「一足先に四段になった村山聖が杉本昌隆三段の将棋を『振り飛車の本格正統派』と評したことがあった」

将棋世界1995年9月号、故・池崎和記さんの「昨日の夢、明日の夢」より「杉本昌隆四段 四間飛車の無印良品からブランド品へ」。

将棋世界同じ号より。

 最近、タイトル戦で振り飛車の将棋をよく見かけるようになった。

 羽生-森下の名人戦では向かい飛車と四間飛車、羽生-三浦の棋聖戦では四間飛車と三間飛車、羽生-郷田の王位戦では四間飛車が登場した。

 その前の羽生-森下の棋王戦、谷川-羽生の王将戦、羽生-島の棋聖戦のときは、振り飛車は一局もなかったから、これは注目すべき変化である。

 タイトル戦以外でも、例えば谷川浩司が今年度に入ってから振り飛車を7局指している。トップ棋士がこぞって振り飛車を指すなど、この10数年来なかったことだ。振り飛車の優秀性が見直されてきた、ということだろうか。

 振り飛車は昔、棋界の花形戦法だった。大山康晴と升田幸三が棋界を制覇していた昭和30-40年代が最盛期で、プロもアマも振り飛車を指した。ところが50年代に入ってからプロ棋界の主流戦法の座は徐々に居飛車へと移行していく。

  振り飛車党が衰退したのは居飛車穴熊が猛威をふるったから、というのが棋界の定説である。10年前、僕が観戦記を書き始めたころは、すでに居飛車の全盛時代で、元振り飛車党が大勢いた。オールラウンドプレーヤーと呼ばれる棋士でも、めったに飛車を振らなかった。イビアナを恐れていたのだ。

 もちろん当時でも振り飛車党はいた。しかし彼等がタイトル戦に登場してくることはなかった。そのせいだろう、一部の若手棋士や奨励会員の中には「振り飛車では名人になれない」、「振り飛車ではタイトルは取れない」と、それを既成事実であるかのように話す者もいた。

 そんな時代に、関西奨励会で一人黙々と振り飛車を指していたのが杉本昌隆である。

 6級で入会したとき(昭和55年、当時小学6年生)は居飛車党だったが、5級に昇級したころから振り飛車党になった。以来、振り飛車一筋。三間飛車も中飛車も指したが、杉本が最も得意にしていたのは四間飛車である。

 振り飛車党といっても、杉本はいわゆる力戦タイプではない。むしろ、それとは対極にある棋風と言ってよい。

 三段になって間もないときだったと思うが、一足先に四段になった村山聖が杉本の将棋を「振り飛車の本格正統派」と評したことがあった。僕が「えっ?」と聞き返すと、村山は「全振り飛車党の中で唯一の本格正統派です。メチャクチャ格調が高いんですよ」と言った。

 この評は現在の杉本将棋にも、そのまま当てはまる。矢倉党のように序盤から緻密な作戦をたてて少しずつポイントを稼いでいこうとするので、およそ振り飛車党らしくない。

 こんなタイプの振り飛車党は杉本の前にはいなかったと思う(いたらゴメン)。いま藤井猛、久保利明らの若手が振り飛車で頑張っているが、彼らの将棋の作り方は杉本のそれとよく似ている。この新潮流ができたのは「杉本以後」と言っても、たぶん、はずれていないと思う。

居飛車も指したい

 1図を見てほしい。初手から数えて12手目の局面だが、これは現代四間飛車の基本形とも言える布陣だ。ここでは後手番のときの例を示したが、先手番のときも同様の構えをとる。

 後手は3一の銀が動いていない。玉も7一である。従来の四間飛車との部分的な違いは、この2点だが、これによって四間飛車の作戦の幅が大きく広がったと言われている。

 この布陣がプロ棋界に登場したのは4年前のことで、すでに500局近い実戦例がある。振り飛車の存亡が危機に瀕していた10年前を思えば、救世主が登場したようなものである。

 なぜ、この構えが優秀なのか。それをまず聞いた。

―3一の銀が動かないのは、どういう理由ですか。

杉本「立石流の含みを残しているのと、△2二飛と回る可能性を残していることですね。従来の△3二銀型だと、次に△4三銀と上がらないと△2二飛はできませんよね。また後手四間飛車の場合、△4五歩を突く将棋になりやすいけど、△4三銀の形だと、それはできない。飛車先を通すには、さらに△5四銀と上がる一手が必要になりますから」

―左銀の位置によって四間飛車側の動きがガラリと変わってくるわけですね。

杉本「いまは△3二銀すら上がらないときもある(笑)。それが振り飛車では当たり前。△3二銀までは上がっても、△4三銀までは上がらない。△8二玉を急がない、というのが現在の主流ですね」

―△8二玉を急がないのはなぜ。

杉本「振り飛車側が穴熊にしないつもりなら、△7二銀-△7一玉という組み方のほうが明らかに得ですから」

―どんな得ですか。

杉本「△8二玉と上がらずに戦いを起こせる可能性があるんですよ。実際、いま対左美濃では△7一玉型で戦うのが主流になっていますし、対穴熊にしても、そのほうが手は広いです。△8二玉の一手を他に使えるというのが大きいんですよ」

―立石流は優秀な戦法ですか。

杉本「僕自身は1回しかやったことがないんですよ。優秀な戦法だと思いますが、僕には合わない。立石流は基本的にさばきを主流にしていますよね。でも僕の振り飛車はさばきより押さえ込みを図るほうで、振り飛車にしては軽くないんです」

