将棋世界1994年3月号、神吉宏充五段(当時)の「対局室25時 in 関西将棋会館」より。
大阪・ミナミ。バブルが崩壊した今もなお、若者を中心に活気溢れる街。
夜のネオンに彩られた午後七時、ドラマのアクションシーンを彷彿とさせる光景に出会った。
男が車のボンネットの上に飛び乗り、左右両窓をガッチリ手で押さえ、フロントガラス越しに車の中に乗っているアベックに何やら怒鳴っている。
「おら、落としてみんかいコラ。やってみい!」
アベックも何やら言い返している。
「のけ、のかんかい。ひき殺すぞオッサン」
「おう、やらんかい。おら、おら」
またたく間に野次馬が群がる。
「何じゃい、何やっとんねん。おお、おもろいやんけ」
車は低スピードで蛇行し、男がバランスを崩して地面にはった瞬間、男を無視するかのように走り去った。いや、走り去ろうとした。
車の不運は繁華街の道路だったこと。信号と多くのタクシーが道を塞ぎ、思うように前へ進めない。
地面を舐めた男は、パンパンとズボンの汚れを払い、野次馬に一瞥くれてから先の車に一目散。
「おらぁ、ようやってくれたのう。出て来んかい」。思いっきり車の目に付いた所を蹴り上げる。
中のアベックは狂犬のような男を相手にせず、信号が変わると逃げるように走り去る。また次の信号で止まる。それを見てまた男が追いかける・・・。
その後どうなったかは見なかったが、車に向かっていった男の根性は、いかにも関西や、あきらめが悪いけど一応勝負しとるのうと、感心してしまった。
C2の順位戦も残すところあと3局。昇級を目指す者にとってはどんなかたちでも勝ちたいところ。それこそ、反則でも何でもいい・・・。
1図は神崎五段-植山五段戦の投了図。
中盤必敗だった神崎、なりふり構わず駒を張り、一目散に入玉を目指した。
結果は植山が寄せを誤り、神崎の逆転勝ち。まったく、関西の根性男は執念で生き残ったのう・・・。
さて2図は、その将棋の序盤戦。現代矢倉を知らない私にとって、それは何か未知の異星人の会話を聞いているような、不思議な気分にさせられる手順だった。
2図以下の指し手
▲5八飛△6四銀▲3八飛△5三銀 (3図)
「これが最善なんですよ」と若手奨励会員が言う。つまり▲5八飛から▲3八飛が、相手に銀出を強要させて銀引きを余儀なくする。これで先手が一手得だと言う。
私が疑問に思うのは、後手がむざむざ一手損して最善だと言われるところ。何で?最善とは損しても待つことなんだろうか。
それならもっと前に損しない対策があるのとちゃうんやろか・・・。さらに不思議な手順が続く。
3図以下の指し手
▲9八香△4二銀▲2五歩△3三銀引▲1七香 (4図)
先手は▲9八香と手を待つ。後手は2手連続銀を引く。それを見て自ら攻撃形を否定するような▲2五歩。何でや、この形は▲2五桂と跳ねるのとちゃうかったんかいな。そして△3三銀引に▲1七香・・・そっ、それやったら少し前に▲1八香と指すところで、最初から▲1七香と上がってええのと違うん?
これが最近の流行形なのか。こんな難解な手順を矢倉党は日夜研究しているんだろうか・・・振り飛車党の皆さん、矢倉を理解しようとするのはやめましょう。
(以下略)
—–
神崎健二五段(当時)はこの対局直前まで順位戦で7勝0敗、この期、9勝1敗で昇級を果たすことになる。
—–
振り飛車党にとっての矢倉。
娯楽小説が好きな人にとっての純文学、と言っても良いのだろう。
難解な作品が多いので、かなり敬遠してしまう感覚。
最近はネット中継などで一手毎に解説がされ、矢倉の中盤戦での難解な指し手の意味も理解できるようになってきたわけだが、昔はそうではなかった。
—–
私は本を読んで、その本が面白かったら、その作家が書いた本を徹底的に読むという読書スタイル。
学生時代に阿刀田高さんの短篇集「ナポレオン狂」を読んで、あまりの面白さに、既刊の書籍を次々と読み尽くすとともに、それ以来10年以上、阿刀田高さんが新しく出す本はほとんど買って読んだものだった。
小林信彦さんの「唐獅子株式会社」、大沢在昌さんの「新宿鮫」、司馬遼太郎さんの「項羽と劉邦」、逢坂剛さんの「カディスの赤い星」然り。それぞれの作家の他の著作にもはまっていった。
数少ない例外が村上春樹さんだった。
「ノルウェイの森」が出版された頃に読んで、とても雰囲気のある素晴らしい小説だと思った。その後すぐ、村上春樹さんの他の小説を三冊ほど買ってきて読み始めた。
一冊目を読んで何か雰囲気が違うなと感じ、途中でやめて二冊目に。
二冊目も序盤で馴染めずに三冊目に。
三冊目も同様。。
「ノルウェイの森」が村上春樹さんの作品の中では違った傾向のものだったということを理解した。
村上春樹さんの小説は、文章は平易だけれどもストーリーが難解なものが多いと言う。
ノーベル文学賞を受賞した大江健三郎さんは、文章もストーリーも難解だ。
昭和の振り飛車党の私にとって、純文学と矢倉は同じようなイメージだ。
故・米長邦雄永世棋聖は「矢倉は将棋の純文学」と語っているが、この場合の”純文学”の意味は「王道」というニュアンスがあったと言われる。
とにもかくにも、純文学という表現は、いろいろな幅広い意味で解釈できそうだ。