将棋世界1995年5月号、泉正樹六段(当時)の「公式棋戦の動き」より。
棋王戦
三浦-小野戦といえば7年程前は研修会での生徒と先生の間柄。その頃の三浦は現在では考えられない”わんぱく坊主”であった。
野獣幹事「小野さん、こんなタマが棋士になったら我々のおまんまも食い上げですネ」
小野幹事「ウーン、想像しただけでも恐ろしい。とてもこちらに勝ち目はないネ。でもこういうのに限って棋士になるんだ……」
7図は三浦が歩を払いつつ血気盛んに▲3六飛とした局面。対して小野は△2八歩▲3七桂△2九歩成と泣く泣くソッポの香を取りにいくよりなかった。
読者の皆様、さぞ不思議でしょう。ガオー△6八角成▲3四飛△7九馬▲3一飛成で金銀二枚取ったのに次の▲8一飛が強烈で後手勝てないらしい。小野は感想戦で「ウーン」を連発していたが、教え子が成長するのは嬉しい事やら悲しい事やら。
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三浦弘行九段が研修会員時代に腕白であったことは知っていたが、当時の研修会幹事だった野獣流・泉正樹五段(当時)や気骨溢れる故・小野修一五段(当時)がこうまで言うほどの腕白だったと知り、私も新鮮な驚きに包まれている。
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三浦弘行九段が研修会に入ったのは、中学に入学する直前のこと。
当時の将棋世界を見ると、三浦弘行少年の研修会での戦績は、
1986年4月 C2
1986年5月 C1に昇級
1987年1月 B2に昇級
1987年4月 B1に昇級
1987年6月 奨励会6級
C1時代が長かったようだ。この頃が最も腕白だった時代なのかもしれない。
将棋順位戦データベースによると、三浦弘行少年はこの後、
1987年9月 5級に昇級
1988年1月 4級に昇級
1988年3月 3級に昇級
1988年5月 2級に昇級
1988年8月 1級に昇級
1989年3月 初段に昇段
と、怒涛の勢いで昇級を続ける。
三浦弘行九段は中学3年(1988年度)の時に『将棋図巧』を解き始めており、この頃は当然腕白ではなくなっているはず。
三浦弘行少年が腕白を捨てたのはいつの頃のことなのだろう。
研修会B2に上がって以降、昇クラス、昇級の速度が上がっているので研修会B2時代ということも考えられるし、あるいは奨励会入会のタイミングとも考えられる。
どちらにしても、現在の三浦弘行九段からは全く想像もできない腕白な少年時代があったということが、三浦弘行九段の人間的な魅力に奥行きをもたらしているのかもしれない。
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(三浦弘行九段の研修会時代に関連したブログ記事)
→「中学生当時の三浦君は、口はへらぬし、ガサゴソ動きまわるしの腕白小僧で、およそ将棋が強くなりそうには見えなかった」