「中学生当時の三浦君は、口はへらぬし、ガサゴソ動きまわるしの腕白小僧で、およそ将棋が強くなりそうには見えなかった」

近代将棋1993年12月号、甲斐栄次さんの「アマプロ勝ち抜き戦 蛭川敦アマ対三浦弘行プロ」より。

甲斐栄次さんは甲斐智美女流四段のお父様。

 祇園精舎の鐘の音に諸行無常の響きあり、沙羅双樹の花の色は盛者必衰のことわりをあらわす―「平家物語」ではないが、猛き者もついにほろびるのが勝負の世界の習わしである。

 川上猛四段、真田圭一四段、杉本昌隆四段と手強い若手プロを次々に打ち負かし、にわかにアマ棋界の希望の星となった蛭川敦さんだが、惜しいかな、今回の対局をもって運気つき果て、本欄から姿を消すことになった。

(中略)

 四人目のプロ代表選手は、三浦弘行四段。昭和49年2月13日生まれ、19歳。小学生にしてアマチュア四段クラスの棋力を培い、中学入学と同時に西村一義八段門下で研修会に入会。去年10月、晴れて四段に昇っている。

 試合終了後に喫茶店で憩うた時に本人から聞いて思わず唸らされたのだが、今年の三浦プロの戦績は、この時点で驚くなかれ17勝4敗。実に8割を超える勝率だった。前号で僕は、真田プロを”前門の虎”、杉本プロを”後門の狼”にたとえてみたが、後門をやっとの思いで潜り抜けても、そこにはさえぎるもののない曠野がひろがるどころではなく、またしても若獅子とも青龍とも呼べそうな強敵が立ちはだかっていたのである。

(中略)

 三浦プロは個性的な棋士だ。対局姿を初めて見たのは将棋会館の大広間で。他の何組もの棋士達と肩を並べてNHK杯の予選を戦う後ろ姿だったが、彼だけが背広の下に白いワイシャツをはみ出させているのだった。朝寝坊でもしてあわてて着込んだものか、それとも若者の間でこんな着かたが流行しているのかな・・・と、その時は深く考えなかった。

 盤側に座るのは今日が二度目だが、ネクタイの結び目がいかにも無造作なために、いまにもひっくり返りそうに横向きになっているのがまず目に止まった。次に気づいたのは、ワイシャツの二番目の穴に三番目のボタンをはめていることだった。そのためにネクタイの下でワイシャツの片方が「く」の字形にふくれている。

 こんなことを、僕は彼の弱点を指摘しようと思って書いているわけではないことをお断りしておきたい。その逆で、行儀のよい優等生タイプの棋士だらけになった昨今の将棋界に、初めに述べた通り、珍しくも個性的な人材が出現したことを好ましく思っているのだ。

 以前関西の名物棋士村山聖七段が本誌の「若獅子戦」に登場した折、彼を僕は”村山竜馬”と呼んだことがある。幕末の英雄坂本龍馬を、司馬遼太郎が”櫛風沐雨”、”蓬髪垢面”と形容したことを思い出し、風呂嫌いで髪も爪も切らない村山七段がよく似ていると考えたからからだが、三浦プロにも、ちょっとそうした趣が感じられる。将棋一筋で、他のことには一切無頓着―この無頓着が身のこなしに如実に表れていると思うと、微笑ましい気持ちにさせられるのである。

 もっとも、念のために申し添えておくが、三浦プロは礼儀正しい好青年で、不潔感など漂わせていない。

(中略)

 特にアマプロ戦だからというわけではないけれど、「今日だけはプレッシャーがかかりました」と、三浦プロは局後に打ち明けている。仲間達から「蛭川さんにだけは絶対に負けるな」と、釘を刺されたそうだ。ついでに「その他の対局なら、いつどこで負けてもいい」と、勝ち過ぎる三浦プロをユーモラスに揶揄することを忘れないのは、いかにも将棋指しだ。

(以下略)

