羽生善治六冠(当時)が出演した「徹子の部屋」(後編)

近代将棋1995年7月号、明石寛さんの「平成棋士バラエティ 羽生名人、徹子の部屋に出演」より。

 黒柳は何度か将棋を大相撲にたとえて聞いていたが、こんな質問も飛び出した。

 「付き人はいるんですか」

 「いません。催し物の時などは担当の方が来ますけど、ふだんはひとりです」

 横綱・大関には10人以上の付き人がいるし、芸能人にはマネージャーがいて、それぞれ身の回りの雑事や金銭のやりくりなど、すべて世話をしてくれる。そのためタレントの中には自分の貯金額は知らないし、キャッシュカードの使い方を知らない者までいる。要するに世間知らずなのだ。

 その点、棋士は名人といえども自分のことはすべて自分で行う。タイトル戦を含む旅行に際し、大山名人が替えの下着を1枚しか持たず、常に自分で洗っていたというのは有名なエピソードだが、その原点は、ここにあるのだろう。話題が和服のことに及ぶと、

 「対局の時に着ている和服は、夜中に部屋に戻ってから自分で畳みます。負けた時は、その辛さ、わびしさを味わいながら畳みます。今まで戦っていた自分の跡を畳んでいる気分です」

 自分の跡を畳むとは文学的な表現であるが、常勝羽生名人でも、物思いにふけりながら、ため息をついて和服を畳むことがあるのだ。ここに勝負師の孤独がある。

 将棋を知らない視聴者でも、この件りで棋士の、そして勝負の一端を垣間見たのではないか。

 話題は一転して、バレタインデーのチョコレート騒動に。たくさんもらったチョコだけど、羽生はあまり好きではないらしい。

 「小さい時から、あまりおやつを食べる習慣がありません。ファストフードもあまり食べません」

(中略)

 私などは、この原稿を書いている今でもセンベイをボリボリやっている。羽生を見習って、この間食癖は今日限りとしよう。それでも羽生は3度の食事は、しっかり食べる。

 あのスリムな体型にして抜群の体力と精神力。それは安定した食生活によって培われたものと思われる。

 「あなた天才、天才と何度も言われてるけど、ご自身はいかがなものなんでしょうね」

 「天才は枕詞のように使われていますけど、私は意識していません」(笑い)。

 こうして活字に置き換えると嫌味に聞こえないこともないが、羽生がニコニコ笑いながらそう言うと、むしろ自然に聞こえるから不思議だ。

 ここに映像メディアと活字メディアの違いがあるのだが、羽生の笑顔はテレビの枠にうまく収まる。

 勝った時に扇子を口元に当てて隠すのは、喜んで笑っているのを隠すため、というプロのテクニックも隠さずにしゃべった。

 舞台の小道具である扇子を自由自在に操る技は、落語家が寄席で披露する技でもあり、自らの姿を絵にする技でもあるのだ。

 最後の質問はやはり結婚についてのものだった。

 「まあ、先輩を見ても独身の方が多いですから。生涯独身というつもりもないので、いい時期が来れば、と思っています」

 笑って答えているうちに、エンディングテーマが流れてきた。本誌6月号で湯川恵子女史が、長期名人=見合い結婚、短期名人=恋愛結婚という目新しい事実を書かれていた。

 羽生名人は有力な長期名人候補であり、最近は美人女優とのロマンスもささやかれている。何事も時代を先取りする才にたけた羽生のことだから、過去の図式を破って恋愛結婚し、長期にわたって名人の座に居座るかもしれない。

 番組のスイッチを切って、ふと思う。「徹子の部屋」は、番組誕生以来、今年で満20周年を迎える長寿番組であり、テレビ朝日の看板番組でもある。人気の秘密はゲストに媚びることなく、いつも前向きに、誠意と正義感をもって接する黒柳の姿勢が、家庭の主婦を中心とした視聴者に、親近感をもって受け入れられるのだろう。黒柳はこれといった専門分野を持たず、特に勝負事やプロスポーツについては門外漢であるが、真っ白なまま聞いたほうが、一般の視聴者にはわかりやすいというメリットもあるのだ。

 羽生はこの日もざっくばらんなトークを展開して好感がもてた。エピソードがふんだんに詰まって楽しい番組となった。これまでの名人が、盤上盤外のドラマを人生の処世訓に結びつけて語ってきた巧みな話術も、羽生によって軽快なタッチの話術に変化した。

 羽生のお母様とほぼ同世代にあたる黒柳徹子との初めてのおしゃべり。この番組によって、羽生人気は、元ギャルの奥さま層にも浸透したことは間違いない。

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「対局の時に着ている和服は、夜中に部屋に戻ってから自分で畳みます。負けた時は、その辛さ、わびしさを味わいながら畳みます。今まで戦っていた自分の跡を畳んでいる気分です」
は、非常に実感のこもった言葉だ。

勝負師が避けては通れない深夜の辛い手続き・・・

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”本誌6月号で湯川恵子女史が、長期名人=見合い結婚、短期名人=恋愛結婚という目新しい事実を書かれていた”とあるが、その記事は、木村-大山-中原-谷川と続く名人の系統はみな見合い結婚だったということから展開される理論。とても面白い視点だ。→名人の結婚

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1995年は、日本将棋連盟気付で羽生善治六冠(当時)宛に全国各地から大量にチョコレートが届いた年。

当時は将棋世界や近代将棋の新年号に棋士の住所が掲載されていたので、羽生六冠の家に直接届いたチョコレートも多かったことだろう。

この年の7月28日、羽生六冠は畠田理恵さんとの婚約を発表し、その翌年からバレンタインデーに届くチョコレート数は激減することになる。