「はやくはやく来て!羽生さんだよ」

羽生善治四冠(当時)が『進め!電波少年』に出演したときの話。

放送収録とは別の時。自宅キッチンにて。将棋マガジン1993年11月号より、撮影は弦巻勝さん。

近代将棋1994年5月号、湯川恵子さんの「女の直感」より。

 先日、池袋「スマイル」のママさんから電話があって、テレビ局へ行ってくれないかという。

 テレビ局ったって、どこ。

「日本テレビっておっしゃってた」

 誰がそうおっしゃったの。

「日本テレビの人だと思うけど」

 いつ?

「あしたの3時」

 明日というのは私は市ヶ谷で4時までかかる用事があったから所詮お役に立てないと決まったが、しかし妙な話だからもう少し詳しく聞こうとした。

 どこかで誰かがプロと将棋を指すからその審判長をしてくれという、何が何やらさっぱりわからない話だった。

 これはママさんが悪いんじゃなくて、彼女にその話をした最初の人の話の仕方が悪いのだろうと感じた。

 じきにまた電話が鳴って、男の声だ。

「え~話は聞いてると思いますが湯川さんハブさんて人、ご存知ですか」

 はあ……有名なプロですからねえ。

(3日前に京都で棋王戦第1局を見物してきたばかりだった)

「そのハブさんの家へですねウチの人間がアポなしで訪ねて行って将棋の対局をしようって企画でしてその際の審判をお願いしたいんです」

 …あのう、何かの番組ですか。

「アみていただいてないですか電波少年、毎回いろんな企画であちこちやっておりまして」

 …すみません、あまり見たことなくって。しかし羽生さんて四冠王で、お忙しい方でしょう。アポなしっておっしゃっても、そのう。

「アそのへんはまあご心配なく。で、あしたは夜遅くまで大丈夫ですか、たとえば9時とか10時までかかっても」

 いやその、夜遅いのはよろしいんですけど4時までは他の予定があります。

「いや3時に局へお願いしたいんですよ」

 なんなんだこの人。

 そうこうしているうちにひょいと彼が言った。

「あれ?湯川さんて、あのう…あっそうですかあ」

 は?

「えーとですねこちらは女性の若い人をお願いしたいわけでして、若くてシャレの分かる人なら助かるんですがねえ」

 むっ。なんなんだこの人っ。

 じゃ女流プロを頼むのが一番いいのではないかと言った。そのとき珍しく慎重に言葉を選んで、もぞもぞと答えた彼。

 勝手に意訳するに、どうもギャラは払いたくないらしい。

 とにかく、あした時間が空いていたとしても私はお断りするよりないのだった。タダ働きは割と好きだけれど、いくら将棋の用件とはいえ、友達でもない人のために何時間も拘束されてその上、もっと若いシャレのわかる人のほうがよかったなんて思われては、辛いわよ。いや、そんなことは今この原稿を書きながらくっつけた理屈である。

 一般のテレビ番組で将棋を扱ってくれるのは嬉しいから、電話中とっさに女流アマ棋界の名簿を頭に浮かべてみたのだった。でも彼の望むタイプでおまけに明日すぐのことを承知してくれそうな人は思いつかなかった。平日の昼間だものなあ。その晩、子供たちにこの話をしたらウワ~ッとかゲゲ~ッとか叫ばれ、なんでOKしなかったのかと叱られた。

「電波少年」たらすごくおもしろい人気番組で毎週必ず見ているという。

 数日後の夜、

「はやくはやく来て!ハブさんだよ」

 階下から子供たちが大声で叫ぶ。

 マンションらしい建物のドアを開けた羽生さんがくしゃくしゃの髪できょとんとした顔で、

「じゃあ、一局だけ」

 と言ったシーンだった。

 いえカラオケじゃないんですからとかなんとか後ろ姿のタレントさんが混ぜっ返し「一曲…?」とかなんとかの文字が映る。

 対局が始まった。羽生さんの方の陣形は、王様ひとつだけ。下手側は第1手、いきなり銀が上手陣にワープした。

「あ、あのですね、ダメです」

 苦笑して羽生さん、そのタレントに駒の動かし方から教えたらしいがむろんその時間はカットされて、次の画面は下手の玉が詰んだシーンだった。

 そして間もなくコマーシャルを挟んでまた別なコーナーへ移っていた。

 う~ん。呆れるやら何やら、まあ人気番組の限られた時間では、こんなものなのかなあとも思う。羽生さんが王様ひとつでどうやって駒を稼いでいって詰ませたか。その手順を詳しく見せたりしたらたいがいの子供たちはチャンネルを切り換えてしまうのだろう。

