中原誠十六世名人の「最も印象に残るタイトル戦」(7)

1972年名人戦シリーズ最終回。

中原誠十六世名人が「最も印象に残るタイトル戦」という1972年の名人戦の、第7局。先手が大山名人、後手が中原挑戦者。

ここまで中原挑戦者からみて○●●○●○の3勝3敗。

立会人は丸田八段(当時の日本将棋連盟会長)、副立会人が広津八段、記録係が桐谷二段、観戦記は第6局に続いて東公平氏。

対局場は広尾の羽沢ガーデン。

将棋世界は大山前名人による自戦記「天恵と考え、出直す」。

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第6局に続いて中原挑戦者の振り飛車。

4六金戦法は、大山名人は指されたことはあるが指すのは初めて。中原挑戦者は指されたことも指したこともない。

大山「名人位を、おたがいに経験のない形で決めることになるとは、予想外で、勝負のフシギであるかもしれない」

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▲4五歩は56分の長考。大山名人の猛攻開始。

以下、△4二飛▲2四歩△同歩▲3五歩△同歩。素直に同歩の自然流。

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ここから▲4六銀(封じ手)△4五歩▲3三角成△同桂▲3五銀△3四歩。

大山「4六銀は気負いすぎ。4四歩と取りこみ、同角なら同角、同銀、2四飛と、あっさり攻めるほうがよかった」

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とはいえ、これでも決して悪くはない。

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▲1五角に対して△2二飛。大山名人にとって▲1五角はきびしすぎて、うまみを欠いたという感触。▲9五歩からの端攻めだったかと書いている。

大山「きびしくとも、単調な手は嫌い。それなのにきびしさを選んで指し続けた自分を、いまから考えるとフシギでならない。やはり心理面のくずれであったろうか」

東「控え室にはすでに三十人近い報道関係者が集まっていた。広津八段の動かすコマを食い入るように見る人、また、終局直後にしか許されていない撮影なのに、まるで剣をみがく武士のようにカメラの点検を繰り返している人-異常な熱気が充満している」

この時、二日目の14時32分。

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▲2五桂で飛車を取られる形だが、中原挑戦者はここから、金取りの歩を複数回突き、飛車取りの角を打って次の図となる。

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ここで△5四銀。しかし、まだまだ先手優勢。

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大山「1一とで、香得となり、飛車の侵入も見えるから、私は自信を深め、心が浮き立ってきた。本当はここで、グッと気持ちをひきしめるべきであったのだが…」

ここから△4三飛▲9四歩△4七歩成▲9三歩成△同香▲同香成△同玉。

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この図からの▲2一飛成が敗戦を呼ぶ一手というのだから、将棋は恐ろしい。

正解は▲4四歩△同飛▲4五歩△同飛▲4六歩△5七と▲9九香(または▲4五歩)ということだ。

本譜は▲2一飛成△4一歩▲9九香△9四歩▲同香△8二玉▲3二竜。

△9四歩▲同香と近づけての△8二玉は、△9四桂の筋を防いだり、飛車交換後の△9八飛をみるなど、振飛車党には参考になる手筋。

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▲3二竜が敗着といわれている。

大山「しかし、3二竜が名人位を失う大ミスとなった。3二竜で4四歩、同飛、4五歩、同飛、3七桂、4二飛、4五香と指せばなお勝勢を保持できたと思う。大きな見落としをしていたとはいえ、名人位を目前にして勝ち急ぐ気持ちはたしかにあった。心技ともに、不覚というほかはない」

以下、△5七と▲9三角△8一玉▲4三竜。

▲4三竜を△同銀なら▲9一飛△同玉▲7一角成△9二歩▲同香成△同玉▲9九香で詰み。ここで夕食休憩。

東「中原は何を食べたか、いまでも思い出すことができないそうだ。そして『受け切れると思ったので休憩前には指さなかったんです』と私に打ち明けている」→これは後日の話

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東「私は休憩の間に、対局者に絶対に知られぬよう注意しながら外部と連絡をとり、升田九段と加藤一二三さんが『新名人誕生』と断言したことを知った。動悸をおさえきれず、食欲を失った。けれども、名人のあの自信満々の表情は? 誰も気付かぬ妙手を出して勝つのではないか、という期待も、心のすみから追払うことはできなかったのだ」

△6八と▲同金△4三銀。

大山「△4三銀と、取られてガク然とした。全身から血潮がひく感じでもあった。私の読み筋では△4三銀で、△9三角成を予定し、それなら▲同香不成の妙着で勝ちを予定していたわけだ」

3九の角をタダで取らせてくれるわけがないという思いが大山名人にあったようだ。

▲9一飛△同玉▲7一角成には△9三香が効いてしまう。

以下、▲3九角成△7一玉▲9九飛△6二玉▲4九香△5四銀▲9三香成△6六歩。

すでに逆転。

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そして、130手で大山名人が投了。

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東公平氏の数ある観戦記の中でも白眉のエンディング。

「長い長い時間が過ぎていくように感じられた。雨音は消えず、風が廊下のガラス戸をガラン、ガランと鳴らし続けていた。ハエが一匹、床の間で、狂ったように飛びまわっている。

端然と正座して、投げ場を考えている大山。

▲5二銀打ち、△7三玉に▲9三飛成。見るまに中原の両の頬がまっかになった。何度もまばたき。やがて、茶をグッと飲みほし、口もとをハンカチでぬぐい、上体を傾けて、△6七香成り。

『どうも、これは負けですね』

時計が止った。八時四十五分。

一瞬の静寂。無言で頭をさげた中原。史上最年少、二十四歳の名人が誕生したのである。

なだれこんだ報道陣が二人のまわりをぎっちり取り巻いた。フラッシュの雨。微笑をうかべている大山さん。うつむいて、泣きだしそうに見えるマコちゃんの顔。」