羽生善治四段(当時)インタビュー(後編)

将棋世界1986年11月号、話題の棋士・ズームアップ「とべとべ天まで ―名人候補・羽生善治の全て」より。インタビュアーは木屋太二さん。

5.将棋をおぼえたのはいつ頃?

―6歳(小一)。近所の高木君に駒の動かし方を教わった。最初は負けてばかりだったが2、3ヵ月で対等に。それからすぐに追い越した。ぼくの将棋のルーツはここ。高木君がいなかったら今頃は普通の高校生になっていたと思う。

6.家族での対局は?

―全然なし。お父さんは駒の動かし方がやっとという程度だから。

7.大会初出場は?

―7歳(小二)の時。八王子で小学生の大会があるという新聞の広告を見て、お母さんに連れられて行ったが予選落ち。悔しかった。

8.道場に通うようになったのは?

―やはり7歳。八王子将棋クラブへ。15級と認定された。毎週土曜か日曜。早指しで4時間くらいの間に10局以上指した。

9.最初から強かった?

―とんでもない。道場へ通い始めて1ヵ月は全然勝てなかった。席主の八木下さん(将棋連盟八王子支部長)がおまけしてくれて一局勝ったら級を上げてくれた。とても嬉しかった。

10.アマチュア時代の昇級・昇段ペースは?

―記録がとってあります。「羽生善治殿 規定の勝率をあげましたので次回からあなたは10級で指して頂きます。昭和53年11月18日 日本将棋連盟八王子支部 八王子将棋クラブ」という認定証。

8級 昭和53年12月9日
7級 昭和53年12月26日
6級 昭和54年2月3日
5級 昭和54年5月3日
4級 昭和54年5月19日
3級 昭和54年9月8日
2級 昭和54年10月21日
1級 昭和54年11月17日
初段 昭和54年11月23日(9歳・小三)
二段 昭和55年4月5日
三段 昭和55年7月5日
四段 昭和55年10月2日
五段 昭和56年10月3日(11歳・小五)

カベとか苦しい時は特になかった。

11.将棋まつりの子供大会へは?

―4級くらいから。出ればほとんど入賞していた。その頃は先崎学君(現奨励会二段)が強くて一番も勝てなかった。年も近かったので彼が目標。その後もライバル視していた。

12.一般のアマ大会に出場したことは?

―小六の頃アマ名人戦の都下予選に出場。ベスト8まで進んだ。

13.小学生名人戦は何回目のチャレンジで優勝?

―4回目、小六の時。1回戦ボーイが2年つづいて3回目はベスト8。小学生名人になったのは今までの人生で嬉しかったことのひとつ。

14.奨励会入会は?

―昭和57年12月。6級で。

15.その時の成績は?

―受験者同士の対局で5勝1敗。奨励会員との対局が1勝1敗。6勝がノルマだった。70数名受けて合格は17名か18名。

16.師匠は?

―二上達也九段。先生が八王子将棋クラブの顧問をされていた。その縁で。入門する際に先生の家で飛落ちを一局教えていただいた。その将棋はうまく指せたのでよく覚えている。

17.アドバイスは?

―「小学生名人になった時、天狗にならないように」と言われた。

18.最初の昇級は?

―2ヵ月ちょっとで。9勝3敗。無駄なく上がった。

19.昭和57年12月に入会して60年12月に卒業。ぴったり3年の奨励会時代。一番長かったのは?

―初段から二段に上がる時で8ヵ月。Bに落ちたことはなし。1級の頃、2勝6敗であやうく落ちそうになった。これがワースト。

20.昇級、昇段の一番は?

―なぜか一回も負けたことがない。

21.精神力は強い方?

―自分では、そうでもないと思っている。

22.プレッシャーは?

―大分かかる。

23.棋風は?

―うーん、よくわからない。どんな将棋でしょう。七-三で攻めと思うが受けの場合もあるし……。

24.人と違うと思うところは?

―これもわからない。しいて言えばひどい将棋をひろうところですかね。

25.いわゆる自滅タイプではない?

―でも時々つんのめったりカッと頭に血がのぼったりすることもある。ぼくの場合、それが一局の将棋にまとめてくるようです。

26.コンディション作りは?

―特にしない。

27.対敵研究は?