―居飛車側が▲9八香と上がった瞬間に△4五歩と突く形がありますね。杉本さんの得意戦法の一つですが。

杉本「△3三角-△3二銀の形で△4五歩と突くのか、それとも立石流のように△2二角-△3一銀のままで△4五歩と突くのか、という違いですね。より徹底しているのが立石流で、穴熊対策なんです」

―△3三角-△3二銀からの△4五歩は杉本流でしょう。

杉本「自分ではそう思ってるんですけど。でも最近は振り飛車党が増えたから、棋譜を見ても、だれの四間飛車かわかりにくくなっていますね。四間飛車は最近はコピー将棋になってきたと思うんですよ」

―ああ。

杉本「昔は実戦例が少なかったから、そういうことはなかったけど、増えてくるに従って最善手が突き詰められてきて、いまのような形になったんです」

―居飛車はどういう理由で指さないんですか。

杉本「指したいですよ。実際、研究会では矢倉も角換わりもやってますし。基本的なことは知ってるつもりですし、プロの実戦譜も並べてます。プロたるもの、どんな戦法でも指さなきゃいけないと思ってますから(笑)。ただ、これが公式戦で負けられない勝負だと思うと得意な戦法になってしまうわけで、そういう意味では踏み込みが甘いですね。三浦君なんか使い分けてますよね。横歩取りもやれば、矢倉もやるし、振り飛車もやると。ああいうタイプはすごいと思います」

―羽生さんや谷川さんもそうです。

杉本「最近は後手番のときだけ振り飛車をやるという棋士が増えましたね。僕も後手番のときは振り飛車は優秀な戦法だと思ってるんですが、先手番の場合、主導権を握れないという意味では若干、居飛車に比べたら劣るかなという面もある。これからは振り飛車党も、先手番のときは矢倉とか角換わりを指さなきゃいけないんじゃないかと思います」

―そうなれば居飛車党とか振り飛車党という分け方は意味をなさなくなりますね。杉本さんは四間飛車をやってて作戦勝ちを意識しているでしょう。

杉本「ええ、してます(笑)。作戦勝ちというか、作戦負けはほとんどしていないと思います」

―そうすると四間飛車はきわめて優秀な戦法ということになりますね。

杉本「負けにくい戦法だと思います。勝ちにいくときはどうかわかりませんけど」

―昔、僕は米長先生と谷川さんと一緒に飲みにいったことがあるんです。そのとき米長先生が「四間飛車に対して居飛車側は作戦勝ちができないんだよね」とおっしゃってました。

杉本「それはいつごろの話ですか」

―7年前ぐらい前の居飛車全盛の時代です。まだコバケンさんがスーパー四間飛車を指す前ですよ。杉本さんの、もともとのヒントはどこにあったんですか。奨励会に入ったころは大山先生や森安先生の振り飛車があって、最初はその影響を受けていたわけでしょう。

杉本「僕の場合、飛車を振ってるけど居飛車感覚というか……。居飛車穴熊が流行していた影響もあるんですよ。穴熊が流行するということは中終盤に重きを置いているということですよね。それなら振り飛車でも序盤で工夫すれば作戦勝ちできるはずだと思ったんです」

(つづく)

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「一足先に四段になった村山聖が杉本昌隆三段の将棋を『振り飛車の本格正統派』と評したことがあった。僕が『えっ?』と聞き返すと、村山は『全振り飛車党の中で唯一の本格正統派です。メチャクチャ格調が高いんですよ』と言った」

村山聖四段(当時)の言葉が、いかに杉本昌隆三段(当時)の振り飛車への取り組み方が時代を先取りしていたかを強く感じさせてくれる。

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「振り飛車の正統派」と「振り飛車の本格正統派」では、意味が全く逆になるのが面白い。

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「後手は3一の銀が動いていない。玉も7一である。従来の四間飛車との部分的な違いは、この2点だが、これによって四間飛車の作戦の幅が大きく広がったと言われている」

自分が振り飛車党でありながら四間飛車を指さないので、この2つの意味が今までわからなかった。

杉本昌隆四段(当時)の解説で、一気に疑問が氷解する。

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「三浦君なんか使い分けてますよね。横歩取りもやれば、矢倉もやるし、振り飛車もやると。ああいうタイプはすごいと思います」

この頃、杉本四段と三浦弘行五段(当時)の交流はあまりなかったと思われるが、後年、遠距離でありながらVSをやるなど、親しい関係となっていく。

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「負けにくい戦法だと思います。勝ちにいくときはどうかわかりませんけど」

「四間飛車に対して居飛車側は作戦勝ちができないんだよね」

四間飛車がプロでもアマチュアでも多く指されるのは、このような土台があるからなのだろう。

負けにくく勝ちにくいのが四間飛車だとすると、勝ちやすく負けやすいのが三間飛車のような感じがする。

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「僕の場合、飛車を振ってるけど居飛車感覚というか……。居飛車穴熊が流行していた影響もあるんですよ。穴熊が流行するということは中終盤に重きを置いているということですよね。それなら振り飛車でも序盤で工夫すれば作戦勝ちできるはずだと思ったんです」

居飛車穴熊は、穴熊に組むまでは自陣の右側にはあまり手を入れないので、振り飛車側がその間に作戦勝ちを収めようという考え方。

言われてみれば、非常に納得のできる論理的なアプローチだ。

村山聖四段が「全振り飛車党の中で唯一の本格正統派です。メチャクチャ格調が高いんですよ」と言った理由がよくわかる。