杉本昌隆四段(当時)「この人、見かけによらず将棋好きで、意外にも俺のファンなのではないか」

将棋世界1994年10月号、杉本昌隆四段(当時)のリレーエッセイ「待ったが許されるならば……」より。

 年に数回、思い出した様に旅行に出かける。メンバーはやはり将棋関係が多いが、将棋盤から離れて付き合うと、その人のまた別な一面が見えてきたりしてなかなか面白い。

 去年の夏、小林八段とグァムへ行った時の事だ。

 男同士で海外旅行というと、どうしても目的は一つ、のような感じで思われがちだが、決してそんな事ではない。ジェットスキーにパラセーリング、射撃etc
絵に描いたような健全な旅だった。

 もっとも辺りにアベックが多いだけに、二人でマリンスポーツなどをしている光景は多少寂しさを感じないでもなかったが。

 何日目かのよる、夕食は中華を食べに行こうという事になり、私達はとあるホテルの最上階へと向かった。

 ところがそのレストラン、なかなか高級な店らしく、サンダルと半ズボンはお断り、と入り口に書いてある。運悪く、その時小林八段が履いていたズボンは長さがひざまでしかなかった。嫌な予感がしたが案の定、店の前にいたボーイに門前払いを食わされてしまう。

 さてどうするか。考えられる手は色々ある。店を替える、ズボンを買いに行く、自分達のホテルへ戻って着替える(ただし、かなり遠い)などだ。

しかし小林八段は何を思ったか、シャツを降ろし、上に着ていたヨットパーカーを腰に巻いたかと思うと、続けてズボンを下げ始めた。「中に入っちゃえば勝ちだ」と言いながら。

 なるほど、こうすれば長ズボンを履いているように見え……なくもないが、惜しくもお腹が出てしまう。それにその時の小林八段の格好、どうひいき目に見てもカッコいいとはいえなかった。

 「小林先生、お願いですからそんな事やめて下さい。女性ファンが見たら泣きますよ」と私は必死で頼み、結局、新しいズボンを買いに行く事で話はついた。でも、私が止めなかったら、本当に小林八段はあれで中に入ったのだろうか。それとも茶目っ気たっぷりの八段の事、ただの冗談だったのだろうか。機会があったら聞きたいと思っている。

 さて、このままこの話を終わらせては問題がありそうなので小林八段のカッコ良かった事も書こう。それはチェックアウトの時だった。

 ホテル側の手違いからか、宿泊代が鬼のように凄い金額になっていた。どう考えてもこんなに高い訳がない。しかし、その時間、フロントに日本語の通じる人はおらず、説明の仕様がなかった。

 私一人だけだったら、諦めてその場は請求されただけ払ってしまっただろうが、小林八段は英語でホテルマンを説得し、最終的には向こうの間違いだと理解させるのに成功した。

 ああ、やはり持つべきものはよき先輩。小林八段の弟弟子で本当に良かった……と、書いていてもわざとらしくなってしまったので、この辺でやめておこう。

 ところで旅行といえば、少し前だが忘れられない思い出がある。

 私が23歳の頃だったから2年前、春に畠山鎮君とシンガポールへ行った時の事だった。

 サービスが良いらしい、とシンガポール航空を選んだが、機内のスチュワーデスは現地の人ばかり(に見えた)。海外旅行は初めての私は日本語が通じるかどうかを心配していた。

 機内食を配り始めた時、私の前にきたスチュワーデスが日本語で話しかけてきた。「もしかして杉本君ですか?あの将棋の強かった……」と。

 過去形で言われたのがいやに気になったが、どうやら日本人らしい。しかし、どう考えてもその顔に見覚えはなかった。とっさに思ったのは、この人、見かけによらず将棋好きで、意外にも俺のファンなのではないか、なんて事だから我ながら図々しいにも程があるが……。

 彼女は続けて「中学の時に同じクラスだった◯◯です」と言った。そう言えば中学2年の頃、そんな名前の女の子がいたな…と、ようやく事態が飲み込めた。

 しかし、生まれて初めての海外旅行、たまたま選んだシンガポール行きの飛行機の中で、スチュワーデスになっていた同級生に会う確率なんて、はたしてどれぐらいあるものだろうか。惜しむらくは中学時代、彼女と仲がよかった訳でも何でもなく、当時の記憶も殆どなかった事だが。

 彼女はシンガポールに住んで2年目らしかった。機内で少し話した後、「明日なら休みで案内できるけど」と言ってくれた。ああ、しかしその日は現地に住んでいる将棋ファンの方と会う用事があり、私はそちらを選んだ。そしてその後、彼女と会う機会はもう訪れなかった……。

 それ以来、この事を友達に話す度に大ひんしゅくをかうが、私のあの時の選択は真に棋士のかがみだったと思う。否、そう思うようにしている。

 でも、もう一度あの局面に戻ったら―。

 やはり一寸は待ったをしたい気分である。

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杉本昌隆四段(当時)のとても印象的なエッセイ。

後半部分は、まさに「待ったが許されるならば……」と思いたくなる典型のケースと言ってよいだろう。

杉本七段は11歳で奨励会入りをしているので、中学生の頃はもちろん奨励会員。

23歳の時点で、中学2年の時の同じクラスの女性の名前をどれくらい憶えているかというと、なかなか微妙な問題だ。

私は23歳ではないが、この文章を書きながら思い出してみると、当時の顔と名前が一致しているのが20数名中5人、フルネームは憶えていないけれども顔が思い浮かぶのが4人…名前を言われれば全員は思い出せると思うが。

その、名前を言われれば思い出す、の方に入っている女性が突然キャビンアテンダントとして目の前に現れたら、たしかにインパクトが大きすぎる。

渡辺淳一さんの小説だったなら、どのような展開になるのだろう。

 

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