近代将棋1990年8月号、弦巻勝さんの「ニューウェーブを撮影して」より。
僕が将棋の撮影を本格的に始めたころ、現役のプロ棋士は全員で70人強だったと思う。
当時の奨励会員には現在の谷川浩司名人を始め田中寅彦、高橋道雄、島朗、関西では福崎文吾、西川慶二、脇健二さんらがまだ初段になっていなかったと思う。C2クラスの人数が現在53名なのに対して当時は20人弱。勝負がより苛烈になっているのが解ると思う。
そのころの大阪の将棋会館は今のように立派な建物ではない。阿倍野にある長屋のような所が関西本部であった。対局室も夜は暗く、撮影するのに技術的にストロボを使用しないで撮る限界かも知れない。
真部、青野両棋士が関西にのり込んでの順位戦と記憶しているのだが、とうに対局をおえた大野源一九段が対局室にあらわれ、やおら真部さんの横にあぐらをかき、彼のキョウソクを取り上げてその将棋をのぞき込む。
真部さんは将棋に夢中、秒読みにはなっていなかったが、すでにいつ終わってもおかしくない局面だ。
「君 名前 何ちゅんや」
真部さんは返事をせず頭を盤にかぶせて読んでいる。
「返事せんかいなっ……」
「見たこと無いやっちゃなあ……」
真部さんは大野センパイの頭をよけるようにして読み、手を伸ばして指している。
「なまいきなやっちゃなあ……」
さすがに対局室から数分で出て行かれたが、あの時のことが今でも僕の頭に絵として出て来る。
真部さんはあの時、大野センパイが対局室からさった後、「フゥー」とためいきをもらしていた。
真部さんや青野さんのようにあれだけ勝ち上がってきている棋士なのに上の人達は今とちがいノーマークだったのだろうか。酒が入っていたのかもしれないが、それなりに先輩後輩の距離みたいなものがいい味だったと思う。
あれから15、6年しかたっていないが、淡路、真部、青野さんらと翌日サウナに同行した。このとき語りあっていた内容が今も残っている。
若手といわれた彼ら全員が自分が一番強いと思っていること。自分が一番強いと思っていなければやってゆけぬ世界ということ。
「いやぁやっぱりAクラスは強いですよ…」
実に楽しそうに本心とは反対のことを語っていた。
順位戦の終局を撮り、なんだかワクワクするような棋士とのまじわりだった。
弱い先輩はどこかで馬鹿にされるし強い先輩はちょっと変な人でもいちもくおかれている。将棋界とはそういうところだ。今なら解る。
ここ3年ほど日本の美みたいな対局はもう撮れないのではと危惧した。なまいき言えば、荘厳で趣きがあり、燃え上がった熱や力を静の中に押し殺した将棋というものに僕はカメラを向けているつもりだった。
対局の終盤、棋士の横顔が赤くほてっている写真を白黒写真で表現できるようになりたいと考えていたからだ。
ジャンバーで対局しようが変てこりんな戦法であろうと半端なものでは先輩を倒せはしない、それは解る。いつの時代も新しいものはなかなか受け入れられなかったのだから。こう考えられるようになったのは彼らニューウェーブを撮るチャンスを得てからかと思う。
そして、本当に弱かったり悪かったりするものは世に出て来ない。今の若手達もそのまた昔もその点そう変わっていないのではと思うようになった。
ただ最初に言ったようにだんだんと苛烈になっているだけなのだと。
今は情報も多いし、食生活も悪いし、ひとつのことに打ち込むには大変な時代だ。かつては自然食品は自然に口に入ったが今はちょっと苦労しないと味はそれらしいが、石油で作った物などがいともたやすく手に入る。
不必要な情報でまどわされたり、遊び場も多く、気をひきしめねば打ち込むということがなかなかできにくい。
そんな中から勝ち上がってくる者はやはり何かを持っているはずだ…と。そして彼ら若手にそのエネルギーが見える。この企画を自由にやらせてくれた編集部ありがとうございます。
