谷川浩司王将(当時)「いわゆるお立ち台GALは、残念ながら新潟にはいなかった」

将棋世界1994年1月号、谷川浩司王将(当時)のJT日本シリーズ’93〔中原誠前名人-谷川浩司王将〕自戦記「決断の勝利」より。

11月6日

11:50 自宅を出発。タクシーで空港に着いてから、昼食。

13:40 JAS797便で新潟へ

15:20 新潟のホテル「イタリア軒」に到着。ここは棋王戦でも馴染みの所。新潟日報社の取材と、明日の次の一手賞品用の盤に署名。

18:30 歓迎レセプション。約50名出席。その中での挨拶。

 「中原先生は公式戦で一番多く戦っている棋士で、もう70局近くになりますので、そういう意味では安心感があります―」

 会場に笑いが起きたのに応えて、中原前名人。

 「相手に安心感を与えてしまってはいけないのですが―」

 ―これは少々言葉が足りなかったようだ。安心してぶつかってゆける相手、と言わなければいけなかった。

 司会の、新潟放送女性アナウンサーが嬉しい事を言ってくれた。

「ここ数年は、谷川王将か、谷川王将に勝った棋士が優勝しています」

 ―これは私も気が付かなかった。調べてみると、59年から続いている。この間優勝が3回、準優勝が3回、途中で負けた3回も、私に勝った加藤九段、高橋七段、羽生棋王が優勝している。

20:30 レセプション終了後、関係者8名で外へ。

 土地勘のある者がいないため、歩きまわった末に入ったのは、何とMAHARAJA。

 ―いわゆるお立ち台GALは、残念ながら新潟にはいなかった。

23:00 寿司屋に寄った後、ホテルにもどる。

 ―林葉、山田という黄金コンビがいた割には、冷静な時間だった。

 それはともかく、お寿司もなかなか美味で、流石新潟である。

(以下略)

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マハラジャ (MAHARAJA) は、1980~1990年代に日本全国に展開した高級ディスコチェーン店。

入店時に服装チェックがあり、店に相応しくない服装だと入店を断られる場合があった。

東京では麻布十番がその本拠地。

私も一度行ったことがあるが、その時は貸し切りのオーソドックスな立食パーティーだったので、通常時の店内の様子はわからない。

マハラジャ麻布十番店は1997年9月に閉店。1998年4月のマハラジャ横濱店の閉店をもって、マハラジャの歴史は幕を下ろす。

(2010年11月1日から別の経営母体により六本木に『マハラジャ六本木』が復活している)

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ジュリアナ東京に代表されるワンレン・ボディコン・羽根つき扇子のお立ち台ギャルの全盛期は1991年~1992年のことだった。

ジュリアナ東京の閉店は1994年8月31日のことになるので、1993年11月のこの頃は、お立ち台ギャルも全国的にかなり下火になっていたのだろう。