丸山忠久三段(当時)と郷田真隆三段(当時)が四段に昇段した日

将棋世界1990年5月号、駒野茂さんの「第6回三段リーグ総括」より。

 前評判

 三段リーグ戦開始前、当然のことではあるが昇段予想の声があちこちで聞けた。

 「もちろん丸山、郷田の2人が最有力。これに深浦、杉本といったところも有力」

 「前者二人ははずせないけど、秋山も相当だと思うけどなぁ」

 「いやぁ、秋山なら深浦の方を押したいね。まだ甘いところもあるけど、何といっても若いし、爆発力もあるから」

 大方の声はこの5人の名前を挙げていたが、筆者は日頃の取材の結果から大胆な予想を立てた。本命・郷田、これは風評と同じだが、対抗・庄司、単穴・北島、伏兵・平藤、穴・田端として、周囲を驚かせたのである。

 波乱の出だし

 第1戦、第2戦と郷田が連敗を喫した。本命に押されたプレッシャーからと思えた。手が伸びない。それと他の有力者達も今ひとつ精彩がない。

有力候補者の成績(第4戦まで)

丸山4勝0敗、郷田2勝2敗、北島3勝1敗、深浦2勝2敗、平藤3勝1敗、田端1勝3敗、秋山2勝2敗、杉本1勝3敗、庄司3勝1敗

 将棋の内容が充実していたのは庄司。第1回の時のような気合いも感じられた。第2回以降の低迷をハネ返すために遊びを控え、生活を改めたのが好成績につながったようだ。期待大である。

 逆に冴えを欠いていたのが杉本。将棋の内容が良くない。それと以前昇段戦線で争っていた時と比べて力強さがない。1、2戦の戦い振りを見て、”今期杉本の昇段はないな”と思った。有力候補があまりパッとしない中、戦国時代になるか、の見方も出始めたのだった。

 あらたつ好調。だが・・・

 通称・あらたつ、こと荒井が初戦の1敗後から7連勝して一気にトップグループに入り込んだ。

第8戦までの勝敗<ベスト6>

佐藤7勝1敗、荒井7勝1敗、丸山6勝2敗、郷田6勝2敗、村田6勝2敗、豊川6勝2敗

 「これ以後も連勝を続け、17勝1敗で昇段する」と、昇段宣言までもしたほど意気揚々の荒井。しかし、この時の三段達の胸中は一様に、「荒井の好調は一時的なもの。自然に消える」だった。

 読み筋?という訳ではないのだろうが、その後荒井はやはり9連敗し、リーグ戦の藻くずと化した。

 リーグ戦終了後、荒井いわく、

 「次回は初戦から13連勝して昇段する!」 「でもその後5連敗して13勝5敗だと順位も決してよくないし、頭ハネ喰らうんじゃないの」と私が言い返すと、急に青い顔になって、「じゃあ、14連勝にしておくか」と、本気かウソか分からないことを言っていた。連勝連敗男の荒井、連敗数より連勝数の方が多くならないことには、昇段は遠い話しだろう。

 3人に絞られる

 16戦目を終了した時点で、5人に絞られた。だが、5敗の2人が上がるためには、郷田が2連敗し、豊川が負けなければいけないという確率の低いものだ。それに郷田の対戦相手は不調者とあっては2連敗するはずはなく、上位3人に絞られたと言ってもいいだろう。

第16戦までの勝敗<ベスト5>

丸山13勝3敗、郷田12勝4敗、豊川12勝4敗、北島11勝5敗、佐藤11勝5敗

 驚くべきは、豊川のガンバリ。予想の片隅にも挙げられなかった人物が今、リーグ戦を混迷にし、かつ見る側に迫力を与えてくれたのである。

 新参加は気合いが入っている点に、注目しなければいけなかったか。

 新四段のつとめ

 17戦目、丸山-荒井戦。丸山は残り2局のうち1勝するか、あるいは4敗者が1人になった時点で昇段が決まる。相当に楽な条件のせいもあってか、対局中の丸山の表情には気負いは感じられなかった。

(中略)

 1図、荒井の△7三飛は大悪手。丸山はこれをとがめて必勝形にする。

 以下はいくばくもなく丸山の勝ちとなった。

 昇段を決めた直後に、親と師匠に報告するのは定跡手順。親は昼間留守のようで、師匠に連絡。その時の一コマ。

 「先生上がりました」

 「あ~、それはよかった。おめでとう。ところで、丸山君、今度将棋まつりに出てもらうからよろしく頼むよ。それと今日はもう一人上がるだろう。決まったら電話をしてくれるように言っといてよ」

 さすが”将棋まつりの天才”佐瀬八段、そつがない。この手回しの早さに、丸山新四段は驚きながらも、おかしかったのか顔が緩んでいた。

 新四段にとって、将棋まつりが仕事始め? これも定跡手順になりそうだ。

 ビリでもいいから

 17戦目が終了。郷田、豊川が共に勝ち、この2人に絞られた。郷田は自力、豊川は自分が勝って郷田負けで昇段。見応えのある最終戦となった。

 郷田-村松戦、豊川-野間戦。郷田の対戦相手の村松は成績不振で、郷田勝ち、が順当な見方だが、両者の対戦成績は意外に五分。豊川の一縷の望みはそれだ。

(中略)

 村松としては飲み仲間である豊川の援護射撃のため丁寧に指したつもりだったのだろうが、▲6一角と郷田の鋭い攻めが来ては、立ち遅れの村松は支えきれず、あっさり土俵を割ってしまった。

 豊川-野間戦は豊川が勝ちそうだ。しかし、郷田が勝った時点で豊川の将棋は順位決めでしかなかったのである。

 最終結果、丸山14勝4敗、郷田14勝4敗、豊川14勝4敗と3人が14勝台のまれにみるハイレベルな争いであった。

 豊川は終局後、盤の前から動かない。

 ”人事を尽くして天命を待つ”も天には通じなかった。花粉症で「目から涙がよく出るんですよ」と言っていたが、その時、目に光っていたものは・・・。

 次回順位1位となる豊川は、奨励会No1といってもいい。しかし、豊川にしてみればこのNo1は意味がないのである。ビリでもいいから棋士になりたかったのだ。それは奨励会全員の本音でもある。

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丸山忠久三段(当時)と郷田真隆三段(当時)の四段昇段が決まったのが1990年3月7日(水)のこと。

四段昇段から干支でちょうど二回り目になることになる。

今日は、この二人がNHK杯戦決勝で戦う。(NHK杯テレビ将棋トーナメント決勝 丸山忠久九段-郷田真隆九段戦。Eテレ10:05~11:54)

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将棋世界グラビアより、18歳の郷田四段と19歳の丸山四段。最終局が終わった直後の写真。二人の服装が対照的なのも面白い。