―する時もあるし、しない時もある。研究すると却って不安になることもあるので。気分次第ですね。

28.データは?

―重視しない。マイペース。自然な気持ちで盤に向かうように心がけている。

29.居飛車?それとも振り飛車党?

―アマ時代は半々。奨励会から居飛車党に。現在は10局に1局くらいの割で飛車を振る。ちょっとやってみようかなという気分で。

30.四段昇段を決めた相手は?

―石川陽生三段(現四段)。一度10勝4敗でチャンスを逃したが、その星を無駄にせず13勝4敗で昇段。やった!

31.プロ初対局は?

―王将戦で宮田先生と。緊張しっぱなしでした。四段昇段以来の成績は27対局23勝4敗。(8月末現在)

32.長い持ち時間は?

―最初の頃は夕休前に終ることがほとんど。今は秒読みになることも。6時間の対局にも慣れた。

33.勝局と敗局は?

―勝った時はうきうき。負けた時は将棋のこと考えない。音楽を聴いたりして忘れるようにしている。よっぽど連敗しない限り落ち込まない。

34.性格は?

―ソフトな方。ガヤガヤ騒ぐのはあまり好きじゃない。

35.学校(都立富士森高校)では有名?

―クラスメイトは知っているようだけど将棋の話はしないから。

36.好きな課目と嫌いな課目は?

―好きなのは数学。苦手なのは体育。7月にマット運動をやっていて右手の小指を骨折した。

37.単位は大丈夫?

―心配。このペースでは危ない。対局以外では休まないんですが……。

38.最近見た映画は?

―中学の時から一度も見ていない。

39.ガールフレンドは?

―なし。

40.初恋は?

―……(照れながら)小学生の時。

41.趣味は?

―これといって特になし。野球のテレビ観戦くらいかな。大の巨人ファン。今年はぜひ優勝して日本一になって欲しい。

42.研究会は?

―桜井研、室岡研、高徳研、秋山研の四つに参加。

43.羽生流の将棋のつくり方は?

 ―玉を固めてから攻めるタイプ。ジックリ型。息の長い将棋。はげしいのはあまり指さない。実戦派タイプと思う。

44.一番重視しているものは?

―勢い、バランス。

45.好きな棋士は?

―二上先生、米長先生。終盤型の棋士が好き。

46.テレビは?

―「北斗の拳」、「めぞん一刻」を時々。

47.名人候補と言われているが?

―まだよくわからない。これからだと思う。

48.将棋界は自分に向いているか?

―一度も考えたことがないが向いていると思う。

49.勝負運は強い方?

―そうでもない。

50.羽生善治にとって将棋とは?

―”夢”をもてる仕事。大好きな将棋を緊張しながら指せることがとても嬉しい。

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写真: DSC_0089

将棋世界1986年11月号、炬口勝弘さん撮影

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羽生善治四段(当時)の自室の写真。

室内には天体望遠鏡が置いてある。

八王子の郊外なので、天体観測には最適な場所と言える。

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そういえば、2013年の第71期名人就位式で、森内俊之名人(当時)が記念品として天体望遠鏡を贈られている。

この記念品は、事前に希望する物のヒアリングがあったうえで贈呈されるもの。

第71期名人就位式・祝賀会(日本将棋連盟)

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実は私は、小学生高学年から中学1年にかけて、天体望遠鏡マニアだった。

望遠鏡で天体を眺めるというよりも、望遠鏡に関する本を何冊か買ってきて、それを読んでいるという派。

一度、親に玩具のような安い天体望遠鏡を買ってもらったのだが、すぐに分解して、使い物にならなくなった。

そのような私の経験をもとに見ると、羽生四段の部屋にある天体望遠鏡は口径が5cm~7cmの屈折望遠鏡で口径比はF10~F12、架台は経緯台。

架台がガッチリしているしファインダーも付いているので、エントリーモデルとスタンダードモデルの中間に位置する、きちんと急所が押えられた望遠鏡と言うことができるだろう。

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私が望遠鏡に興味を持っていた時期、欠かさず買っていたのが「天文ガイド」(誠文堂新光社・月刊)。

その後、将棋が大好きになり、「将棋世界」があることを知ることになるのだが、どの業界にも「天文ガイド」のような本がきちんとあるんだな、と中学生の私は感心したものだった。