タイトル獲得をもたらせた娘の言葉

将棋世界1986年7月号、中平邦彦さんの「痛恨の一局 米長邦雄十段の巻」より。

 大器米長が初めて獲得したタイトル棋聖位。その初の防衛戦に迎えた相手が内藤國雄八段だった。このとき米長は30歳、内藤34歳。東と西のクニオ。実力、人気を二分する東西の激突に棋界は沸いた。

(中略)

 米長にとっては大事な初防衛戦。内藤にはこのタイトルをとれば九段になる五番勝負だった。

 1973年12月、師走のあわただしい中で行われた第1局は、先番の内藤が必勝形になりながら勝ちをのがし、米長の逆転勝ち。勢いにのった米長は第2局も押し切って、たちまち内藤をカド番に追い込んだ。

 そのまま1974年があけた。

 この2局目と3局目の間に正月をはさんだことが勝負の重大な伏線になる。

 

 正月。

 あと1勝で棋聖防衛である。米長にとっては楽しい正月だったはずだ。しかし米長の正月はそうではなかった。

 このとき米長は王将の挑戦を決めていた。王将は中原誠。生涯の宿敵中原に初めて挑戦するのである。それは米長が長く夢見た舞台であった。

 棋聖戦第3局は1月11日。

 王将戦第1局は1月16、17日。

 米長の頭の中は棋聖防衛と王将奪取で一杯だった。まずいことにこの二人、将棋がまるで違う。片や華麗で一日将棋、片や重厚で二日制。この二人を相手に戦わねばならぬ。

 どちらに照準を当てるか。

 そう考える内に、米長の頭の中には中原の顔が充満し、一杯に拡がってきた。中原に勝ちたいという思いが日増しに強まった。その心の内には、棋聖戦はあと1勝でいいとの思いもあったろう。

 戦いを前にしたとき、棋士はいろんなことをする。相手の棋譜を並べて研究する人が普通だが、米長流は違う。

 <相手が今、どういう生活をしているか>

 を見るのである。

 <戦いは技術ではない。人間と人間が、その人間の厚みを賭けて戦うのだ>

 これが米長の将棋観だ。

 そして米長の見た中原の生活は

<非の打ちどころなし。新宿のバーにも行かず、生活は安定していて、将棋盤が身体の中にめり込んでいた>

 その中原に比べ、わが身はどうか。

 とてもではないが品行方正とはいいかねる。その上に二人の強敵と同時に戦う煩悶。

 米長の心境は複雑に揺れていた。

 この心理が、対局前日のアクシデントにつながったと思う。

 第3局は東京の将棋会館が対局場だった。対局前日の10日、米長は九段下のグランドパレスに泊まり、翌日に対局場入りの予定だった。迎えに来たサンケイの梶川記者と一緒に家を出た米長は、ホテル入りする前に日本棋院に行き、碁を見て楽しんだ。

 それからホテルに入ったが、どうも胃の具合が悪い。それでも寝ようとしたが、夜中にひどい胃けいれんが襲ってきた。こういう場合、担当記者を呼んで手立てを頼むのが定跡だが、人のいい米長は担当者に気を遣わせまいとして知らせず、風呂を熱くして胃を温めた。だが疼痛は続き、結局、一睡もせずに対局日を迎えた。

 

 一方の内藤はどうだったか。

 対局前日、サンケイ大阪担当の福本記者と伊丹から飛行機に乗った内藤は、羽田から都心に向かうモノレールでこんな話をした。

 正月。2連敗の内藤は付き合いをすべて断り、自宅で静養していた。もうあとがないカド番である。気の重い正月だった。

 そんなある日、小一の次女のけいこのことが話題になった。習字とバレエのけいこが偶然重なったのでどちらに行こうかと娘が聞くので、夫人が月謝の高いバレエに行きなさいと言ったら、その通りのことを学校の作文に書いてしまった。ほんとに恥ずかしいと夫人がこぼしたら、突如、娘が口をはさんだ。

 「パパも将棋習ってるのね」

 「いや、パパは習うより……」と答えたが、そのときふと思った。

 <このごろは将棋を指すのが苦しい。これは習う心を忘れたからではないか>

 と。それからこう考えた。

 <そうだ。必ず勝つんだなどと力まずに、米長棋聖に教わるつもりで指せばいい。それなら何も苦しいことはない>

 何げなくもらした娘の無邪気な言葉が、内藤の気分を落ち着かせた。普通なら聞き流してしまうところだ。それを師の声のように聞けたところに内藤の充実が感じられる。

 モノレールのつり革にぶら下がりながら、内藤は笑いながらこの話をした。

 <いい話だ>

 聞きながら福本はそう思った。

 二人は四谷のニューオータニに入り、ごく自然に眠りについた。

 フーガ。先行する一声部の主題に対し、後続する二声部が対偶主題を提示し展開する対位法的楽曲。

 先行する米長の曲は微妙に揺れて乱れ、後続する内藤の曲は美しく調和していた。このフーガはドラマチックだ。そして、勝負は戦う前からついていた。

 しかし、戦う二人はそれを知らない。

(以下略)

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内藤國雄八段(当時)とお嬢さん、本当にいい話だ。

内藤八段は、この期の棋聖戦で、2連敗後3連勝して、棋聖位を奪取している。

中平邦彦さんの構成・文章が絶妙に素晴らしい。

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私が小学校の2年か3年の時の授業参観で、何人かの生徒が作文の発表をさせられた。私も当てられたので、自分で書いた作文を自分で読んだ。

ケーキを食べたら気持ちが悪くなったのだけれども、タクアンを食べたら気持ちの悪いのが直った、という内容だった。

家に帰ってから、母親の嘆くこと嘆くこと。

「家では滅多に食べさせてもらえないケーキを食べて胃が驚いて気持ちが悪くなったような誤解を与えるではないか」

「いつもタクアンばかり食べさせられているから、タクアンで落ち着いたように思われるではないか」

の2点を仙台弁で言っていた。

昔のケーキはバタークリームで覆われていたので、1個を食べ切るのがなかなか大変な時代だった。