「対局日誌」から「新・対局日誌」へ

将棋世界1995年1月号、河口俊彦六段(当時)の「新・対局日誌」より。

 10月のある夜、私は順位戦を戦っていて秒読みに追われていた。といっても頭に血が上っていたわけではない。負けとあきらめているので、妙に醒めていた。

 深夜、午前零時を過ぎると、大広間のあちこちで戦いが終わり、感想戦が聞こえてくる。「ひどいことをやった」「バカだなあ」「こう指せばボクが勝っていただろう」などなど、終わったときの第一声はだいたい同じようなものだ。

 ボヤキ声が前後左右から聞こえ、だいぶさわがしくなった。いつものことなので気にならなかったが、向こうの部屋の丸山五段の笑い声が耳についた。悔やんだり嘆いたり、自慢したり、の声のなかでの笑いに、ある種の違和感のようなものが感じられたのである。

 そのうち、思いもかけぬ「静かにして下さい。ここはまだ終わってませんから」の一声が出て、あたりは静まった。しかし円山の笑い声は変わらなかった。

 私は丸山が笑っていることをとやかく言っているのではない。彼のマナーがわるいわけでもない。盤をはなれれば、だいたい笑い顔で、話しかけられれば、あいづちがわりにちいさく声を立てて笑うが、そんな日常の姿とまったく変わらない。

 丸山に負かされた西村八段が「受けがしっかりしているね」と言えば「ハア、ハッハッハッ」「24連勝もしたんだからね、強いはずだよ」には、やはり「ハア」と幼児のごとく無邪気である。それが対局中の私に、不協和音のように聞こえたのはどうしてだろう。なんとなく、丸山の勝ちまくっている理由の一つが判ったような気もした。

 かつて、内藤王位対高橋五段、中原王将対中村六段、中原棋聖対屋敷四段、等々で若者が勝ち、ファンを驚かした。私等も上位者達の負けっぷりに首をかしげた。どこかおかしいのである。

 もちろん理屈を言えば、盤上で悪手を指したからに決まっている。だが、そうして誤ったか、指し手の流れからは理解できない。なにか上位者に苛立ちのようなものが感じられ、それがミスの原因のような気もするが、対局者が言わぬかぎり、勝手な憶測にすぎない。

 たとえば、若者達に気に食わぬ所作があり、それを先輩が口に出して怒れるなら、かえってさっぱりする。ところが将棋の強い若者は、常に優等生である。なにか気に障ることがあったとしても、非難したり怒ったりすることができない。かくかくしかじかの事があったと他人に打ち明ければ、かえって馬鹿にされるだろう。私が丸山君の笑い声で頭がおかしくなった、などとぐちってもはじまらない。こちらが笑い者になるだけだ。

 そうして、ベテラン達の怒りは内にこもり、自分から負けてしまう。今の、谷川と羽生の対決にも、そんな気配が感じられないだろうか。

 どうも書いていてすっきりしない。事柄はあまりに微妙にして曖昧である。しかし、その訳の判らない所に、将棋界の味がある。

 順位戦の首のかかった大一番で、必敗も必敗、大必敗の将棋を拾ったある男が、平静をよそおって感想戦をやっていたが、ついにこらえきれず、手洗いに駆け込んでクスクス笑った、という話がある。クライなあ、正直に笑う丸山の方が、よほど好感が持てるが、なんであれ、喜怒哀楽をおもてに出さぬのがこの世界のエチケットとされている。

 ここで思い出したが、大山名人も勝った後、めったに笑わなかった。きっと帰りの車の中で、ニヤリとしていたのだろう。

 なにはともあれ、対局室には感動的な出来事や、肚をかかえて笑ってしまうような話もある。そちらに目を向けて、雰囲気をお伝えしたいと思っている。

(以下略)

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河口俊彦六段(当時)の「新・対局日誌」の連載開始の号の記事の冒頭。

「対局日誌」は、将棋マガジン1978年2月(創刊号)から1992年8月号まで連載されていたので、2年4ヵ月ぶりの誌面登場だ。

1992年8月号では次のように結ばれていた。

 さて、十年一昔というが、長らく対局日誌を書きつづけ、将棋界の一端をお伝えしえたと思う。いろいろな事情があって、このあたりで一区切りとしたい。歯切れがわるいが、その事情を書けないあたりに、筆を止める理由がある。

 いずれ、私自身リフレッシュしてまたお目にかかれる日も来よう。長らくのご声援を感謝します。

色々なことがあったのだろうが、多くのファンの期待に応える形で、将棋世界に所を移しての再登場。

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今年の3月に放送されたNHK杯戦〔準決勝 大石直嗣六段-丸山忠久九段〕の観戦記でも書いたことだが、 丸山忠久九段は常に自然体。対局前の控え室でも、特に精神統一をするとか瞑想するようなことはなく、ニコニコと関係者の雑談に耳を傾け、時には声を出して笑うようなこともあった。丸山九段が話に加わることはなかったが、その場にいることがとても楽しそうな、周囲の誰を
もほのぼのとさせてくれる雰囲気だった。

対局の前も対局の後も普段も自然体の丸山九段。

河口俊彦六段(当時)が感じた違和感は、そのような自然体から来るものだったのかもしれない。

午前0時頃の勝負を終えた後の修羅場のような環境で、午前10時頃に聞くような自然で健康的な笑い声が聞こえてくれば、異なる世界からの声とも聞こえてくるだろう。

河口六段は、次のようにも書いている。

 現在、いちばん強いのは誰か。羽生名人である。

 では二番目といえば、丸山ではないだろうか。異論は多かろうが、すくなくとも、今のプロ将棋を代表するもの、とは言える。

羽生善治五冠、佐藤康光竜王、谷川浩司王将の時代、このように見通した河口六段。

丸山忠久五段が名人位を獲得するのは、これから5年後のこととなる。