中井広恵女流二段(当時)「よく別人28号だといわれます」

将棋マガジン1984年9月号、中井広恵女流二段(当時)の「ヤルッキャナイ」より。

 これからしばらくの間、私のおしゃべりにおつきあい下さい。なにしろ初めての経験なので、部屋中が紙クズの山、迷ったあげく日記風にかいてみました。 

4月6日 始業式

 八幡中学校への転校。

「行ってきます」と元気よく家を出たものの、ちょっと複雑な心境。転校したことのある方にはわかってもらえますよネ。友達できるかな……とか、自己紹介、どうしようかな…とか。でもそんな心配、必要なかったみたいです。みんなすごくやさしいんですよね。ただ、ちょっと気になるのが私のあだ名。男子が私のこと『王将』って呼ぶんです。今年の女流王将戦は悔しい思いをしたので、来年こそはがんばって、堂々と王将と呼んでもらえるようになりたいと思ってます。

5月15日 盲腸の手術

 初めての盲腸の手術(あたりまえですネ、二回も盲腸の手術できないもの)。運悪く修学旅行の前だったんです。明日手術しないと手遅れになるといわれ、しぶしぶ…。手術の時はイビキをかいてねていたそうです。これは冗談ですが、脊髄に麻酔の注射をうたれたとたんグーグーねてしまったので、何も覚えてないんです。そうですね、つらかったことは一週間以上もベッドの上に横になっていたことですね。今考えると、もう少し入院したかったなんて思うんですけど…。でも、もっとつらかったことがあるんです。おいしいものが食べられなかったこと。何人かお見舞いにくだ物やケーキを持ってきてくださったんですけど、何も食べられなかったんです。それだけならまだいいんです。「食べられないんだからしょうがないな」といいながら、おいしそうに食べ始めるんです。私は指をくわえて見ていただけ…。一番多く食べたのは母なんですよ。

「広恵のつきそいしてると、おいしいものがいっぱい食べられていいわ」なんていうんです。娘がつらい思いをしているというのに、ひどい母ですネ。おかげでやせられました。

6月24日 My birthday

 十五歳の誕生日。早いですね、時がたつのは(なんか、オバサンみたい)。十五歳というのは、将棋でも勉強でも大切な時期だと思うので、特に将棋の方は一生懸命がんばろうと思います。奨励会負けてばかりなんですよね。もっとがんばらないのと…。話が暗くなっちゃったので、ちょっと小さい頃の私について話してみようと思います。あの頃の私はかわいかったんですョ。昔の写真を見た人は必ず、 

「これ広恵ちゃん?昔はかわいかったんだねェ」

 というんです。ひどいと思いませんか、今もかわいいのに…ナーンチャッテ!よく別人28号だといわれます。頭も良かったんですョ。二才の時にひらがなを全部覚えちゃったんです。それに、動物の名前を英語で言えたんです。今言えないのに…。あと、ダンスが好きで、あの頃はやった『黒ネコのタンゴ』がレパートリーの一つでした。トラネコのぬいぐるみを抱いてよく踊っていたそうです。昔天才、中学すぎたらただの人?―

 もっと多くの事を書こうと思っていたのですが、文章がまとまらず、結局三つの出来事しかお話しすることができませんでした。次回はもっといいものが書けるようにがんばりますので、私を見捨てないで読んで下さいネ。暑い日が続きますが、皆様お元気で。

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中井広恵女流六段が15歳の時の初エッセイ。

この頃の中井女流二段(当時)は、現在とは違って少しぷっくりとした感じだった。

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このエッセイの2年後、1986年将棋マガジンに掲載されたパルコの広告。

当時のパルコは流行の最先端を走っており、広告も非常に斬新なものばかりだった。

「女流」の二文字が、いや

この頃の中井女流名人は奨励会員でもあり、最高に格好いいコピーになっている。

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別人28号は横山光輝さんの人気漫画『鉄人28号』から派生した言葉。

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5月19日に行われる将棋ペンクラブ関東交流会では、指導対局で中井広恵女流六段に来ていただけることになりました。

楽しみです。