将棋世界1992年12月号、豊川孝弘四段(当時)の第4回富士通オープン将棋トーナメント〔2回戦 豊川孝弘四段-永森広幸アマ〕自戦記「世の中そんなに…」より。
こんにちはっス!
豊川孝弘です。
昭和42年2月20日生まれ25歳。身長180cm、体重72kg。血液型はB型。彼女いない歴(ねるとんの番組じゃないって)は置いておいて、現在独身。
趣味は映画鑑賞。これまでに見たもので一番印象に残っているのはゴッドファーザー。それとターミネーター2。アクション系はほとんど見るようにしている。
スポーツはサイクリングとウエートトレーニングが好き。
えっ、ママチャリでうろうろしてるだけなんでしょ、って。いえいえそんなことはありませんよ。スポーツ車に跨がり、東京→松本までの240kmを平均速度30kmで休憩込みで9時間で走破した経験がある。その他にも伊豆半島、能登半島と色々なところに出掛けた。で、どんな時も東京に帰ってきての第一声が、尻が痛え~。
とにかくハードなのがいい。
ウエートトレーニングも気合十分!
ベンチプレス95kgを手始めに、腹筋、背筋とありとあらゆる筋肉を鍛えた。
ウエートの好きな土佐浩司六段、大野八一雄五段と三人で行くともう滅茶苦茶。3時間プレーし続けて、見ていたインストラクターが、
「もうやめた方がいいですよ」と言うぐらい。家に帰ったら筋肉痛で熱が出たほどだった。
握力は右が65kg、左が60kg。
りんごを持ったら、ハイ、ジュース。
なんてことはある訳ないか。
あっ、自分のことばかり長々と話してすいません。
富士通オープン将棋トーナメントに出場出来て、本当に嬉しいっす。
(中略)
「豊川君は強いねえ、もうちょっとで大枚の賞金がもらえるじゃない」
何人となくこう言われて、からかわれることがある。
本誌の原稿を書きながら、他誌の企画での活躍を言うのも変だが(編集長ゴメンナサイ)、『近代将棋』のアマプロ戦で現在9人抜きを果たしていて、あと一人で大枚50万円を手に出来るのだ。
ウレピー(もちろん勝てばの話だが)。
相手は菊田裕司さんで、10月17日に対局することになっている。
本棋戦でも対戦する可能性があり、ダルマに両目を入れたいと思うのはちょっと自信過剰かな。
ちなみに四段になってからのアマプロ戦は本局前まで12戦全勝。
気合だけでものを言う豊川孝弘です。
(中略)
『舞台を見続ける観客は、バレリーナのフィナーレを固唾をのんで見守っていた。曲は次第に激しさを増して響き渡り、線形の手脚が円を描く。その動きが激しくなるたびに”美”というものに対しての感動がこみ上げてきた。
バ~ンという音とともに静寂がおとずれた。舞台には鶴が一羽。万雷の拍手が沸き起こる。そして鶴は飛び立って行った』
中学生の頃に読んだ小冊子の一節。
これを読んだ時に、見せる側か、見る側か、どちらの人生を歩むのかな、と考えたことがある。
答えは前者になった。
それでもプロとして何を見せられるのか。勝つことだけか。いや、そんなことはない。勝つための、見せる芸も必要だと思っている(なんてネ)。
△6五桂。
これを発見できて本当に嬉しかった。
(中略)
「豊川君、また勝ったんだって。本当にアマには強いねえ」
対局が終わった翌日、また言われてしまった。
よ~し、こうなったら某誌の10人抜きも果たし、こちらも優勝するか。
しかし、待てよ。世の中そんなには、”アマ”くはないか。
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豊川孝弘四段(当時)は、この後、近代将棋でのアマプロ戦で10人抜きを果たし、50万円を獲得する。
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豊川四段の自戦記の文中に「ウレピー」と出ている。
”うれピー”は酒井法子さんの「のりピー語」の一つ。とても嬉しい時には”マンモスうれピー”と表現される。
後年、豊川孝弘七段は「お願いしマンモス」など、のりピー語である”マンモス”を解説の時に使い始めるようになるが、その片鱗はこの頃から現れていたと言える。
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同様に、最後に書かれている「”アマ”くはないか」も、ダジャレ・オヤジギャグの名手である豊川孝弘七段の萌芽の頃と見ることができる。
まさに、三つ子の魂百まで。
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今日の名人戦第4局一日目のニコニコ生放送での解説は豊川孝弘七段、聞き手は藤田綾女流初段。→ニコニコ生放送
豊川七段のどのような新手が炸裂するか注目だ。