森内俊之八段(当時)「人間同士の戦いですから絶対的なものはないんです。だからそこは、ごまかしながらやっていくしかないです」

将棋世界1995年6月号、故・池崎和記さんの「昨日の夢、今日の夢」より、森内俊之八段(当時)「最大の勝負どころは『中盤』にある」。

将棋世界同じ号より。

 二人のA級八段が誕生した。24歳の森内俊之と、25歳の村山聖である。

 もう6、7年前になるだろうか。南芳一、塚田泰明、高橋道雄、中村修ら「花の55年組」と呼ばれる20代棋士の一群が、タイトル戦で大活躍した時代があった。”ポスト谷川”の期待を担ってひのき舞台に登場した彼らは「新人類」と呼ばれ、先輩棋士たちから次々にタイトルを奪って一つの時代を築いた。

 ちょうど、そのころにプロデビューしたのが、羽生善治を筆頭とする10代棋士たちである。

 羽生、村山、佐藤康光、森内。当時、島朗(花の55年組の一人)は、これら後発の新人群の才能に着目して彼らを「チャイルドブランド」と呼んだ。彼らはデビュー当初から圧倒的な勝率を誇ったので、「恐るべき子供たち」とも呼ばれた(ジャン・コクトーの同名小説とは関係ない)。

 いま、羽生は名人・竜王を併せ持つ六冠王。森内と村山は順調に昇級を重ねてA級棋士の仲間入りを果たし、前竜王の佐藤も後を追うようにB級1組に上がってきた。

 わずか数年の間に棋界の潮流はガラリと様変わりした。かつての恐るべき子供たちは、花の55年組をひのき舞台から引きずり降ろして、自らが時代の寵児になった。55年組の栄光は、いつのまにか記憶の彼方に追いやられたような格好である。

 今月は、その元チャイルドブランドの一員で、いまA級1年生の森内俊之にインタビューした。

(中略)

 インタビューに先立って、何人かの棋士に森内の棋風を聞いてみた。一番多かったのは「手堅い」「手厚い」という評である。「勝負にからい」「見かけによらず勝負師タイプ」という声もあった。

 森内は本来、矢倉を主体とした居飛車党だが、一昨年の暮れごろから振り飛車も盛んに指している。風変わりな将棋も何局かある。

(中略)

 ―何か心境の変化でも?

 B1は総当りなんで、ある程度、自分の好きなことをやって、負けても致命傷にはならないということで、いろいろ試してみたんです。B1は2回までなら負けられる、というのがありますから、類型にこだわらなくとも……。

―でも順位戦以外でも、いろいろやってる。

 勝つだけなら戦法を決めたほうが楽なんです。でも、いろいろ試してみたいという気持ちもありますし、自分でも戦法の幅が狭いと感じていましたから。対屋敷戦の中飛車は本戦出場が決まってて、あとは賞金だけの勝負だったというのもありますけどね。

 負けないと得るものがない。というか、負けを怖がって指してますと、いつまでも進歩がないと思いますので……。

(中略)

―森内さんは序盤から研究するタイプでしょう。

 ええ、試したい手はたくさんあります。

―まだ全部は出してない?

 そういう舞台に出ていませんから。相手が突っ張って来なければ、研究した変化にはなりませんからね。

―相手が途中で手を変えるわけだ。

 相手が妥協すると1ポイントぐらいのリードは残りますけども、でも、それは勝負に関係ない差ですからね。

―森内さんは持ち駒が多いですね。

 えっ、どういう意味ですか?

―つまり、どんな戦法でも深く研究していて、実際にはそんなにやらないけれども裏付けは持っている。それが”持ち駒が多い”ということですよ。

 ウーン。まあ、棋譜は全部、一応目を通してますが……。その戦法をやられたときに対策を用意しとかないと、その場で困りますからね。

―序盤で疑問に感じているところ、自分なりに克服しておかなきゃいけない形というのは、たくさんあるんですか。

 ありますね。でも先後両方やるわけですから、両方ともうまくいくということはあり得ないです。そこはジレンマですね(笑)。まったく違う立場で、お互い良くしようと思ってやるわけですから、絶対ジレンマが生じるんですよ。

