愛知県で放送されなかった民放全国ネットゴールデンタイム将棋番組

将棋マガジン1996年9月号、神吉宏充六段(当時)の「禁断の戦法」より。

将棋マガジン1996年8月号より、撮影は中野英伴さん。

 TBSでゴールデンタイムに合計3週も放映された『輝く日本の星・羽生善治を創る』はご覧いただけましたか? NHKの対局や、早指し戦とは全く違った角度で将棋を見せる番組だったが、子供達の真剣な表情と負けて去る時の涙に、将棋を知らない人も画面に釘付けだったようで、上々の評判だった。

 何と言っても良かったのは、全国ネットの民放のしかもゴールデンタイムに、将棋番組が登場したことである。これまで将棋と言えば好きな人やファンに提供するものだったが、一般の、主婦や女性層が見る時間帯でそんな番組が出来たのが、現在の将棋ブームを物語っているとも言える。そして登場する棋士も個性的なメンバーが揃っていて、女学生に黄色い声で追いかけられた者もいるだろう(?)。

 この番組に出演していた名古屋の中山則男四段に1回目の放送前に電話をした。

「よう、則ちゃん(昔からの親友なので私は親しみを込めてこう呼んでいる)いよいよ今日やなあ。人気番組やから、きっと名古屋のファンも仰山見てるやろし、明日から『テレビで見ました』ってあちこちで声掛けられること間違いなしや、よ、この有名人!」

「……はあ、放送今日なんですか。でも晴れてるからなあ」

「??? 何言うとんねん。晴れてるんと有名人になるんと、どう関係あるねん」

「それが大アリですねん。晴れてると放送されへんのですわ」

「え~、ゴールデンの番組が放送されへんって、そんなことってあるんかいな」

「ええ、名古屋ではあるんですわ。TBSって、こっちではCBCになるんですけど、そのCBCが中日の試合があるとゴールデンは野球やってまうんですがな、もも。そやから晴れてると私映らんから有名人になれまへん」

「そやったんか。でもええやん、そのかわりに来週に1回目の分やるんやろから。それやったら、1週延びただけやと考えたらええねん」

「それがですね、来週もCBCは野球になっとるんですわ。それにもし雨降ったとしても、今週分はもう放送せえへんらしいんです。だから永遠に名古屋で見れんっちゅうことですわ、もも」

「そ、そんなことって……」

(1週間後)

「どや、則ちゃん。大阪は雨降ってるし、天気予報でも名古屋は雨マークになっとったで。これは流石に野球中止やろ」

「もも。天気予報はあてになりまへんなあ。こっちは快晴ですわ」

「ということは……?」

「当然野球中継で、今週もナシですわ」

 オンエアされなかったこの2回は、中山四段の出ている場面も多く、放送されていれば名古屋の有名人だったはず。しかし聞けば3回目は野球中継がないとのこと。ということは初めて名古屋で彼の勇姿が映るわけだが、その3回目に限って中山四段の出番はほとんどないのだ。嗚呼、なんと不運な男だろうか。

将棋マガジン1996年8月号より、撮影は中野英伴さん。

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輝く日本の星』は、1996年5月から1997年3月までTBS系列(毎週水曜日午後8時~8時54分)で放送されており、司会は和田アキ子さんと古舘伊知郎さん。

様々なジャンルの期待の星を見出す、小学生を対象にしたオーディションバラエティ番組で、1つのテーマについて2~3週完結の方式だった。

『輝く日本の星・羽生善治を創る』(1996年6月12日、26日、7月3日放送)では、9歳以下の200人の子どもたちが挑戦、さまざまな関門を突破して、最後まで残るのは誰かを競った。

200人の中には、9歳の藤森哲也少年もいた。

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審査員として、二上達也日本将棋連盟会長、加藤一二三九段、石田和雄九段、神吉宏充六段、先崎学六段、山田久美女流二段、中山則男指導棋士四段。(段位は当時)

この時の数々のエピソードは、神吉六段が書いている。

石田和雄九段とぼやき

加藤一二三九段とチョコレートなど

加藤一二三九段と石田和雄九段

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中山則男指導棋士六段は、板谷進九段門下。

藤井聡太二冠は、小学1年から2年まで中山さんが代表を務める「栄将棋教室」に通っていた。

中山さんのエピソードも豊富だ。

豊川孝弘四段(当時)「人に情に燃えました」

坊主頭の村山聖七段(当時)

谷川浩司竜王(当時)のプロポーズの言葉

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「その3回目に限って中山四段の出番はほとんどないのだ。嗚呼、なんと不運な男だろうか」

1回目の放送日が6月12日、2回目の放送日が6月26日。

梅雨の真っ只中なのに2度とも雨が降らなかったというのも、不運に厚みを増している。

神吉六段によると、中山さんはこの当時、名古屋のスナックの帝王だったらしい。

中山さんが通っていた数々のスナックのママやスタッフも、がっかりしていたことだろう。