「そう、ふたりは将棋の虫なのだ。前日の観光中もバスの最後尾の席で、名人戦最終局の話に熱中していた」

将棋世界1997年8月号、産経新聞の保坂勝吾記者の第68期棋聖戦五番勝負第1局〔三浦弘行棋聖-屋敷伸之七段〕観戦記「みちのく決戦」より。

将棋世界1997年8月号より、撮影は中野英伴さん。

 棋聖戦五番勝負の夏がまたやって来た。ふと羽生七冠王から三浦棋聖が初タイトルを獲得した1年前の興奮がよぎる。そして気が付けば、挑戦者として現れたのは羽生ではなく、にこにこと少年のように笑いころげる屋敷伸之七段だった。

 七冠王を倒した三浦棋聖と、18歳で史上最年少で棋聖位を獲得した元棋聖との五番勝負。何より、両者ともこと将棋に関しては我が道を貫く独創派だ。生活スタイルも、将棋の勉強の方法も全く正反対というのがおもしろい。何が飛び出すかわからない。

 第1局は青森県三沢市で行われた”みちのく対決”。前日は新緑の奥入瀬渓流や十和田湖を見学したふたりは、前夜祭のあいさつで「こんな素晴らしい自然に囲まれて幸せです。あまり将棋を指したくない」「ゆっくり温泉につかっていたい」と”対局拒否”の決意表明でわかせたが、立会人の田中寅彦九段が「とんでもない。ほんとはふたりとも一刻も早く盤の前に座って、将棋が指したくて仕方がないんです。そして絶対に勝ちたいと念じているはずです」と”解説”した。

 そう、ふたりは将棋の虫なのだ。前日の観光中もバスの最後尾の席で、名人戦最終局の話に熱中していた。谷川将棋の復活に感心し、変調の羽生将棋に何が起こったのか。三浦は夕食休憩の段階で、羽生勝ちを予想して寝てしまった。屋敷も翌日谷川勝ちを知って驚いたという。将棋の話をしているふたりは楽しそうで、とてもあす大一番を控えているようには見えなかった。

 だが、いったん盤の前に座ると変身する。三浦は両手を組んでうなだれて瞑想。屋敷は背筋を伸ばして天井を見上げる。息苦しくつらそうに見える。

(中略)

 おもしろいのは、屋敷は全くこの将棋のことを知らなかった。最近の若手は、対戦相手の将棋をパソコンで検索し、対策と研究に利用しているらしい。

 独学派の三浦も早くからパソコンを利用しているが、「検索した棋譜を画面ではなく、盤に並べて次の一手を自分なりに納得のいくまで考える。それも1日10時間、朝起きてから寝るまで続けたのが三浦棋聖です。対する屋敷七段は1日1分。競艇の予想が載っているスポーツ紙の詰将棋を勉強するだけだそうです」と田中九段がユーモアたっぷりにふたりの紹介をしていた。

(中略)

 普段は寒がりのはずの三浦だが、首のあたりに汗が光り、着物の前ははだけたまま。切れ長の目がらんらんと輝いている。「目もとが若いときの升田幸三に似ている」と言ったのは昨年の最終局の立会人だった原田泰夫九段。風貌が武蔵(たけぞう)時代の宮本武蔵を連想させると話題を呼んだが、和服姿がすっかり板につき、野性味もたっぷり。

 いっぽうの屋敷も、日焼けした顔が火照り、握った拳を口にあてて盤上をにらむ。腰をかがめてゆっくりと身体を前後にゆする。意外な勝負手を放つため”忍者流”といわれるが、本意ではないようだ。だれもまねのできない、独創的な世界を盤上に描きたいのだという。

(中略)

「楽観していました」と汗を拭いながら唇をかむ三浦。「いやあ危なかったです。運がよかっただけです」と屋敷。

 翌朝、屋敷は一人で盛岡へ。三浦は飛行場に向かうバスの中で、記録係に「こっちへきて目隠し将棋を指そう」と話しかける。五番勝負は始まったばかりだ。

将棋世界1997年8月号より、撮影は中野英伴さん。

将棋世界1997年8月号より、撮影は中野英伴さん。

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「こんな素晴らしい自然に囲まれて幸せです。あまり将棋を指したくない」

