将棋マガジン1990年7月号、河口俊彦六段(当時)の「対局日誌」より。
昼休みのガランとした対局室を見て回っていたら、一つ潰れている局面があった。シーズンオフの対局ではしばしばあるから驚かないが、対局者を見てビックリ。
潰されているのは、堅実無比の森下だった。しかも、棋聖戦準々決勝という大きな一番である。いったい何が起こったのだろう。
いきなり発端から話を始めよう。今月は好局がたくさんあって、枕を書く紙数が惜しい。
1図は、森下-屋敷戦だが、これは屋敷お得意の形だそうである。そういえば、前号の奇局、対井上戦もこの形だった。
まだ駒組途中で、こんなところで無駄な時間は使っていられない。森下は深く考えずに次の手を指した。
いずれ必要なのだからと、▲2八銀とでも上がっておけばどうということはなかった。
〔1図からの指し手〕
▲9七角△4六歩▲同歩△3六歩▲同歩△4六金(1.1図)
▲9七角と飛車にヒモをつけて用心深いとも言えるが、いずれにしても、ここで手があるとは誰も思わない。屋敷以外のプロは△4三銀か△8二銀か、そんな手を指すだろう。ところが屋敷には特異なカンが働くらしい。
△4六歩と突いて、歩を交換するのではなく、△3六歩と攻めた。▲同歩と取らせて△4六金と出る。
ここで森下は事の重大さに気が付いた。▲4七歩と打つしかない形だが、△3七歩▲同金△5七金と入られて困る。△3七歩を▲同桂は△3六金。
〔1.1図からの指し手〕
▲6八金△4五桂▲4七歩△3七歩▲同桂△3六金▲4五桂△4七金(2図)
そこで▲6八金と平静をよそおって受けたが、△4五桂と飛ばれてはただでは済まない。
△3七歩から△4七金の2図までは必然。ここが昼休みの局面である。絵にかいたような両王手ではないか。
〔2図からの指し手〕
▲4九玉△4八金▲同銀△3八金▲5九玉△4八金▲同玉△4七歩▲同銀△4六歩(2.1図)
上の手順は両者ほとんどノータイム。変化の余地の少ない手順というわけである。
△4七歩から△4六歩が好手順で、▲4六同銀なら、△同角▲同飛△3七銀で後手よい。
〔2.1図からの指し手〕
▲5八銀△4七銀▲同銀△同歩成▲同玉△4六銀▲同飛△同角▲同玉(3図)
また、△4六銀に▲5八玉は、△3八飛成▲4八歩△4七銀成▲6九玉△4八竜で、先手に勝ち味はない。
駒音が絶えないので、みんなかわるがわる覗きにくる。ひどい目にあってるね、声には出さねど気配は伝わる。森下には辛い時間だったろう。
〔3図からの指し手〕
△3六飛打▲4七玉△3八飛成▲5六玉△6八竜▲4六銀△7七竜▲3五銀打(4図)
勝ち方にも才能が出る。そこを見ていただきたい。
王手金取りに△4八飛かと思ったら、△3六飛と打ち、△3八飛成から金を奪う。単に△4八飛は▲4七金△6八飛成▲3五銀と手順に金銀をうめられて粘られる。こんな例は、みなさんも二枚落ちで経験されたことがあるだろう。
森下は▲4六銀、▲3五銀打と粘る。もしかしたらの望みがないわけではないが、次に妙手を食らった。
4図でどう指すか、それを考えて下さい。△6四飛は平凡で、それもわるくないが、もっといい手がある。
この日は対局が多く、特別対局室では米長-鈴木戦、塚田-井上戦といった好取組があり、長谷部-西川戦も、竜王戦3組の準決勝だから大一番だ。さらに、新四段郷田の戦いぶりも興味がある。
なかでも塚田は、あっと目をむく手を指したが、それは後の話として森下-屋敷戦のケリをつけよう。なにしろ、3時には終わってしまったのだ。
〔4図からの指し手〕
△9七竜▲同香△3八角▲6六玉△6四飛▲7七玉△8七金▲同玉△6七飛成▲7七金△6五角成▲8八玉(5図)
遊び駒を取る手だけに、△9七竜は気が付かない。並みいるプロも感心したのである。これを読めた方はけたちがいに筋がよい。多くはいらっしゃらないと思いますがね。
手がかりの竜はなくなったが、かわりに△3八角が急所の一撃で先手の玉は急に狭くなった。
△3八角に▲4七歩は△6四桂以下寄り。よって▲6六玉と逃げれば、△6四飛と狭い方へ追ってもう逆転の余地はない。
一局の運命がかかった、1図のところの△4六歩で考えた時間は5分。△9七竜のところでは26分と念を入れた。ここに屋敷の将棋術があらわれている。
〔5図からの指し手〕
△7六桂▲8七玉△6八桂成▲8八玉△7八成桂▲同金△9八馬▲7九玉△9七馬▲8八金打△7六香(6図)
仕上げも慎重をきわめる。5図△9八馬▲同玉△7七竜で終わり、とやってしまいそうだが、なにか危険な筋があるのだろう。
角も渡さない、駒を使わせる、と虫のよい要求をすべて通して、6図まで止めを刺した。
6図以下は▲6八金打△8八馬▲同玉△7八香成▲同金△9八金と詰みまで指して、森下投了。よほど口惜しかったにちがいない。
森下は屋敷の力を、羽生と並ぶとまでは買っていないらしい。ちょっといいかげんなところがある、と見ているようだ。その相手に、立ち上がりのけたぐりをかけられて負けたのだから、なっとくが行かなかっただろう。
棋聖戦は、森下が決勝戦に進むと予想していた。そこで、例の、ここ一番のカベを突破できるかどうかが見物と思っていたのに残念。
本局は1図から投了まで、詰将棋のような手順。升田の会心の一局はこんな感じだった。
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1図からこのような強烈な仕掛けが決まるとは、本当に気が付かないし、本当に凄い。
相振り飛車の攻め筋としても非常に参考になるし、終盤の△3六飛打、△9七竜なども唸ってしまうような妙手。
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屋敷伸之九段が18歳、五段の時の快勝譜。
この後の決勝戦では屋敷五段が塚田泰明八段(当時)に勝って中原誠棋聖に挑戦。
さらに、五番勝負では2連敗後の3連勝で棋聖位を獲得する。
この時のタイトル獲得最年少記録(18歳6ヵ月)はいまだに破られていない。
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今日は電王戦第5局、屋敷伸之九段-ponanza戦が行われる。→ニコニコ生放送
屋敷九段を全力で応援したい。