 例えば後手番に自信がある変化があるとすると、その形の先手番は指しづらい。そういうときに相手の棋譜を調べたりして「これはやって来ない」とヤマをかけたり……。人間同士の戦いですから絶対的なものはないんです。だからそこは、ごまかしながらやっていくしかないです。

(中略)

 グループ研究会。以前は週1ペースだったが「現在は月に2回」だそうだ。

 一つは島朗、中川大輔、郷田真隆。もう一つは塚田泰明、小野修一、佐藤康光というメンバー。これ以外に、不定期だが米長道場で指すこともあるという。

―森内さんにとって研究会は必要なものですか。

 ええ、対局が多いときはそうでもないですけど。研究会は、とりあえず番数は指せますから反射神経の訓練になりますし、また、いろんな形を知ることができるというメリットもありますね。

―森内さんは研究会よりも、一人で盤の前に座って局面をにらんでる時間のほうが多いんじゃないですか。

 何となくつついてるだけですよ。

―普通の棋士なら見逃しそうな序盤の局面で、何時間も考えてる、というウワサを聞いたことがありますが。

 そんなこと、ないですよ。ただ、ヒントはその辺にいくらでも転がってると思いますから。

―いまの序盤戦でも、かなり疑問を持ってるんじゃないですか。

 ああ、それはありますね。ただ序盤は感覚の違いで、答えがないようなものですから。将棋は有限ではあるけど、人間にとっては無限みたいなものでしょう。そこをとやかく言っても答えが出るもんじゃないですからね。

―でも自分なりに疑問を持って対策を用意しているというのはスゴイ。

 あんまり役に立つことはないですけどね(笑)。

―でも、それを試す舞台があれば、やるわけでしょう。

 チャンスがあればやってみたいです。

―現実はそうじゃなくて、相手と考えが合わないから実現しないんだ。

 いつもそういうわけではないのですが、相手が踏み込んでこない変化というのはありますから。

―”踏み込んでくる相手”というのは、例えば羽生さんみたいな人?

 羽生さんとはやってみたいですね。どっちが正しいかわからないけど、見解のぶつかり合いというのは生じますから。あと郷田さんとか。

―ああ、郷田さんも踏み込んでくるタイプですね。彼は避けない。

 とにかく、指してみないことには結論は出ないと思うんです。

―頭の中だけでは結論は出ないですか。

 出ないですね。

(以下略)

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ある局面を後手番で指して勝った数日後に、同一局面の先手番を持って戦う。

羽生善治名人などにも多くあることだが、一見すると不思議な現象だ。

「後手番で勝ったものの、先手からこう指されると嫌な変化があった。だから今日はそれを試してみたい」というようなこともあるのだろう。

しかし、この時の森内俊之八段(当時)の回答は、現在ではそうではないのかもしれないが、「例えば後手番に自信がある変化があるとすると、その形の先手番は指しづらい。そういうときに相手の棋譜を調べたりして「これはやって来ない」とヤマをかけたり……。人間同士の戦いですから絶対的なものはないんです。だからそこは、ごまかしながらやっていくしかないです」という非常に率直なものだった。

たしかに、説得力がある。

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羽生善治名人、森内俊之竜王、佐藤康光九段が1990年代前半に所属していた島研が解散した時期は正確には誰も覚えていないということだが、唯一、森内俊之八段が島研に残った形であることが分かる。

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試したい手をぶつけるなら、相手が新手を用意していそうでも、その局面に踏み込んで真っ向からぶつかってくる羽生善治六冠(当時)か郷田真隆五段(当時)。

郷田真隆九段の将棋が男らしい、というのはこのようなところにも由来している。

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「負けないと得るものがない。というか、負けを怖がって指してますと、いつまでも進歩がないと思いますので……」

将棋の格言で日常生活あるいはビジネスの場に役立つものはあまりにも少ないが、格言ではないものの、この言葉は、本当にその通りだと思う。

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森内俊之竜王の「覆す力」が、今回の将棋ペンクラブ大賞文芸部門優秀賞。

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森内竜王は、2010年の第22回将棋ペンクラブ大賞技術部門技術体系賞「矢倉の急所(2)」に続いて、二度目の受賞となる。

2010年の時には、翌年の名人戦で、3年振りに名人に復帰している。

同じ年に「永世竜王への軌跡」で技術部門大賞を受賞した渡辺明竜王(当時)は、翌年、王座を奪取している。

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