将棋世界1992年7月号、森信雄五段(当時)の「風景 阪田三吉のお墓」より。
「こんな奴は悪人で、早う助けにいかんと。悪い奴やなぁ」
私の祖母はいつも映画館で、声を出してブツブツ、いかにも明治の人だった。
そしてヒーローが登場すると、パチパチと拍手する。無邪気だった。
その横で、悪人でも斬られたらかわいそうやなぁと考えている、ひねた孫が私だ。
その孫が大きくなり、みやげを持って帰省すると、必ずタバコをお礼にくれた。
「いらないのに」と言うと、
「かまへん。いらんかったら道ばたに捨てといたらええ」
あっけらかんとして笑って、すぐにテクテクと帰ってしまう。
もう何年前になるだろうか。私は熱でうなされているとき、入院中の祖母が死んだ。
代わってくれたのかなあと思ったりする。
阪田三吉というと、なぜか祖母のことが浮かんできてしまう。
無邪気さと情の厚さ、そのあたりのイメージがだぶついてくるのだ。
私の阪田三吉像は、奇行の人ではなく、火のような反骨精神の持ち主、それに尽きる。
どうしても映画やドラマの「王将」のイメージがつきまとうが、実像とはかなり異なる面があるようだ。
その人となりには時代の背景がある。
阪田三吉は、時代に求められた人なのかもしれない。幸せだったかどうかは別として。
(以下略)
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将棋世界1994年7月号、森信雄六段(当時)の「風景 城下町篠山」より。
ガタンゴトンと列車に揺られながら「次はササヤマグチ」というアナウンスを聞く。
20数年前、田舎者の私は普通と急行の区別がつかなくて、目的地を通り越しこの篠山口まで来てしまったことがある。
「伊丹はまだ着かないのですか?」のんきな私は車掌さんにそうたずねた。
「エッ、伊丹ならとっくの昔、1時間前に着いているよ」と呆れ顔。私は青ざめた。
「お金はいらないから、篠山口から引き返しなさい」。とても親切にしてくれた。
社会人になった一日目のことで、勝手な行動も含めて、帰って大目玉をくらう。
(以下略)
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将棋世界1994年6月号、森信雄六段(当時)の「昆陽池」より。
伊丹は、私にはとてもなつかしい街だ。
高校を出て、ちょうど棋士を目指す前の一年くらい、就職していたのが伊丹だった。
寮生活だったが、仕事は別として、この一年はとても印象深くて忘れられない。
将来が見えない頃は、何でも手さぐりだ。
「将棋の道に入るので、会社をやめようかと思ってるんですですけどね…」
「考え直した方がいいんじゃないの…。あんた見てると、危なっかしいわ」
仕事場のパートのおばさんに話すと、そう言って心配してくれた。
でも、決断は早かった。それに、もともとすっからぴんで何もない。
「お前はどうせまともにやっていけそうにないから、勝手にすればいい」と仲間。
あれから20数年もたつ。この春から、伊丹の隣の宝塚に住むのも、縁かなと思う。
(以下略)
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阪田三吉が洋食店へ行った時のこと。
どのメニューがどの食べ物を指しているのかわからない阪田三吉は、「あそこの人が食べているもの」と言って、人数よりも一人前多い注文をした。
ウエイターが料理を運んでいくと、阪田三吉が「あんたも食べなはれ」。
いろいろと世話をしてくれたウエイターへの感謝の気持ちだった。
このエピソードが後世創作されたものなのか本当にあったことなのかはわからないが、どちらにしても、先人達が阪田三吉が情に厚い人であったことを伝えてくれているのだろう。
森信雄七段のお祖母さんも、涙が出るほど温かい。
森信雄七段は、このお祖母さんの影響も大きく受けているのだと思う。
森信雄七段の社会人一日目と一年目の話も、とても印象的だ。
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私は子供の頃、テレビドラマの時代劇で正義の主人公が沢山の悪人を次々と斬っていくのを見て、「なぜ、主人公の真後ろにいる悪人はこのタイミングで後ろから襲わないのだろう」とか「悪人は主人公と一対一で戦って、やられたら次の悪人が出ていってまた主人公と一対一の戦い。どうして皆一斉に主人公に斬りかかっていかないのだろう」と思い、「卑怯なことをやると、死ぬまでそのことを後悔するから、悪人とはいえそのようなことはやらないんだ」と自分に言い聞かせていた。
私も変わった子供だったに違いない。
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将棋世界最新号の上達講座「逃れ力をつけろ!」では森信雄七段の「逃れ将棋」が取り上げられており、森信雄七段が講師。
森信雄七段と編集部員の会話形式で進む講座で、随所に森信雄七段の口ぐせである「冴えんな」「冴えんね」が出てきて、とても嬉しくなる。
私は、将棋ペンクラブ大賞贈呈式で森信雄七段の「冴えんなあ」が聞けるのを今から楽しみにしている。
もし「冴えんな」が、スピーチの時もパーティーの時も一度も出なかった場合どうしよう。「お願いですから、一度、生で聞かせてください」と言うのも変だし……
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森信雄七段が将棋ペンクラブ大賞を受賞するのは三度目。
初回が1993年の第5回で、将棋世界1992年8月号の「風景 御蔵島行」が一般部門佳作、
二度目が2001年の第13回で、「あっと驚く三手詰め」が著作部門技術賞、
そして今回が「逃れ将棋」で技術部門大賞。
将棋の「凌ぎ」のジャンルを大きく切り拓いた作品だ。
あっと驚く三手詰 価格:¥ 998(税込) 発売日:2000-10-16 |
逃れ将棋 価格:¥ 1,080(税込) 発売日:2014-01-18 |
この6月には逃れ将棋2が出版されている。
逃れ将棋2 価格:¥ 1,080(税込) 発売日:2014-06-05 |