 富山での百面指しの時も、当時竜王だった羽生善治がよく承知したなあと驚いたし、本当に偉い人だなあと感動した。今回ももう、若いのに偉いとしか言いようがないなあ。

 いや、とってもシャレがわかる人なんですねえ。将棋は何も知らなくっても、王様ひとつで相手を詰ませた羽生さんの強さに憧れ、何かしら触発された子供が、一人でも多からんことを祈る。

 そうそう「審判長」とは棋譜の読み上げ係のことだったらしい。若くてシャレがわかってすぐ都合がつく女性は結局見つからなかったか、画面のその席には黒っぽい服の少年がふたり座っていた。

 日本テレビの「笑劇的電影箱・進め!電波少年」は、毎週日曜の夜の10時半からです。その晩は、私も子供と一緒に大笑いして見ていた。

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進め!電波少年』は、1992年7月から1998年1月まで毎週日曜22:30-22:55に日本テレビ系で放映されていたバラエティ番組。

松本明子さんと松村邦洋さんが、それぞれアポなしで著名人に様々な依頼をするという企画が中心だった。

羽生善治四冠(当時)のマンションへのアポなし訪問を敢行したのは松村邦洋さん。

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「明日というのは私は市ヶ谷で4時までかかる用事があったから所詮お役に立てないと決まったが」

湯川恵子さんは市ヶ谷の日本棋院での仕事。湯川さんは囲碁の観戦記も書いていた。

この時代の日本テレビの本社は麹町で、日本棋院からは歩いて5分もかからないほどの至近距離。

この1時間5分のギャップが解消できていれば、湯川さんが『進め!電波少年』に出演してくれていた可能性が高かったわけで、視聴者目線で言えば、本当に惜しい展開だ。

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「その晩、子供たちにこの話をしたらウワ~ッとかゲゲ~ッとか叫ばれ、なんでOKしなかったのかと叱られた」

私でさえ、結構観ていた『進め!電波少年』。

お子さんからこのような反応があるのは、明日の朝、太陽が東の空から昇るのと同じくらいに当たり前のことだったと思う。

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「はやくはやく来て!ハブさんだよ」

放送された時の動画を見てみると、

松村邦洋さん「(インターホンで)もしもし、あ、はぶよしのりさんのお宅でございましょうか」

羽生善治四冠「はい」(と同時に玄関の扉が少し開く)

松村「松村邦洋でございますけれども…」

羽生四冠の目が大きくなり、驚いた顔をしながら笑顔になる。

松村「羽生さんですね、羽生さんですか、ご本人ですか」

自然と二人は握手をしている。

松村「羽生さん、将棋で戦ってください」

羽生「は、あっ、もしかしてあの番組ですね」

羽生四冠はとても楽しそうな表情。

松村「将棋で戦ってください」

羽生「あっ、今ならいいですけど」

松村「お時間は大丈夫でしょうか」

羽生「あっ、じゃあやりましょう」

松村「勝負始めましょう」

羽生「一局だけですよ」

この辺でも握手したまま。

松村「イッキョク?なぜイッキョクなんですか。一曲じゃなくて将棋を戦います」

握手したまま羽生四冠は「?????」

この後、マンション(どこのマンションかは不明)の駐車場に用意された対局場に移動して対局という流れ。

終始、笑顔と優しさに溢れていた羽生四冠の好感度が高い。

「今回ももう、若いのに偉いとしか言いようがないなあ。いや、とってもシャレがわかる人なんですねえ」という湯川さんの感想そのものの世界だ。

その時の放送の動画→https://www.nicovideo.jp/watch/sm22696841

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この当時は将棋雑誌新年号に棋士の住所が載っていたけれども、羽生四冠の住所は八王子の実家のままだった。

このマンションの住所を知っているのは関係者に限られていたので、突然の来客にも、警戒感をあまり抱く必要はなかったのだと考えられる。

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番組では、対局の時の盤駒もきちんとしたものを使っていたが、このような気合いの入った番組でさえ、棋士のことを「将棋士」という言葉でテロップを入れていた。

棋士という言葉が日本全国一般的になるのは、この2年後の羽生七冠フィーバーを経てからとなる。

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この2年後の『進め!電波少年』、今度は松本明子さんが、三浦弘行棋聖(当時)に「私をお嫁さんにもらってください」と突撃をする。

あっTVを見ました。ファンです

 

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