羽生善治四段(当時)インタビュー(前編)

将棋世界1986年11月号、話題の棋士・ズームアップ「とべとべ天まで ―名人候補・羽生善治の全て」より。インタビュアーは木屋太二さん。

 残暑きびしい9月のとある土曜日、話題の羽生四段を炬口カメラマンと東京都八王子の自宅に訪ねた。八王子は、その昔、上州や信州の商人たちが横浜へ絹を運ぶ時に通った町。日本のシルクロードである。

 インタビューの約束は午後2時。これは羽生君の下校タイムに合わせたもの。彼はまだ高校1年生なのだ。

 この年頃の少年がどんな生活をしているのか―。羽生君と同年の息子を持つ炬口カメラマンから得た情報によると、マンガとアルバイト情報を読み、ラジカセでミュージックテープを聴き、ファミコンで遊ぶ。昼はスポーツ、夜は塾。異性への関心が高まり、将来を漠然と考える。夢と不安、悩みが交錯する―。これが平均的な高校生像らしい。

 こんな予備知識を頭に詰め込んで、記者は羽生邸へと向かった。が、わが将棋界のプリンス・羽生善治は、一般の高校生とはかなりかけ離れた少年エイリアン(異星人)であった。

 羽生君の住む家は国電・八王子駅から車で30分、バスで1時間のところにある。山峡の住宅団地。商店はおろかスーパーマーケットもない。無論、ゲームセンターもない。すぐそこに高尾山、城山が見える澄明な空気に包まれた住宅街―。

「ここは何もないところだけど環境は最高。善治が将棋が強くなったのはこの環境のおかげじゃないかしら。毒されるものが何もないから」

 出迎えてくれたお母さんがこんな風に話していた。玄関には王将の置き駒。その横のカレンダーには羽生君のスケジュールがびっしり書き込んであた。

 まず応接間で写真撮影。炬口カメラマンの注文にこたえてピアノに向かう羽生君。本文中でご覧の通りのこの写真は決してやらせではない。彼はピアノが弾ける珍しい棋士なのだ。ちなみに、写っている楽譜は安全地帯の曲。応接間には羽生君がこども大会で獲得したカップが17個飾ってあった。

 2階の羽生君の部屋でインタビューを開始したのは3時頃。”天才”の呼び声高い羽生善治とは、一体どんな少年棋士か?以下は、まとめてドーンと50の質問。

1.生年月日は?

―昭和45年9月27日。16歳。埼玉県所沢市で生まれ4歳の時現在の八王子へ。

2.家族構成は?

―父、母、長男、長女(中2)の四人家族。

3.血液型は?

―父がA型。あとは全員AB型。

4.身長、体重は?

―168センチ48キロ。まだ発展途上です。

(つづく)

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写真: DSC_0088

将棋世界1986年11月号、炬口勝弘さん撮影

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上の写真に写っている楽譜は安全地帯の曲と書かれている。

安全地帯といえば、「ワインレッドの心」か「恋の予感」が定番だが、一応調べてみた。

国立国会図書館サーチによると、1986年1月に、「安全地帯ピアノ・ソロ・アルバム : やさしく弾ける」(協楽社)という楽譜集が発売されているので、この本である可能性が高い。

安全地帯ピアノ・ソロ・アルバム : やさしく弾ける」に収録されている楽譜は21曲。

写真で開いているページが「ワインレッドの心」か「恋の予感」、と限定するのは難しそうだ。

きっと、妹さんがメインでピアノを習っていたのだろう。

それにしても、羽生善治四冠がピアノを弾いていたとは、私も初めて知ることだ。

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現在の男性の棋士でピアノが最も上手なのが金井恒太五段で、その演奏には定評がある。

郷田真隆九段も、小学生の頃にエレクトーンを習っていたと、NHK将棋講座7月号の「棋士道 ~弟子と師匠の物語~」で書いているので、子供の頃にピアノやエレクトーンの教室に通ったことのある棋士は、思った以上に多いのかもしれない。