藤井システム誕生前夜

将棋世界1995年9月号、河口俊彦六段(当時)の「新・対局日誌」より。

 プロの技術は進歩しつづけているのだろうか。

 たしかにトップの羽生は最高記録を伸ばしている。陸上の百メートルでいえば、9秒9から、9秒89にちぢめた。そんな感じである。

 では、それにつづく人達のレベルはどうなのだろう。これはなんとも言えない。

 日々新しい手が発見されている。進歩しているに決まってるじゃないか、若手棋士達はそう反論するが、失われつつある技術もある。この重要なことを、みんな気が付かないでいる。

 将棋の技術には、考えようによっては、精神面その他みんな含まれている、とも言えるが、話の都合上、技術と感覚を分けて考えると、人の考えていない手を指す、これが必勝の秘訣であるのは言うまでもない。大山名人によって、いやというほど思い知らされた鉄則である。

 4日。私が対局を終え、他の対局を見てまわっていたら、興味深い対戦を見つけた。藤井六段対行方四段戦である。

 ちょうど終わって感想戦がはじまったところなので、足をとめた。

 序盤の藤井君の作戦は奇想天外。左美濃に対し、1筋に飛車を回して、1筋、2筋の歩を交換。つづいて銀冠の銀を棒銀形にくりだした。

 後で「変な手を考えるね。研究してあったの?」と訊くと「いや、その場の思いつきです。林葉さんがあんな形を指していましたね」藤井君はケロリとしていた。そうなんだ、かねてから林葉さんはセンスがいいと思っていた。

 作戦がうまくいって藤井君が必勝。それが寄せをもたつき、行方君もお付き合いして、悪手、筋わるの連続。「こりゃ対局日誌のタネにしよう。久し振りに悪口が書ける」と呟いたものだった。

 もたもたした寄せ合いがつづき、1図の局面があらわれた。行方君が、△3六歩と取り込んだところ。こういうのは見る聞くない、▲同金と取る一手だ。

藤井システム前夜1

〔1図以下の指し手〕

▲2七金△5二玉▲7四桂△7二金▲6二歩(2図)

 両者1分将棋である。55、6、7と秒を読まれてパッと指す。見ていたわけではないが、そんな雰囲気だったろう。

 このとき藤井君は指す手を決めてきた。すぐ指さずに秒を読ませ、ギリギリになって▲2七金と寄った。歩を取らなかったのである。

 行方君は目を疑っただろう。藤井君が指さないでいる間、▲3六同金と読み、そこでどう指すかを考えていたのだ。それが▲2七金である。そんな手があるのか。行方君のカンは完全の狂った。そして、△5二玉、という「ここせ」みたいな手を指してしまった。

 △5二玉とやったために、▲4一銀不成が生じたのがひどい。むしろなにも指さなかった方がましなくらいである。

藤井システム前夜2

 2図となっては大勢決した。後手は粘りようがない。棋譜を見ると、この後十数手指して行方君が投了していた。

 行方君は、負けると人生に絶望した者のような表情になる。そして、フッと消える。

 控え室では、藤井君の仲間の中川六段が、観戦記者に感想戦の解説をしている。若手棋士の熱の入った感想戦は、メモを取ることも出来ないくらいである。言葉が省かれすぎている。ただ、その言葉を翻訳すると、膨大になって整理がつかなくなる。どこが急所か、訳が判らない。

 中川君が苦心して言葉を足していると、藤井君が覗きに来た。まだ終わらないの?という顔だ。日暮れどきで、これから楽しいことがあるのだろう。エレベーターの前の椅子に、藤井、行方に、記録係の中倉彰子さんが待っている。なんとなく高校の下校のときの有様みたいで羨ましい。

(中略)

 中川君の解説がつづいている。また藤井君が来た。ちょうど1図の場面で、「これ(▲2七金)には驚いたな」。中川君も首をヒネった。「どういう感覚かね」と藤井君に言ったら「いや、それでいいでしょう」。当たり前、という顔だった。

 棋士のなかにも、異常感覚の持ち主はいる。しかし、あそこで▲2七金を、当然の手として指すのは、藤井六段以外にいないだろう。そこで、強い、と仲間に認められる。

(以下略)

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藤井システムは、この年の12月に行われるB級2組順位戦、対井上慶太六段(当時)戦が第1号局となるが、この対局はその5ヵ月前に行われたもの。

藤井猛六段(当時)が参考にしたという林葉直子女流五段(当時)が指していた将棋とは、1990年12月13日女流名人位戦 中井-林葉戦で現れた戦型のこと。

戦い方は異なるが、左美濃の玉頭を攻めるという構想は藤井システムと共通している。

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この対局が行われたのが7月4日。

藤井猛六段は2ヵ月後に婚約を発表することになる。

中川大輔六段は、連盟野球チームである「キングス」で藤井六段の先輩。

真田圭一五段(当時)が慶應大学の囲碁部の女性たちを「キングス」の合宿に招待したのがきっかけとなり、藤井六段は奥様と知り合っている。

中川六段は、この翌年に結婚をする。

行方尚史四段(当時)はプロ2年目の21歳。

中倉彰子女流2級(当時)は18歳で法政大学1年生。

対局後の打ち上げ、といった感じだなのだろう。このような取り合わせの4人がどのような店へ行ったのか、とても気になる。