名人戦、森下八段に対する羽生名人の二手目△3二金(後編)

甘竹潤二さんの第53期名人戦第4局〔森下卓八段-羽生善治名人〕観戦記より。

森下羽生1995年名人戦第4局34

 盤上は森下の角切りの勝負手から成銀を作ったところ。ただし控え室の反応は冷たく、図から△5一飛で羽生よしという意見が大勢を占めていた。対して▲5五歩なら△4五角、また▲5五成銀と引けば△同飛▲同歩と飛車を切って、やはり△4五角が厳しい。ついで▲5八金には△6九銀がある。二枚の角がよく利いているのだ。

 ところが羽生はわずか2分で単に△4五角から△3六角。今日は控え室の研究がよくはずれる日である。

 森下の▲5八銀(8図)が好手で、今度は羽生が次の一手に悩まされることになる。

(7図から△4五角▲5五成銀△3六角▲5八銀)

森下羽生1995年名人戦第4局4

 順位戦では難解な終盤戦を迎えても悠然と構えていることの多い森下だが、本局ではまだ中盤だというのに正座とあぐらを何度も繰り返したり、記録係から棋譜を取り寄せたりと動きが多い。

 ポーカーフェースで、時折とぼけたような表情を見せる羽生とは対照的だ。

 さっきから対局室に迷い込んだ気楽なアリがあちこち動き回っているのだが、二人とも気づいていないんだろうな。

 図の▲5八銀と引いた手が冷製で、羽生の指し手が難しい。ただし苦戦を意識していた森下は、△6六歩と垂らされて悪いと思っていたという。

(中略)

 ところが羽生は24分で△5四歩と打った。

 「ウソでしょう」と控え室。森下も「びっくりしました」と△5四歩が意外だったことをほのめかした。

 たとえは悪いが、いかにも筋の悪いアマチュアが指しそうな手で、3六の角の退路を止める△5四歩はフツウのプロなら浮かばない手なのだと言う。

 △4四成銀を誘って△6四飛とサバいたものの、控え室は森下が”指せるはず”という見方が大勢を占めていた。”指せる”ではないのは、あの羽生だから?

 以下、一本道の手順をたどって終了図△6八同飛成まで。ここで森下が次の一手を考慮中、夕食休憩になった。「フーッ」と羽生が大きなため息をつく。今日、何度目のため息だろうか。

 さて9図。気になるのは▲7七角の王手飛車だが…。

(8図以下、△5四歩▲4四成銀△6四飛▲3四成銀△6八角成▲同飛△同飛成)

森下羽生1995年名人戦第4局5

 アマチュアなら喜んで打つ▲7七角の王手飛車。実は控え室でもこれを予想していたのだが、森下は「△同竜▲同桂△7九飛で自信がなかった」と言う。

 「▲3三歩と打って、守りの駒をはがしてから▲7七角か。森下さんは好調だね」

 控え室ではそう話していた。ところが羽生は▲3三歩に△同銀ではなく△同桂と取った。エッ、と控え室。

 羽生「銀を持たれると、相手の受けが楽になっちゃうから」

 やや非勢を意識している羽生とすれば、桂頭をねらわれても攻め合いに妙味を求めた方が得策という見方なのだろう。これが羽生流の大局観なのだ。

(9図以下、▲3三歩△同桂▲3五成銀△5九飛▲3四歩△2七角成……)

(中略)

森下羽生1995年名人戦第4局6

 さて12図をご覧いただこう。まだ森下陣は簡単に寄りそうには見えない。ところが羽生はこれから控え室もびっくりした”逆モーション”の寄せで決着をつけてしまうのである。

 ちょっと考えてみてください。たぶんプロを含めてだれも思いつかないはずである。それほどの”異常感覚”なのだから。

(12図以下、△3七歩▲同金△1五桂▲3八銀△3九金)

森下羽生1995年名人戦第4局7

 ぎりぎりの終盤戦で必要なのはヨミの力であって、序盤に存在する感覚や個性は、寄せとは無縁のもの。記者はそう思っていた。だが、羽生は殺伐となりがちな終盤戦に強烈な個性と、そして夢を注いでくれた。

 △3七歩~1五桂~3九金という奇妙な寄せをどう表現したらいいのだろう。△3七歩▲同金と3八に逃げ道を作ってから△1五桂と打ち▲3八銀とわざわざ2九の桂にヒモをつけさせてから△3九金。

 森下が思わず「面白い手順でしたね」とつぶやいた寄せ。後手後手の逆モーションにみえて、実は終了図ではすでに先手に適当な受けがない。△3七歩で単に△1五桂は▲3六銀と逃げられ、後から△3七歩と打っても今度は▲同角で後が続かない。3七に金をつりあげてから△1五桂、3九金が絶妙な手順なのだ。

(13図以下、▲6九歩△7八竜▲2六角△5八竜▲1五角△6九竜右▲2八玉△3八金▲同金△2七銀まで、羽生名人の勝ち)

(中略)

 一時間半に及んだ感想戦の後、打ち上げ。その後、羽生は娯楽室でコンピュータのチェスと深夜三時まで奮戦、森下は別室で日浦六段や勝又新四段らと”二手目△3二金”談義に興じた。勝又四段によると△3二金を一番やられているのが森下で、三連敗を喫したこともあるという。

 森下「以前、僕は二手目△3二金は志が低いと言ったけど、おこがましかったかもしれません。それが勝負で最善と思えば……。羽生さんは勝負かけてきました」

(以下略)

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森下卓八段(当時)の「二手目△3二金は志が低い」という問題提起に対して、羽生善治名人が身をもって回答を示した形となった一局。

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1970年代初頭に販売されていた次の一手問題集では、二手目△3二金に対して正解手は▲7五歩だった。

その当時に振り飛車の理想型と言われていた石田流本組に組めることが確実となるのがその理由。

昔の図

石田流本組が振り飛車の理想型と言われなくなったのは1971年頃から。

中原誠十六世名人の対策によるところが大きい。

石田流の悲劇(前編)

石田流の悲劇(後編)