将棋世界1992年9月号、鈴木輝彦七段(当時)の「対局室25時 東京」より。
特別対局室は佐藤(大)-藤井戦が5図。植山-関根戦が6図になっていた。
6図は若手の植山五段が指せそうだったが、5図はベテランの佐藤先生が充分ではないかと思った。四段と九段で上の方が勝ちそうなのを番狂わせのように書くのはおかしいが、実際にはそうした雰囲気はある。
で、ここは往年の力を出して「佐藤勝ち」としてほしい気持ちは私の中にも少しあった。
しかも、5図から△3三桂(7図)と指すくらいしかないのでは楽勝に見えた。順位戦では若手に2連勝しているのも追い風になっている。
ところが7図から3分の少考で指した▲6三歩成以下△同飛▲7二角として難しくしてしまった。「これくらいで」と思ってしまったのも無理はないが、一歩を渡したので△3五歩の楽しみをあたえてはつまらなかった。
7図では筋悪く▲7四銀(A図)と指せば次の歩成りが受からず楽勝だったようだ。
筋のいい方に目が行くベテランの勘が災いしてしまった。その辺が自分でも歯がゆいらしく「持ち時間が6、7時間ないと勝てない」と局後も残念がっておられた。
(以下略)
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その腕力の強さと豪快な棋風から”薪割り大五郎”と呼ばれていた故・佐藤大五郎九段。
A図の流れの方が薪割り流らしく思えるのだが、よくよく考えてみればバサッと豪快に斬る(割る)のが薪割りなので、7図からの△6三歩成~△7二角の方が正統薪割り流になるのだろう。
7図の左半分だけを見ていれば▲6三歩成~▲7二角が正しい攻め方だが、先手の桂頭に弱点を抱えている状態では筋が悪くて重く見える▲7四銀が正解になる……奥が深い。
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”薪割り大五郎”の佐藤大五郎九段と”ハンマー猛”と呼ばれていた藤井猛四段(当時)。
二人の共通点は腕力が強くて四間飛車が主力戦法であることで、ニックネームのコンセプトも似ている。
しかし、藤井猛九段の棋風は佐藤大五郎九段よりもむしろ大山康晴十五世名人の方に近いと言えるだろう。
佐藤大五郎九段全盛期の勝局を何局か見てみたが、相手が城内に斬りこんで来るのを物ともせずに相手玉の首を取りに行く中・終盤。
現代では小林裕士七段の猛烈な攻めが薪割り流の中・終盤の雰囲気を持っているかもしれない。
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