将棋世界1992年10月号、「第5期竜王戦」より。
準々決勝で中原名人、米長九段、高橋九段という名人A級が枕を並べて討ち死にした。
一時代前には大先輩の前に座ると目がくらんで実力の半分も出せず、気がついたらボロボロという話をよく聞いたが、最近の若手にはそんな可愛い?話はカケラもない。
羽生棋王、佐藤康六段、村山六段がクラス以上に強い、といってしまえばそれまでだが、この結果を見ても”番狂わせだ”と思われない現状の方がすごい。若手の勢いが実力者に位負けをしない時代になったのだろう。
準決勝の2局は8月24日に対局された。
1図は羽生棋王-村山六段戦。
先手の羽生がヒネリ飛車模様から▲3六飛と寄った時、村山は歩を守らなかったので先手が一歩得する。しかしその分後手も△6五歩と伸ばして▲3六飛~▲7六飛のコースは実現しそうもなく一触即発の雰囲気である。
そして今△8六歩と打った局面で普通は▲8五歩と受けるのが形だが、それでは面白くないと見たか羽生は▲6五桂と跳ねる強手で対抗した。
以下△8八角成▲同銀△6五銀に▲8三歩が予定した好手。
後手△同飛なら▲2二歩で、△3三金に▲6四飛が銀取りになる仕掛けである。
仕方のない△6二飛に▲8四飛と回って8筋攻略が約束され桂損の代償を得た。
局面は進んで2図に。今△8七歩成とした局面で、仮に▲同銀は△5七桂成▲同玉△8四歩の狙いである。
だがこの歩成はもう一手早く指しておく手が正解だったという。
羽生はこの一瞬を見逃さず▲7二と△同飛▲8三角としたが、これが好手で、以下△6二飛に▲6五角成△7八と▲8一飛成と進んで優勢を確定した。
羽生はこの後も緩みなく寄せ、67手の短手数で押し切った。
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短手数のハラハラするような激戦。
羽生善治棋王(当時)の▲6五桂(途中1図)~▲8三歩(途中2図)、村山聖六段(当時)の△8七歩成(2図)など、次の一手に出てくるような手の応酬が感動的だ。
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羽生善治三冠と村山聖九段の通算対戦成績は、羽生三冠から見て8勝6敗。→村山聖戦全成績(玲瓏:羽生善治 (棋士)データベース)
このうちに1局の不戦勝(1998年4月1日竜王戦1組ランキング戦準決勝…村山九段が亡くなる4ヵ月前)が含まれるので、実質上は7勝6敗。
お互いに、この組み合わせでもっともっと指したかったことだろうと思う。