ヒールになってしまった羽生善治四冠(当時)…後編

将棋世界1994年6月号、中平邦彦さんの巻頭エッセイ「色を変える花のように」より。

 「面白いね。今度の米長と羽生は」

 ビールをひと口飲んで友人は言った。どちらが勝つのかという興味はむろんだが、今回は盤外の前哨戦が面白いのである。

 将棋ファンなら当然知っている、例の「席順」のことである。

 A級順位戦で、羽生が中原の上座に着いて仲間の話題になり、米長が意見を週刊誌に書いた。

 酸味がピリッと効いたおとなの文で、読めば読むほど味わい深い。要約を許してもらえれば、羽生は四冠王の威厳を損なわぬことが自分に課せられた役割だと固く信じ、本当は座りたくない上座に信念を持って座った。事の是非、善悪はともかく、ここには羽生の強い意志が示されている……と。そして、次の谷川戦でどちらが上座に座るか楽しみだと結んでいた。

 結果は周知の通り、羽生は強い意志を発揮して、当然のように上座を占めた。これでまたプロ仲間は沸いた。ファンも沸いた。米長はきっと立腹している。これはすごい戦いになるだろうという期待からである。

 しかし米長は、週刊誌の次号では直接羽生に触れず、中原と谷川の”大人(たいじん)”ぶりを書いた。この文も含蓄深く、大人ぶりをほめながら、ちょっと業を煮やしたふしが匂って面白かった。谷川よ、もっと怒れというような。

 米長の心境は、複雑すぎてよくわからない。本当に怒っているのか、それともサービス精神を発揮して名人戦を盛り上げようとしたのか、その、わからないところが魅力である。

 羽生の場合は、きっと信念だろう。優等生はもうやめた、怪物が正体を現したなどの評があるが、元々から強い自負があったのだろう。羽生は最新の月刊誌でこう語っている。

 「定跡を信用せず疑ってかかり、他人が何を言おうと気にせずやったから強くなれたんだと思う」と。強烈な自負である。

 そして、名人戦第1局が始まった。

 テレビの解説役を務めたのは谷川である。家にいても、どうせテレビで対局を見てしまうからと引き受けたようだが、心境複雑なものがあったろう。そんな谷川の人気がまた上がったそうだが、ファンはどうだろうか。

 テレビを見ていた女性が「谷川さん、ふっくらしてカドが取れたみたい」と言った。羽生の、口をへの字に結んだ形相と好対照だった。

 6月の花、アジサイは七変化する。そしてその色は土中の見えない成分で変わる。羽生は変身したのか。谷川も変わったのか。

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将棋マガジン1994年6月号、高橋呉郎さんの「『鈍感な世代』の挑戦者」より。

 今期の名人戦は、かつての大山-中原、中原-谷川より、いっそう世代対決の意味合いが強い。しかも、挑戦者の羽生が巧まずして、演出したようなふしがある。

 新聞の観戦記や本誌の記事などでご存知のファンも多いと思う。2月9日に行われたA級順位戦の対中原戦で、羽生は上座に坐った。これはちょっとした”事件”だった。

 将棋連盟には、対局の席次を明文化した規定はない。それに準ずる序列がある。「前名人・前竜王の位置付けについて」という理事会決定事項(1993年6月10日)は、つぎのように規定している。

 <名人あるいは竜王保持者が失冠し「前」の肩書となった場合の位置付けは、現タイトル保持者の次とする。ただし、永世(名人・十段・王将・棋聖)の有資格者は、名人・竜王の次とする>

 この規定に従えば、永世(名人・棋聖・十段)の資格を持つ中原は羽生四冠王より序列は上になる(米長名人は永世棋聖)。世間の常識では、序列を席次と考えるから、羽生が中原の上座に坐るのは、たしかにおかしい。

 しかし、羽生のために弁ずれば、前述の理事会決定事項は、いわゆる「確認事項」であって、公布したわけではない。タイトル保持者ないしは経験者でも、そんな規定があることすら知らない。せいぜい知っているのは、名人と竜王が同格の序列一位ということくらいだろう。

 念のために羽生にたしかめたら、「知りませんでした」とあっさり認めた。ついでに対局の席順についても訊いてみた。

 「かなり融通がきくものだと思っていました。どちらかが絶対に上座に着くというわけではなく、先輩だからという理由で、上座に着くこともありますよね。もし、席順があるのなら、はっきり決めてほしい。ただ、私個人としては、いまみたいに融通がきくほうが、ありがたいですね」

 当日、羽生は中原より早く対局室にはいった。大事な一戦で気合負けしてはいけない。四冠の自分が上座に坐ってもおかしくないと考えた。といって、上座にこだわったわけでもない。逆に中原が先着して上座に坐っていたら、どう思うかと訊いたら、「べつになんとも思いません」といっている。

