行方尚史四段(当時)「駄目じゃないですか負けてあげないと。有森さんは指導向きじゃないんですから」

将棋マガジン1995年4月号、鹿野圭生女流初段(当時)の「タマの目」より。

 地震の際は、皆様方に大変ご心配をおかけしました。関西の棋士は、なんとか全員無事でした。奨励会員の船越君を除いては……。しかし、いつまでもしめっぽくはしていられません。今月号は、地震後数日内でも元気な、関西棋士のお話です。 

(中略)

―倉敷・大山名人記念館にて―

タマ「今日は大山一門が集まる筈やったのにねえ」

有森六段「どうやって来たん?」

タマ「高松迄飛行機で、そこから実家で一泊して電車で来ましたよ」

有森「林さんは?」

林女流1級「大阪から福知山線と加古川線乗り継いで姫路から新幹線です。でも播但線じゃないから思ったよりも早く着きましたよ」 

有森「どれ位かかった?」

林「4~5時間です」

タマ「有森さん、大阪対局の時、当分そのルートやねんからよう聞いとかんと」

有森「わし、当分大阪行かへんわ」

中田(功)五段「おはようございます」

タマ「あ、おじさんだ!! おはようございます」

(中田五段と行方四段は、有森、林、タマからいっておじ弟子なのです)

中田「ウェーン。また、おじさんって言うぅ」

有森「おじさん」

中田「チェッ。あ、行方君にも言ってやって下さいよ」

行方「エー。そうか、おじさんになるのか」

中田「有吉先生と坪内先生は大丈夫なんですか?」

タマ「うん、師匠(有吉九段)は元気そうな声だったけど、ガスと水がストップして、昨日迄給水車1回しか来てないって。家は一応無事やて。坪内先生とこはもう、住まれへんから、奥さんの実家に居候してはるんやて。上二人が来てはれへんからなんか淋しいねェ」 

有森「その分、指導対局の人も制限しはったらしいで」

―昼食休憩―

行方「有森さん、ちゃんと子供には負けてあげました?」

有森「いや。勝ったら泣いてしもた」

林「手合いは?」

有森「四枚落」

行方「駄目じゃないですか負けてあげないと。有森さんは指導向きじゃないんですから」

有森「なんでやねん」

タマ「だって顔、怖いもん」

行方「イヤ、その、体も大きいし、声も大きいし……」

有森「ほっといてんか!! わしは、トーナメントプロや」

―夕方、仕事終了後―

タマ「ウェーン。六枚落でウッカリ子どもに勝ってしまったら、ワンワン泣かれてしもて、私迄、泣きそうになっちゃった」 

有森「顔が怖いからや」

タマ「チッ」

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大山康晴十五世名人門下の有吉道夫九段、中田功七段、行方尚史八段。

よくよく考えてみると、有吉九段は正統派の紳士、中田七段と行方八段は無頼派系と、非常に面白い組み合わせと言うことができる。

かたや、升田幸三実力制第四代名人門下は桐谷広人七段。

中田七段、行方八段とは雰囲気は異なるものの、テレビで大人気になるほどのユニークな持ち味だ。

桐谷広人七段、中田功七段、行方尚史八段。名前を見ただけで微笑んでしまいそうになる個性豊かで愛されるキャラクターの棋士が、数少ない大山門下・升田門下であるところがまた面白い。