森雞二九段「オレの弟弟子なんだ。まだダメな所も多いし、弱いけどいいヤツだ。応援してやってくれよ」

近代将棋1992年9月号、弦巻勝さんの「スター棋士になれるか 郷田四段追っかけ印象記」より。

近代将棋同じ号より。撮影は弦巻勝さん。

 四段になりたての郷田を初めて見た時は、なんだかひ弱そうな子供だなあという印象だった。

 私の親友でもある森雞二九段に聞くと「オレの弟弟子なんだ。まだダメな所も多いし、弱いけどいいヤツだ。応援してやってくれよ」そんな感じのことを語っていたのをよく覚えている。

 少し勝ちだした時も、新人にありがちな一過性のものと思っていた。私の考えが変わったのは、伊豆高原の青野八段宅に研究会と称して、森九段、中田宏樹六段、先崎五段、それに郷田と同行した時か。

 約束の前日、場所時間の確認に私の家に電話をくれた。当たり前のことではあるが、今の若い人にはそんなことすら、編集者の新人あたりには出来ぬ者も多い。

 兄弟子でもある森は研究会の当日、新宿駅で集合した時、すでに酔っ払っていて、心だけで動いている感じ。

 前日、真部八段宅での研究会の後、朝の7時まで飲んでいたという。私も真部宅に少し顔を出しているが、この計画があったので早目に引き上げていた。

 森九段と3日ともにしたら、普通の人間は体がボロボロになる。体力、精神力、並の人間の3倍はあると理解していないともたない。その辺のことはまた今度書く。

 先崎五段は例のごとく場のムードを明るく引っ張っている。本当に独特のセンスを持った男である。中田六段はそんなムードの波にしっかり乗っている。行動を起こすと、皆一団となるのは、棋士独特の感覚と思う。実に皆いい感じだ。

 青野八段宅では奥さんの入れてくれたお茶もそこそこに、研究会の将棋が始まった。私は今でもこんな時不思議な感じを受ける。彼ら全員が将棋盤に向かうと違う人間になることだ。麻雀をしたり、酒を飲んだり、そんな時は友人であり、仲間でもあるが、将棋の世界に入ってしまえば、すでにあちら側の人達だ。写真はそんな感じを私の気持ち以上に写してくれる。

 郷田四段がいい顔をしていた。読む顔が郷田の味を広げていた。こいつはもしかすると、タイトル戦で和服を着るかも。私は瞬間だがファインダーの中の彼から不思議な感じを受けた。

 将棋が終わってから、青野宅で酒盛り、ここは先崎の出番で笑い声がたえなかった。名人戦問題などのシリアスな話も出ていたが楽しかった。

 大変だったのは青野八段の奥さんで、自分の小さな子供3人の他に、5、6人もの大きな子供が、家の中で運動会を始めたようなものだから……。

「将棋指しはみんな子供みたい」とは奥さんの言。

近代将棋同じ号より。撮影は弦巻勝さん。

 王位戦の決勝も私は郷田を撮りに行った。勝ったら彼のいい顔を一般誌に載せたかった。きっと女性ファンも増えて、将棋界がもっと広がる、そんな想いだった。郷田は勝った。チャンスをものにするのは簡単なようで実は一番大変なこと。世の中、賞を取れそうで取れぬ者、決して少なくはない。

 棋聖戦第3局。今度は郷田の着物姿を撮りに行った。

「着付けの本を買って来て、家で練習したんですが……」と対局の朝、郷田はくったくなく宿の部屋で、着せ替え人形のような格好をして語った。ハカマを付けるより、着流しの方が私の目にはイキに見えた。

 これから谷川四冠王とずいぶんたくさん将棋を指すらしい。また一回りも二回りも大きくなるだろう。

将棋マガジン1992年9月号より。撮影は弦巻勝さん。

 第3局。郷田は負けた。打ち上げの後、私は彼と麻雀をした。その後郷田は碁を打ち、そして記者をつかまえ、朝まで将棋を指したという。アマチュア相手に郷田は何度も長考したという。勝負に負けると肩を落としてシュンとなる者もいるが、郷田は違う。

近代将棋同じ号より。撮影は弦巻勝さん。

 翌日、私はそんな郷田を写真に撮った。上手にすべって来たスキーヤーが、母親の前でころんだような顔をしていた。

「上手にすべって来たスキーヤーが、母親の前でころんだような顔をしていた」と書かれているのがこの写真と思われる。近代将棋同じ号より。撮影は弦巻勝さん。

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郷田真隆四段(当時)は、棋聖戦挑戦者決定戦で阿部隆五段(当時)を、王位戦挑戦者決定戦で佐藤康光六段(当時)を破っている。

この棋聖戦第3局の立会人が田中魁秀八段(当時)で、阿部隆五段も佐藤康光六段も田中魁秀八段門下。

田中魁秀八段は郷田四段に会うなり、「うちの佐藤がお世話になりましてぇ」と挨拶し、ひとつくらい(弟子に挑戦権を分けてくれても)ええんちゃうかと思うて」と、ウイットに富んだ出迎えをしている。

「うちの佐藤がお世話になりましてぇ」

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「郷田四段がいい顔をしていた。読む顔が郷田の味を広げていた。こいつはもしかすると、タイトル戦で和服を着るかも。私は瞬間だがファインダーの中の彼から不思議な感じを受けた」

弦巻勝さんの感性が鋭い。

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「オレの弟弟子なんだ。まだダメな所も多いし、弱いけどいいヤツだ。応援してやってくれよ」

森雞二九段独特の照れもあったに違いない。

郷田九段のその後の活躍は皆の知るところ。

森雞二九段の引退の際には、郷田九段が諸々を取り仕切り「森雞二九段のプロ棋士五十周年を祝う会」を開催している。

「森雞二九段のプロ棋士五十周年を祝う会」に参加する