「ゆっくり温泉につかっていたい」

三浦弘行棋聖(当時)と屋敷伸之七段(当時)の、対局場のある三沢市・古牧温泉への最大級の賛辞。

前者が三浦流、後者が屋敷流なのかもしれない。

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「そう、ふたりは将棋の虫なのだ。前日の観光中もバスの最後尾の席で、名人戦最終局の話に熱中していた」

タイトル戦の対局前に対局者同士が仲良く話をするのは、昔も今も、非常に珍しいこと。

後年、三浦九段と屋敷九段はVSをするようになるが、この頃から二人は気が合っていたのだと思う。

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「検索した棋譜を画面ではなく、盤に並べて次の一手を自分なりに納得のいくまで考える」

クリックをして盤面を進めるのではなく、棋譜用紙を印刷して、そして盤に並べてこそ、血の通った本当の研究になるということ。郷田真隆九段の名言「将棋はぼくの体の一部。本筋でない手は指が排斥する」にも通じる。

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「それも1日10時間、朝起きてから寝るまで続けたのが三浦棋聖です。対する屋敷七段は1日1分。競艇の予想が載っているスポーツ紙の詰将棋を勉強するだけだそうです」

三浦九段と屋敷九段がVSを行うようになってからのこととなるが、NHK将棋講座誌上での三浦九段からの

「18歳での初戴冠と20代になってからの復位とでは喜びも違ったと思います。当時のお気持ちが知りたいです。復位のときは私が相手だったので、お答えしにくいかもしれませんが、遠慮は無用です(笑)」

の質問に、屋敷九段が、

「当時はスポーツ新聞の詰将棋を解く程度のことしかしていなかったので『勉強時間は1日1分』と三浦棋聖を挑発するようなことを言ってしまい、大変失礼いたしました」

と回答の中の終盤で述べている。

とても微笑ましい。

屋敷伸之九段、昔の自分と対局したらどちらが勝つ?(NHKテキストView)

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「三浦は飛行場に向かうバスの中で、記録係に『こっちへきて目隠し将棋を指そう』と話しかける」

三浦棋聖はこの頃、機会があるごとに目隠し将棋をやっていたようだ。

将棋世界1997年2月号、先崎学六段(当時)の「先崎学の気楽にいこう」より。

 11月某日―翌日は、加藤治郎名誉会長のお葬式である。寝たのが3時ぐらいで、10時に起きたのだから充分に寝たはずなのだが、眠くて仕方がない。

 葬式というのは、もちろん悲しいものであるのだが、功なり名を遂げて大往生した人の葬式の場合、妙に明るい雰囲気ができることがある。そういう時の故人は、決まって明るい人柄である。1,000人近い人が集まったこの日の葬式は、まさにそんな感じだった。葬儀委員長の原田先生は、原田の話はいつも長いといわれるのだが、といいながら、内弟子時代の話を朗々とされた。

 原田門下の近藤君と地下鉄の駅に向かっていると、偶然、鈴木大介君と中田宏樹さんに会った。鈴木君に、あれ、随分早く出たはずなのにどうしてたのと訊くと、驚いた答えが返って来た。

「いや、三浦先生と一緒だったんですけど、歩きながら目隠し将棋をやろうといわれまして……」

 お昼時、空は晴天である。しかも、彼も昨日は僕と一緒に順位戦だったのだ。おそるべき向上心。(以下略)

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加藤治郎名誉九段が亡くなったのが1996年11月3日、棋聖戦第1局が行われたのは1997年6月14日。

三浦九段の棋聖時代、”目隠し将棋の鬼”だったことがわかる。

バスに乗っている時間や歩いている時間も惜しんで目隠し将棋をする、結婚披露宴の最中に詰将棋を解く、など、将棋に打ち込むという意味では、合理的な時間の使い方だったとも言うこともできるだろう。

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ちなみに、目隠し将棋がクライマックスシーンでの主題になっている映画が、勝新太郎主演の「座頭市地獄旅」(1965年大映)。

座頭市(勝新太郎)と将棋好きの不気味な浪人・十文字(成田三樹夫)の緊張感溢れる目隠し将棋。

勝新太郎さんも成田三樹夫さんも、大の将棋好きだった。

座頭市地獄旅

 

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