実力制第四代名人と第四代実力名人

近代将棋1988年6月号、武者野勝巳五段(当時)の「プロ棋界最前線」より。

 4月1日付で、升田幸三九段に『実力制第四代名人』の称号が贈られた。5月号本誌の今月の棋士で升田幸三の紹介があり、”第四代実力名人を贈られる”とあったが、これは誤りである。多くの方が呼称するうちに第四代実力名人が通り名になるのは構わないが、こういった報道は正確を期さなければならない。

 九段制度が変わり、升田九段の称号を改めたいという声はずっと以前からあった。”名誉名人”でいかがかと打診したが、「わしは名人になった男。名人になったことのない土居と同じに扱うとは何事か」と一喝されたという升田九段らしい逸話が残っている。

 更に昇段制度が変わり、私も「升田先生に良い称号を考えてください」と棋士総会で、発言したことがあった。加藤治郎名誉会長の心配も同じで、”古今無双棋士”はどうだろう。雷電為右衛門である。これを受け、早速大山康晴会長が打診したのが、事の起こりなのだから、二人の不仲説などマスコミの願望的虚像と言えよう。

『実力制第四代名人』の由来は、勿論世襲による名人制を廃し、実力名人制に映ってから数えたもので、木村義雄、塚田正夫、大山康晴、升田幸三と四人目。総会で一任を受けた委員会(名人戦経験者及び会長経験者で構成)は『名人三期もしくは名人二期で抜群の活躍をしたもの』と実力制の定義をつけ、関係者・社の了解を取り付けたのだから、誠にご苦労様であった。私が字句にこだわる理由もここにある。

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「古今無双棋士」というのもなかなか迫力のある名称だ。

雷電為右衛門は江戸時代の力士で、Wikipediaによると、現役生活21年、江戸本場所在籍36場所中、勝率0.962、大相撲史上未曾有の最強力士とされている。

升田幸三八段(当時)は昭和20年代、観戦記者の倉島竹二郎さんに次のように話している。

「雷電為右衛門は怪力無双といわれながら横綱は張れず仕舞でしたね。私も昭和時代に升田という強い将棋指しがいたというだけで、名人にはなれぬかもしれませんな」

自分を雷電と重ねあわせたことのある升田九段だったが、名人位を獲得した後となっては、雷電と同様の称号は不満だったのかもしれない。

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「わしは名人になった男。名人になったことのない土居と同じに扱うとは何事か」という言葉も迫力満点だ。

土居は土居市太郎名誉名人のこと。

他に名誉名人は小菅剣之助名誉名人。

実力制名人の選定基準は、70歳以上で3期(もしくは抜群の成績で2期)以上名人位にあった引退者とされる。