谷川浩司王位(当時)「それにしても、神吉さんは何故踊らないのだろう」

近代将棋1990年11月号、谷川浩司王位(当時)の「復活への道」より。

8月12日 長野東急将棋まつりに出席

 メインは羽生竜王との記念対局。

 お互いに駒箱を押し合った後、先輩ということでこちらが駒箱を開ける。

 角換わり腰掛銀に誘導。気合を入れて戦ったのだが、△3三銀を保留する新型から先攻されて完敗。賞金数万円を持っていかれる。

 但し、この将棋は王位戦第4局などにかなり役立った。

 夕食後、神吉さんが誘った東急の女性社員五人とディスコへ行ったのだが、某大物棋士が一緒に来て踊られたのには驚いた。

 それにしても、神吉さんは何故踊らないのだろう。小錦の半分しか体重がないのに―。

8月14日 大阪近鉄将棋まつりに出席

 塚田八段との記念対局を、神吉五段と林葉女流王将の爆笑コンビが解説。この騒々しい状況の中で真面目に将棋を指した私達は、はっきり言って偉いと思う。

 林葉さんの「初手から期待しています」の挑発に、初手に2分の大長考の末、▲3六歩。指し進めながら、意外に優秀な戦法かもしれないと感じた。

 4図はその終盤戦。

谷川4

 ここから、▲8四飛△8三歩▲7四銀打△同歩▲同銀△7一桂▲8五香ととなりふりかまわず攻めたら、その気迫に押されたか、それとも原稿を依頼している弱点か、編集長にミスが出て辛勝。

 30秒将棋でも割合手が見えたので、大一番を前に自信も出てきた。

8月17日 王座戦 対高橋九段戦。

 挑戦者決定戦。対高橋戦となれば振り駒も勝負。先手が握れたのは大きかった。

 飛先不突矢倉に対し、高橋さんの作戦は何と二枚銀。棋風に合わない指し方で、やはり高橋さんにも迷いがあるのかもしれない。

 後手番だけにやや無理があったか。うまくとがめることができて勝利。

 名人を取られた直後に王座に挑戦、というのは五年前と同じだが、名人戦の雪辱戦、とは考えないようにしよう。

9月4日 王座戦 対中原王座戦

 第1局、そして対局地獄のスタートでおある。今月は、殆んど中一日のペースで12局指さなければならない。移動日も入れると何と23日である。

 中原王座はやはり5六飛戦法。無理攻めをうまくとがめて、押さえ込む指し方で勝利。

 但し、米長王将には「谷川も中年になったか」と評されてしまったが―。

9月10・11日 王位戦 対佐藤康五段戦

 3勝2敗で迎えた第6局だが、対佐藤戦は後手番での飛先不突矢倉対策が問題である。

 作戦負けの将棋を盛り返したのだが、そこで焦って悪手を指してしまう。

谷川5

 5図で、△6五歩▲同歩△6六歩▲同金△6五銀上と攻め急いだため、▲同金△同飛▲6六歩で簡単に逆転。

 決着は最終局へ。振り駒が大きいが、それにしても、何故こんなに防衛戦が弱いのだろう。

 

 最後の部分は、9月12日 陣屋から帰ってきて有馬へ出向くまでの一時を利用して、書いている。

 名人を失ってから15勝5敗。成績だけを見れば復調したようだが、本当の結果が出るのは、今から本誌が発売されるまでの一ヵ月なのである。

 王位戦3勝3敗、王座戦1勝、竜王戦挑戦者決定戦1勝。果たして―。

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8月12日の夜にディスコへ行った某大物棋士とは誰のことだろう。

この年の「第18回ながの東急将棋まつり」について、将棋世界1990年9月号で次のように案内されている。

第18回ながの東急将棋まつり
日時 8月11日~8月15日
会場 ながの東急百貨店
主な出席棋士
米長王将(8/11)、羽生竜王(8/12)、中原名人(8/13)、谷川王位(8/12)、大山十五世名人(8/15)

大物棋士=主な出席棋士とした場合、8月12日に長野にいたのは、谷川浩司王位(当時)以外では羽生善治竜王(当時)。

しかし、文脈からいって、直前で羽生竜王の名前を出していたのに数行後で某大物棋士と呼び方を変えるのも自然ではない。

ちなみに、近代将棋1990年10月号のグラビアを見ると、長野東急将棋まつりの記念対局、谷川-羽生戦の大盤解説を務めたのは丸田祐三九段だった。

某大物棋士が丸田九段だった可能性も否定できない。

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この後、谷川浩司王位は、王位防衛、王座奪取、竜王奪取、年が明けてから棋聖奪取と、進撃を続けることになる。