将棋世界1995年8月号、スポーツライターの山崎浩子さんのエッセイ「羽生さんのエネルギー」より。
一生を通じて、決して関わりを持たないだろうなと思っていたのが、囲碁や将棋の世界。食わず嫌いというのだろうか、なんとなく難しそう、頭が良くないとできなさそう、やってる方々も気難しそう、等々がその理由である。
それがなんと、連載をしているスポーツ雑誌『ナンバー』誌上で、かの将棋界のスーパースター、羽生善治氏にインタビューすることになってしまった。毎回、気になる人、キラキラと輝いている人にご登場願っているのだが、スポーツ以外の世界の方々にも時々お願いしており、羽生さんに白羽の矢が立ったというわけである。
しかし……、困った、困った。スポーツの世界なら、多少分野が違っても理解できる可能性は大だが、果たして敬遠ぎみの将棋の世界のお話が理解できるのだろうか。羽生さんに会うまで、不安ばかりがつのる。ただひとつの救いは、公文式や明治ブルガリアヨーグルトのCMの羽生さんが、やけに可愛らしい、ということ。
いつにない気負いを持ちながらの、対面となった。『あ、やっぱり公文式の笑顔だ』と思いながらも、先にお詫びをするわつぃ。
「すいません。私、将棋ってですね……」
「はい、分かりました(笑)。もうできるだけ分かりやすく、はい」
こんな会話でインタビューは始まった。
「『棋は対話なり』って言葉があるんですよ。駒を動かしながら『ここまで陣地を取らせてください』っていうのに対して、『分かりました。そこまでだったら、ま、そのくらいは取るのを許しましょう』とか。『そこまで取るんだったら、私もちょっと我慢できませんから、戦いを起こしましょう』とか、そういう対話みたいなもので、対局が続いていくんですね」
なるほど……。
「将棋はテニスに似てるんです。テニスってトータルのゲームポイントで勝っても、試合は負けることがありますよね。で、サービスゲームを交互にやっていくとか、シングルスの場合、ひとりで流れを変えることに努力したりとか、そういうところが、すごく似てるし役に立ちますね。それに実力の差がないときに、どうやって差をつけるかっていうところも似てる。将棋の世界も、トップの人たちは、差がほとんどないんですよ。そのない差をどうやってつけるかっていうのが、いちばん大きな、みんなが考えてる課題だと思うんです」
う~む。『できるだけ分かりやすく』という羽生さんのその言葉通り、数分もしないうちに、私が抱いていた理解不能への不安はどこかへ飛んでいき、当然のことながら、私の気負いも解けていく。私の最大の関心事は、七冠を逃した彼の落胆ぶりと次への意欲。しかし、そのことに対しても、彼はこんなふうに答えた。
「七冠が今後獲れるかどうかについては、どっちでもいいと思ってるんですよ(笑)。それは獲れたらいいなとは思いますし、体力的に若いときじゃないとできないと思う。だから七冠は自分が20代のときの仕事というか、ステップアップしていくためにやるべきことなんじゃないかって気はしてますけど、七冠のために将棋をやってるわけじゃないですからね。僕の目標は、年に何局でもいいですけど、50年先、100年先の棋士が見ても、『あ、これはすごくいい棋譜だな』という、そういう棋譜が残せたらいいなと思うんです。いままでも、これはいい棋譜が指せたなあと思っても、しばらくすると、なんかまだ違うなあって思う。シミがひとつ見つかって、そういう意味ではまだ満足してないですし、不満なところは沢山ありますね」
この言葉を聞いたとき、彼の強さはここにあるのだと感じた。勝利を追い求めると、プレッシャーになる。けれど、夢を追い求めるとエネルギーになる。プレッシャーをはるかに上回る豊かなエネルギーが、羽生さんに、さり気なさと余裕を与えてくれているのかもしれない。
将棋の世界に、ほんの少し触れてみて、なんだかほんわかとした温かさに包まれた。食わず嫌いにならなくてよかったと、ちっとも気難しくなかった羽生さんに感謝!
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非常に深遠なことが、とても分かりやすい言葉で見事に語られており、あまりにも感動的だ。
テニスの例えは、一局の将棋の中でのことのみならず、五番勝負、七番勝負のタイトル戦でもいえること。
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「年に何局でもいいですけど、50年先、100年先の棋士が見ても、『あ、これはすごくいい棋譜だな』という、そういう棋譜が残せたらいいなと思うんです」という羽生善治六冠(当時)の目標。
この考え方が、羽生将棋の根底を貫き続けているのだろう。
羽生名人は、相手が悪手を指すとガッカリする、と言われることもあるが、この目標のことを考えると、とてもよく理解できる。
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羽生六冠は、この直後の1995年7月28日に畠田理恵さんとの婚約発表、翌年の2月14日に七冠制覇、3月28日に結婚式、という展開になる。
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山崎浩子さんは、新体操で全日本選手権5連勝、1984年のロサンゼルスオリンピック個人総合で8位入賞、引退後はタレントとして活躍し、その後、スポーツライターに。アテネオリンピック強化委員会新体操強化副本部長なども務めている。
「勝利を追い求めると、プレッシャーになる。けれど、夢を追い求めるとエネルギーになる」
このような説得力を持つ素晴らしい言葉も、オリンピックなどで修羅場を経験した山崎浩子さんならではのものだと思う。