近代将棋1990年8月号、弦巻勝さんの「ニューウェーブを撮影して」より。
村山聖五段
体力が無いと聞くがそんなところはまったく見せない。
敵、味方をはっきり区別するのは将棋界独特の感覚だがちょっと臆病なところも感じる。体力がそうさせているのだとすればあとはもう何も言えない。
自己表現のすべてを将棋に向けているように見える。
ファインダーをのぞいてこんなにやさしい目の人はめったに見れない。
中田功四段
ひょうひょうとして幸せそうに見えるが、けっこう裏道のきわどい所も歩いている。
いつか自分一人で生きてゆくのだと歯車が入れば将棋に対する想いがまとまると思う。しかしひょうひょうとしていないと生きてゆけぬ世界ではある。
若手の中では将棋に対するヨクがまだ見えない。
郷田真隆四段
まだプロになりたてでフワフワしている。写真を撮ると、心のすみにえらくやさしい部分が見える。
一度か二度こっぴどく負けてそれからがプロ棋士か。
佐藤康光五段
デビュー当時は静かな駒の動かし方だったが最近はとても勢いにのっている指し方に見える。
どんな時にも冷静になれそうな人。うらやましいが、女性がとっつきにくい気はする。
若手の中では写真が撮りやすい一人だ。絵になるとはまだいわぬが。
羽生善治竜王
持って生まれたものが才能なのかも知れないが、子供のころに他の子が遊んでいる間将棋の勉強をしていたわけで、その点はだれにもできぬことと思う。
マスコミは彼に天才の言葉をよく使用するが、タイトルの一歩手前の多くの棋士に天才を感じはすれ彼には感じない。
もっと鈍化した新しいタイプの勝負師を感じるが。
13人を撮影させてもらいまた違う将棋のすばらしさを知った。
アホなカメラマンのたわごとくらいに理解して下さい。
若手棋士のみなさんどうもありがとう。
1990/6/2
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「ファインダーをのぞいてこんなにやさしい目の人はめったに見れない」
「写真を撮ると、心のすみにえらくやさしい部分が見える」
など、写真家ならではの最大級のインパクトのある言葉だ。
そのようなこともあり、村山聖五段(当時)と郷田真隆四段(当時)の写真は2種類載せている。
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羽生善治竜王(当時)の写真は1990年4月19日のもの。
そして、羽生竜王は6月4日に当時の憧れだった菊池桃子さんと対談を行っている。
しかし、4月は普通の髪型だったのに、わずか1ヵ月と少しでタワシのような髪型に変わってしまっている。
何か事情があったのかもしれないが、このような良い意味で大ざっぱなところも、当時の羽生流だったのかもしれない。