 ふだんの羽生は礼儀正しい。礼を失してまで上座に坐りたがるような男でないことは、だれもが認めている。そういう若者だからこそ、米長に挑戦する名人戦は、よけいに世代対決の意味が増幅されてくる。

 対局の席順は棋士の”常識”に任されてきた。タイトル保持者クラスで序列の規定を知らなければ、ともかく礼を失しないように、実績のある先輩を立てる。だから、しぜんに序列も守られてきた。

 米長、中原世代は、そういう時代に育った。頭で考える以前に、序列を守らなければいけない、という感覚が身についている。この両者より二世代若い谷川にしても、同じ系列に属する。

 それが、羽生まで若くなると、どうやら変わってきたと思わざるをえない。愚考するに、羽生の世代も日常の礼儀作法には神経をつかうけれど、序列とか席次とかに対する感覚が、旧世代とはちがう。これは、時代のなせる業で、この世代に共通しているのではないかと思う。

 べつの見方をすれば、羽生の世代は、旧世代の棋士にはない、いい意味での”鈍感さ”を備えているということもできる。鈍感であることは、将棋の強さとも関係がある。彼らは大勝負でフルエルことを知らない。

 この鈍感さにかけては、羽生は同世代棋士のなかでも、抜きんでているようだ。佐藤竜王は羽生と同じ立場だったら、おそらく中原の上座に坐れなかったにちがいない。

 しかし、なにせ名人戦である。羽生とて人の子、いままでに経験したこともないプレッシャーを感じないともかぎらない。勝敗のカギは、そのへんにありそうな気がする。

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将棋マガジン1994年6月号、羽生善治四冠(当時)の「今月のハブの眼:決断の△3五歩」より。

 いつもなら、毎月の対局の中から三局ピックアップして、勝負所を解説している”ハブの眼”ですが、今月号は趣向を変えて、一局だけの自戦記にします。

 その対局は、3月18日に行われた、A級順位戦プレーオフ、谷川浩司王将との一戦です。

 この将棋は私にとって、1993年度の最終戦になります。

 そして、名人挑戦を懸けた大一番、この勝敗によって、今シーズンの自分なりの評価が決まると言っても過言ではありません。

 席次について

 本局は私が谷川先生より先に対局場に着き、上座に座りました。

 3月1日のA級順位戦最終局、2月9日の中原先生との対局の時も同じです。

 席次についてはタイトル、段位、クラス、年齢、先輩、後輩、実績、など色々な要素で判断されます。

 私は前述の三局の時に中原・谷川両先生の実績を認めながらも現在、自分が四つタイトルを所持していることを考え、私の判断で上座に座ったわけです。

 それからしばらく時間が経過して、色々な形でこのことが報じられたので、調べてみると、恥ずかしながら私はこの原稿を書いている3月30日まで知らなかったことがあるのです。

 そして、それを知った時には自分はとても失礼なことをしたのでは?という不安と反省でした。

 その文章は次の通りです。

 理事会決定事項(平成5年6月10日)前名人・前竜王の位置付けについて

◯名人あるいは竜王保持者が失冠し「前」の肩書となった場合の位置付けは、現タイトル保持者の次とする。ただし、永世(名人・十段・王将・棋聖)の有資格者は、名人・竜王の次とする。

 以下、段位及び順位戦 以上

 この文章を自分なりに解釈すると、①名人・竜王②永世有資格者③タイトル保持者④前名人・前竜王⑤以下は段位と順位順という位置付けでしょうか。

(以下略)

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羽生善治四冠(当時)が、故意に挑発をしたり、悪役を演じたわけではないことがわかる。

この当時は、内藤國雄九段も将棋世界の同じ号で書いているが、「持っているタイトル数は多くても、順位戦は特別で上位者が上座」というのがしきたりだった。

そういう意味では、1993年の理事会決定事項も、棋士間には浸透していなかったと言える。

1993年度は羽生四冠はA級1年目でA級9位、谷川浩司王将(当時)はA級4位、中原誠前名人(当時)はA級1位。

羽生四冠は、タイトルを4つ持っていることを考え上座に座った。

たしかに、感覚的には四冠王のほうが上座に座るのは不自然ではないし、現在の序列の考え方もそうなっている。

結果的に、従来のしきたりとの間で軋轢が生じたわけだが、これらのことで将棋に悪影響を及ぼすことなく、羽生四冠は名人戦で名人位を奪取することになる。

中平邦彦さんが紹介している「定跡を信用せず疑ってかかり、他人が何を言おうと気にせずやったから強くなれたんだと思う」という羽生四冠の言葉を体現した、劇的な流れとなった。