原さんは「B級1組で指します」ときっぱりと言った。おそらく、8回戦で森下八段に負けたとき、覚悟を決めていたのだろう。そして自分の将棋は自分でわかる。年齢からしてまだまだ指せる、という意味のことも言った。これはその通りだと思う。
試みに戦後の名人達の晩年を調べてみると、木村義雄は、47歳のとき、大山に名人位を奪われて引退。塚田正夫は、57歳でA級から落ちたが、引退せずにB級1組で指し、1年でA級に復帰し、2年後にまた降級。このとき60歳になっていた。なおもB級1組で指しつづけたが、63歳のとき、現役のまま没した。
升田幸三は、57歳までA級に在ったが昭和51年のの最後になった順位戦だけは、4勝5敗と負け越した。プライドの高い人だったから、このとき己れの限界を感じたのだろう。翌年から休場し、54年に引退した。大山康晴については、これはもう言うまでもない。69歳現役A級で亡くなった。
こうしてみると、大棋士と言われる人達は、60歳前後まではA級を維持している。それにくらべて、米長邦雄は54歳。中原誠は52歳と、A級を落ちたのが早い。二人共才能は見おとりしないし、体力も十分だ。どうしてこういうことになったのか、と言えば、やはり2年前の事件が影響しているのだろうか。
ただ、ショックは日々薄らぐもの。早く本来の姿に戻り、A級での活躍を期待したい。
(以下略)
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中原誠十六世名人のA級在籍期間(名人も含む)は29期。1977年度に主催紙移行問題があったため1977年度は順位戦が行われなかったが、この年度も含めると30期。
中原十六世名人の降級が決まった頃、渡辺明新四段が誕生しているのも、今思うと感慨深い。
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谷川浩司九段は連続32期のA級在籍。
谷川九段が51歳、中原十六世名人が52歳でのA級陥落なので、ほぼ同年齢での出来事となる。
51~52歳は永世名人にとっての一つの鬼門なのか。
大山・塚田・升田時代と現代が異なるのは、羽生世代がいること。
中原十六世名人が降級した年度、佐藤康光名人(当時)も含めてA級以上には5人の羽生世代。
今期もA級以上には4人の羽生世代。
羽生世代が、大山・塚田・升田時代に比べ永世名人あるいは名人経験者のA級連続在籍期間を短くしていると言ってもいいのかもしれない。
谷川九段には来期、A級に復帰をしてほしいし、それが可能だと思う。
まだまだ谷川九段の戦いは続く。