桐谷広人六段(当時)と泉正樹六段(当時)の会話

将棋世界1994年11月号、泉正樹六段(当時)の「後手必殺急戦矢倉」より。

 「いや~おどろいたねえ、この間誰だかが30歳になったんで、遂にわが世界では結婚している20代棋士がいなくなってしまいましたヨ。ハハハッ」

 なにか、自分も少々救われたといいたげな口調で話す声の主は桐谷六段。あまりにも意外そうな顔をしている泉を相手に独特の早口でさらに話し続ける。「私が20代の頃はね、みんな次から次へと結婚してしまって、随分焦らされたもんだけど、今は周りがみんなゆっくりしているから追い詰められたような気分にならない。だから一生懸命将棋に打ち込めるんだろうね」

 「フム、フム」と納得しながら聞き入っている私に対して桐谷先輩は「そういえば泉君、あなたはいくつになったんだかねー」なんて矢尻を向けてきた。

 風雲急を告げられた感のある私は内心、桐谷先輩に言われる筋合いのもんじゃ……と思いつつ、「もう33になりました。半ばあきらめの境地です」と正直に胸の内を明かすと、先輩は同士を得たというようなやさしい口調で、「ハァーそうですかあなたもそんなになりましたか。時の流れは早いんだよな~。でも最近では仲間が増えて私も安心しているんですよ」と落ち着く所に落ち着いた様子だった。

 普段からほがらかで何事も正直に話す桐谷先輩を見ていると、結婚などしなくても楽しく生きていける、そう思えるから何とも心強い先輩なのだ。

 それにしても、36人いる20代棋士が皆独身者とはいかなることか。確かに現代の風潮としていえることは、女性が社会に盛んに進出する傾向がある訳で仕事の実力も男性に近づきつつあるから評価しない訳にもいかない。しかも、男には面倒に見える作業も細やかにやりくりできる技を兼ね備えているから手間どるそぶりも見せない。

 うちのお袋などは6人もの子供を育てたから「今どきの娘達はどうなっているのかネー。女はやっぱり子どもを産んで育てる。それが一番楽しいのにネー」といっている。ただし、お袋の場合20年前に我がおやじを失っているから、それから働きどうし。それでもあい変わらず家に帰ると、機関銃の様にうるさい。「まったく世話が焼けるわネェ、いったいいつになったらお嫁さんもらうんだい」と決まり文句の嵐。元気でなによりですけど。

 それはさておき、あふれんばかりの賑わいで栄える独身棋士族。私も含め男前でやさしく情にもろい人ばかり。ア~それなのに、いっこうにチャンスがめぐってこない。一説によれば、食うか食われるかのこの世界、明日から全く勝てなくなるかもしれないと思う恐怖心や、天下を取り英雄を目指す野心が心の間でうごめいているから、本気で女性にアタックなどしているひまもないらしい。

 つまり、時間とお金をかけていない訳で努力ない所に成果と実証もありえない。

 尊敬する先輩の鈴木七段などは10代後半の頃から女性の攻略法に没頭していたらしく、徹夜で女性の喜びそうな下ネタ話の落語や都々逸を懸命に記憶したというのだ。これだけでも凄い努力なのに先輩は息を抜くどころか、さらに予備のものとして”カードマジック”を日々練習し、現在ではあまりにも熟達し過ぎたせいか、会う人ごとに要求され「おれはマジシャンじゃなくて棋士なのに」とぼやいている。

 将棋の世界という一つの枠にとらわれていると、どうしても接点が乏しくなる。これが異常なまでの現状を生み出している原因と想像するが、それならそれで数多くの女性将棋ファン獲得に乗り出す手もある。なにしろ、羽生五冠王、郷田五段をはじめ知性的で、うっとりするような色男達で構成されているのだから。

 その意味で一人ひとりの女性への対応が重要となってくる訳で、節度と勇気をもって将棋の素晴らしさを語っていけば近い将来、棋界の発展につながるし、孤立した世界からも解放されるだろう。

 まあ、こういったことで心底悩んでいるのは私と桐谷先輩だけかもしれないが、人生色々、希望だけは捨てないで日々生き抜いていくよりない。

(以下略)

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泉正樹六段(当時)は有言実行、この年1994年に、女性に対する将棋普及を目的に「美女と野獣の会」という無料将棋教室を立ち上げる(2000年頃まで数ヵ月に一度開催)。

そして、泉六段も当初はそこまでは展望していなかったと思うのだが、この5~6年後に、会のメンバーだった女性と結婚をすることになる。

皆が祝福した。

泉正樹七段の「美女と野獣の会」

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桐谷広人七段にも、早く更なる幸せが訪れてほしい。