原田史郎(中平邦彦)さんの第36期王位戦第4局〔羽生善治王位-郷田真隆五段〕観戦記より。
1996年の将棋ペンクラブ大賞観戦記部門大賞の作品。
風が舞うように、羽生王位が対局室に入ってきた。開始七分前である。部屋中にピリッと緊張が走る。
茶人が好むような渋い薄ねずみ色の和服が良く似合う。顔は青白いが、これはいつものことで、体調は良さそうだ。
追いかけるように郷田五段も登場した。こちらも渋い薄茶の和服。その姿は、一陣の涼風が吹くようなさわやかさがある。
(中略)
この二人、盤の前に座ると、別人のように将棋に没頭できる。切り替えのうまさが共通している。明日の作戦を考えて眠れないほど悩むということはない。
ある程度、作戦は考えるだろうが、やはり盤の前に座ってから始める。特に郷田がそうだ。
そして序盤から、終盤まで意識した激しくゆるまぬ内容。二人の対局は手数も短く、ぶつかった瞬間に勝負が決まっている趣きがあって、一日目から烈しく、面白い。
羽生と郷田の対決を見ていると、私たちは何をしてきたのかと思う、と感想を漏らすベテランもいる。将棋の最善、最短の道筋を、一人で探っている。そんな感じがする。
(中略)
「香落ちはダメですが、角落ちなら辛勝でしょう」
将棋神様と指したらどうか、の質問に羽生が答えた。言語界の奇才、柳瀬尚紀さんとの対談「対局する言葉」(毎日コミュニケーションズ)にあった。
こんなことを、かつてどの棋士が語ったろうか。自信とファンをわくわくさせる発言である。
かつて芹沢九段と囲碁の藤沢秀行九段が、将棋・囲碁の真実をどのくらい分かっているかを紙で書きあったら、二人とも「百のうち五か六か」で一致した話があった。将棋の奥はそれほど深いのだが、その深淵が羽生には見えるらしい。
神様は百知っていて間違わない。芹沢の認識は「一兆半はダメだが二枚なら」とい訳だが、羽生は一枚違う。平成の将棋ファンは、こんな天才を同時代に持って幸せだ。
(中略)
「将棋をつきつめるとどこに行くのか。その風景を見てみたい」
郷田は新聞インタビューでそう語っている。
打倒羽生やタイトル獲得といった目の前の実質ではなく、将棋の内容に迫っていく姿勢はひたむきで美しい。そして、剛直に、ストレート勝負を挑む。だからこそ、最強の羽生相手に五分の勝負を戦えるのだろう。
郷田はまた、「対局室にいる時が一番自分が自分らしいと感じられる」と語っている。羽生もそうだろう。だから息が合い、激烈でゆるみのない将棋が生まれる。そして、この二人には、いささかの盤外作戦もない。
先譜で「神様と角落ちなら」との羽生の言を紹介したが、これを内藤九段に話したら、笑って言った。
「神様が盤外作戦をしなければね。自分がしないからそう言えるんやろね」
神様の盤外作戦とは、例えばどんな?と聞くと、
「そら、地震を起こすとか、奥さんに告げ口するとかや。ひとたまりもない」
盤に戻ろう。
郷田は8四角から7三桂と、着々と攻撃態勢を整える。
(以下略)
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一番自分が自分らしいと感じられる時、っていつなんだろうと、しばしば考えることがある。
「もう一軒行きましょう」
と酔っ払いながら言っている時なのだろうか。いや、そんなことはないはずだ、、と信じたい。
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将棋の神様の盤外作戦とは、さすが自在流の内藤國雄九段ならではの発想だ。
しかし、奥さんへの告げ口は人間でもできる。
将棋における最強の盤外作戦は、「奥さんへの告げ口」ということで決まりかもしれない。