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近代将棋1994年1月号、甲斐栄次さんの「アマプロ勝ち抜き戦 嘉野満アマ対三浦弘行プロ」より。

 前号で蛭川敦さんの連勝を阻止し、新たに勝ち抜き者となった三浦弘行四段に、今回は、千葉県の強豪嘉野満さんが挑戦する。

 嘉野アマは、昭和45年4月28日生まれの23歳。社団法人「産業環境の会」に勤務している。(中略)この他、19歳の時に1級で奨励会に入会し、2年ほど在籍した経験をもつ。

(中略)

 二人で道場の片隅に腰掛けて名詞を交わしていると、三浦プロがやってきた。

 思いのほか、三浦プロは嘉野アマを見つけるなり、満面の笑顔を向けて真っ直ぐに近づいてきた。「やあ、・・・」「しばらく・・・」といったあいさつが交わされる。

 後で知らされたのだが、二人は過去に、なんと千局もの練習将棋をこなしてきた間柄なのだった。

 嘉野アマに語ってもらうことにしよう。

「ぼくが高校生、彼は中学生で研修会に入っている頃でした。御徒町将棋センターで優勝賞金五千円のトーナメント戦が行われていますが、それに参加したあと、いつも番外戦を指しまくったのです。当時の彼は、口はへらぬし、ガサゴソ動きまわるしの腕白小僧で、およそ将棋が強くなりそうには見えなかった。・・・今回の試合は、まだ自分の棋力が十分でないので辞退しようかとも思ったのですが、三浦君に久しぶりに会えるという懐かしさもあって出させてもらいました」

 さすがに千番指しの相棒らしく、歯に衣着せぬ発言が楽しい。

(中略)

 131手目、▲9五金に、嘉野アマは「負けました」と、駒台に手を当てて一礼。同時に三浦プロも答礼を返し、二人抜きが決まった。

 末尾になったが、嘉野アマは、ここ西日暮里将棋センターで行われる「S研(スペシャリスト研究会)」のメンバーだ。この日は夕刻より、めでたく新四段になった同じS研の行方尚史プロの昇段祝賀会があり、三浦プロと共にお祝いにかけつけた。

近代将棋同じ号より。

 (中略)

 行方プロも、いずれ本欄に登場してくることだろう。その時期がいつになるかは、三浦プロとこれから彼に体当たりする全国のアマ強豪氏の活躍次第というよりない。

 アマ選手に一言アドバイス―対戦中は三浦プロの顔を見てはいけない。盤面を射抜くように見つめる眼光の鋭さに圧倒される恐れがあるからだ。顔の下のネクタイの結び目あたりを見るのがいい。

 前回はワイシャツの二番目の穴に三番目のボタンがはまっていたが、今回は、どういうわけか、ふつうは内側に隠れているはずのネクタイの細いほうが前になっていた。着こなしの無頓着さを発見し、フッ、と内心におかしさがこみあげれば、気楽に伸び伸びと対局できること請け合いだ。

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「口はへらぬし、ガサゴソ動きまわるしの腕白小僧で、およそ将棋が強くなりそうには見えなかった」

中学時代の三浦弘行八段が現在のイメージと結びつかなくて面白い。

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1日10時間以上も熱心に研究に取り組んでいた三浦弘行四段(当時)。

ワイシャツのボタンのかけ違いもネクタイの結び方も、それ自体が当時の素晴らしい勲章だ。

嘉野アマとの対局時。近代将棋同じ号より。

三浦弘行八段の将棋以外の面でのキーワードは、真面目、愛される人柄、優しくほのぼのとしている、義理堅い、思いやりがある、朴訥、ぼそっと面白いことを言う、兄弟子の藤井猛九段にいじられやすいキャラクター、などなど。

子供の頃から失っていないものと棋士になってから身につけたことがうまく融合され、三浦八段は非常に魅力的な棋士になっていると思う。

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この対局後に行われた「行方尚史新四段誕生祝賀会」での写真(近代将棋より)。

左から、三浦弘行四段、行方尚史四段、深浦康市四段。(段位は当時のもの)

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