将棋世界1994年11月号、鈴木輝彦七段(当時)の「対局室25時 in 東京将棋会館)より。
特別対局室の行方-羽生戦は竜王戦の挑戦者決定戦で3図。解説は別頁に詳しいとのことなので、そちらを参考にして頂きたい。
ひ弱そうに見えた行方君が、これ程強いとは知らずにいた。去年の今頃はまだ三段で、代わりに稽古に行ってもらうと「羽生竜王を負かすのは僕しかいません」と酔っ払って言っていたそうだ。
かと思うと、病院から「家ダニによるゼンソクで死ぬかと思いました」と電話があったりした。
一人の生活の苦しさは私も経験したが、全てを将棋の滋養にしたのだろう。中でも「兄弟が大学に行くので送金をやめてもらい、今期は必ず上がります」と言ったのが強く印象に残っている。
それはそれとして、3図の後手の陣形は私がここ10数年、開発研究してきた「矢倉中飛車・左玉型」ではないか。玉が右に行くのはたまに現れるが、左へ行くのは私以外まずなかったのだ。
森下八段によれば「矢倉における最悪の戦法」「勝ちにくく、負け易い」という事らしい。これは、大むね他の棋士の評価でもあったと思う。
しかし、最近になって、その森下君が指せば、佐藤竜王もNHK杯戦で指している。そして、今日羽生五冠王がこの大事な将棋に指すとなれば、周囲の目も違ってくるだろう。
やっと、私の序盤感覚が理解される日が来たのだろうか。しかも、3図の陣形を得るまでに私は数十局負けている筈だ。それを、いい所だけ使うとは。
中国の故事に「水を飲む時、井戸を掘った人の事を忘れない」とある。羽生名人は義理堅い男である。もし、この戦法で挑戦者になったのなら、賞金の1%で必ずご馳走してくれるだろう(きっと、たぶん、恐らく、ひょっとしたらしてくれるような気がする)。
(以下略)
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この竜王背挑戦者決定戦第2局は、昨日までのブログ記事で取り上げていた王位戦第6局〔郷田真隆五段-羽生善治王位〕の1週間後に行われている。
羽生善治五冠(当時)は1週間で矢倉中飛車を2回続けて採用したことになる。
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将棋世界同じ号の木屋太二さんの第7期竜王戦挑戦者決定戦〔羽生善治五冠-行方尚史四段〕第2局観戦記より。
竜王戦の挑戦者決定戦に駒を進めたのは羽生善治名人と行方尚史四段。
羽生名人は本命中の本命で、大方の予想通り。一方の行方四段は、だれもがびっくりの穴馬券。
「普通に指していたら、向こうが勝手にころんで」と行方。
しかし、ラッキーばかりで、深浦五段、森内七段、南九段、米長前名人を連破できるはずがない。わずか1年。その間行方は、勝ち続けながら成長を続けたわけだ。
「七冠王になるのは、ここ1年が勝負」と言う羽生と、「パリ(竜王戦七番勝負第1局の舞台)に行きます」と宣言した行方。
(中略)
羽生先勝のあとをうけた第2局は、11日後の9月16日に行われた。対局場は前局と同じ東京将棋会館特別対局室。
戦型は羽生の矢倉中飛車。
「ちょっと、この戦法をやってみたかった。急戦ということではなく」と羽生。
対する行方は▲4六銀以下▲5六金と盛り上がる。堂々たる布陣だ。
(以下略)
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奨励会時代から行方四段を可愛がっていた団鬼六さんは、この時期、とても喜んでいる。団さんと行方四段のやりとりにはほのぼのとさせられる。
第2局も熱戦が繰り広げられたが、惜しくも行方四段が敗れる。