前文がやけに長くなってしまったが昨年の7月号から今回の最終回・羽生さんまでを入れて13人、僕と編集部で人選はした。才を中心に選んだ。一人一人には簡単な質問をし、彼らの語ったことをそのまま書いてのせた。
写真も、絵を作ったりせずストレートに撮った。
こうすればいい男に撮れるとかこうすれば上品になるとか、そのようなテクニックはいっさいかまわずに撮った。ひでえ写真だと言われてもいいと思ったし、数年後にはAクラスにのぼりはずかしくてその写真が見れなくてもいいと思った。彼らが答えたりまたギクシャクと撮られたその日は確実にあったわけだから……。
森内俊之五段
自分の考えをキッパリと持っている。礼儀作法も昔ながらの棋士。将棋の内容は解らぬが15、6年前に青野・真部さんを撮った時にも他の世界にないキビシイものを感じたが、彼にもそれを感じた。
いつまでも写真なれしないでほしい。
先崎学四段
現将棋界でもう一人このようなキャラクターがほしい。おりこうさんのいい子さんばかりではつまらぬ。
酒の強いのが少し心配。
どこかで集中して勝ち上がってこないとただの評論家棋士となる。
マージャンをやっても何をやっても才能でみな飛ばしてしまう。独特の勝負術を身につけている。米長門でなければこうは育たぬか。
森下卓六段
とにかく明るくほがらか。多分どんな人からも悪く言われることはないと思う。将棋もとことんていねい。半面おもしろみにかける将棋に僕などは見える。
まだ棋譜の内容より白黒の星しか雑誌にはあまりのらぬのだから白星をたくさん取るほうが大事である。
人に見せる将棋より人に見せる星を取っている。僕も自分の子供がこんないい子に育ったらとどうしても考えてしまう。
屋敷伸之五段
自己表現の言葉を持っていない。しかし彼は写真で撮れる。
将棋を指しているところ以外は彼にあまり存在感を感じなかった。礼や衝動に禅坊主を感じた。
将棋ひとすじになれるキャラクターと思う。
中川大輔四段
ある時急にオシャレになったがまだファッション雑誌のマネから一歩も出ていない。先崎さんのように酒やギャンブルであぶない橋を渡る可能性があるのに対して中川さんは女性があぶないかも知れぬ。しかし最近は、2回や3回の失敗を恐れていてはまともな女性にぶちあたらないともいえる。
将棋の研究は仕事、対局は集金、これくらいのしっかりしたプロ根性は見える。
小倉久史四段
いいとこのボッチャン、実に上品。どこへつれていっても大ミスはまず無い。ちょっとしたしぐさに谷川さんや中原さんを感じる。
たぶん意識していないうちに尊敬している人のクセはうつるものでそれかと思う。
バランスはいいがちょっと危険だと身を引く。これは勝負師にはマイナス、しかし確実性はある。
日浦市郎五段
野武士的な荒けずりな重い個性がある。20代にして40代の顔をときたま見せる。
ただ将棋を指している時やけに子供っぽい顔をしているのは解らぬ。
阿部隆五段
何でも興味を持つタイプに見えるが集中力がすごく廻りがまったく見えなくなるのはとても大きな才能と思う。関西の先輩にキレイに教育されたものか、本人のもって生まれたものか、礼儀作法はみならうべきものが多い。
全部が将棋に集中したら大変なものだがたぶんそうはならぬようにも思える。しかしそれも才能です。
(つづく)
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当時の若手棋士のその時々の断面と、弦巻勝さんの遠慮のない感想と愛情溢れるコメント。
弦巻勝さんは、団鬼六さんのエッセイにも数多く登場する。
私も酒場などでご一緒させていただく機会が何度もあったが、個性豊かな本当に面白い方だ。
一度、三人麻雀をやって、世の中にこんな麻雀の強い人がいるのかと驚いたこともある。
ブログ記事の写真は、近代将棋に何枚も掲載された写真のうちの一枚の、さらにその一部分なので、弦巻さんの写真の魅力を伝えきれていないと思うが、その雰囲気だけでもということで。
明日も続きます。