先崎学八段(当時)「三間飛車の名手、中田功六段なら死んでもこんな手は指さない」

将棋世界2005年6月号、先崎学八段(当時)の第63期名人戦七番勝負〔森内俊之名人-羽生善治四冠〕開幕特別寄稿「将棋界を変えたふたりの名人戦」より。

 羽生はいじめられるような形で、ずるずると後退して負けた。穴熊にされた上に5筋の位を取られて負けたのである。あっちもこっちも威張られたような負け方だった。

 羽生はガキ大将である。常に勝負に胸を張って将棋盤の中で闘ってきた。負けることはあっても関西でいう「いちびられる」ような敗戦はなかった。

 そのことが影を落としたか、その後の王将戦では、明らかに羽生の将棋がおかしかった。冒頭で書いた光景はこの王将戦の最中のことである。

 7図はその結着がついた第6局。この将棋は典型的なコピー将棋だった。

森内羽生2

 7図からの▲8四角が決め手。角換わり腰掛銀からの一変化である。この局面は、若手の間ではすでに「この▲8四角で先手が勝ち」という結論が出ていた。すなわち、羽生はこの手を知らず森内は知っていた(持ち時間の使い方からそう思われる)。それだけのことで勝負がついた。こんなのは羽生の将棋ではない。ガキ大将はこんな目にはあわない。

 この流れは昨年の名人戦まで続いた。あのシリーズで、羽生が少しでもらしかったのは第4局と第5局だけだった。この二局は1勝1敗。第3局は森内がひとりで転んで負けたが、第1局と第6局は戦いが始まったかどうかのところで投げさせられてしまった。

 こうして過去の両者のタイトル戦をざっとなぞってみると、ある時からぐんぐん森内が押しているのが分かる。実績でもそうだが、内容においても勝っているのだ。だが、今回の名人戦は大勢が羽生乗りだという。それは、もちろんこの1年の両者の成績に差があるからだ。

 羽生は絶好調である。成績もいい。内容もよい。なにより顔を見る限り体調が良さそうである。様々なことが、安定して余裕があるのが見てとれる。

 森内はどうか?竜王戦で渡辺に負けた印象が強すぎるから皆が不調だという。しかし、内容は悪くはなかった。第7局の白黒が違っていたら、まったく人の観る目が違っていただろう。

 皆が皆、羽生の復調を騒ぐが、直前の王将戦以外、森内に勝てない流れは変わってはいないのである。逆に森内から見れば、王将戦以外負けていないともいえる。

 王将戦はたしかに森内にとって最悪だった。特に珍しく三間飛車にした第2局。

森内羽生3

 8図で△5一角と引いた瞬間、この将棋は終わりである。三間飛車の名手、中田功六段なら死んでもこんな手は指さない。こう引くのでは6五の位、端の突き込し、これらが全部無駄になってしまうではないか。

 このシリーズは極端にヒドかったのである。今回の名人戦をしっかり闘うためには、森内はこの王将戦は「なかったこと」にするよりない。

 それができれば、勝負は分からない。森内はずっと「目の上のたんこぶ」だった羽生に耐えて、大きな流れをつかみあのような見事な連勝を重ねたのだ。

 とにかくこのシリーズの重要なカギは、森内が王将戦とは見違えるような出来の将棋を1、2局の早目のうちに指せるかどうかにかかっている。勝ち負けよりもよい将棋を指して王将戦の悪いイメージを消せるかどうかが大事だ。

 羽生にとってはガキ大将の威厳を取り戻せるかどうかの勝負である。

 ふたりが変えた将棋界。そのふたりによる頂上対決の結果は、双方の将棋人生にとって大きなものになるだろう。

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この期の名人戦は、森内俊之名人が4勝3敗で防衛。

紙一重のところで勝負の決まったということになるのだろう。

この後、森内名人は2006年(対谷川浩司九段)、2007年(対郷田真隆九段)と連続防衛を果たし、十八世名人の資格を獲得する。

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8図。後手はどう指せば良いのだろう。

△8五桂として、▲3五歩には△4五歩▲同銀△9七桂成のような手順が考えられるが、個人的には全く自信がない。

△4三金と上がって、▲3五歩には△4五歩▲同銀△3五歩として戦うか。以下、▲3四歩△5一角▲3五角△4四歩▲3六銀△3四飛(または△3四金)。しかし、これでは6五の位も端の突き込しも生きない。

この王将戦第2局は、将棋世界では取り上げられておらず、近代将棋では8図からの△5一角を、”屈したように見えて、その内に強い反発を秘めた一手”と書かれている。

中田功七段ならどのような手を指すのか、とても気になるところだ。