控え室の常連

近代将棋2000年3月号、青野照市九段の「実戦青野塾」より。

 他人の対局日というと、決まって将棋会館になってくる棋士がいる。石川陽生六段、日浦市郎六段、泉正樹六段、桐谷広人六段らが常連であるが、羽生善治四冠、森内俊之八段、佐藤康光名人らA級やタイトル保持者もよく控え室に顔を出している。

 昨年の12月10日、B級1組とB級2組の順位戦の日、例によって会館の控え室には、石川、日浦らの顔が揃っていた。そして夜になると、軽装の羽生、森内を始め、対局を終えた佐藤の姿も。

 彼らは何をしに、将棋会館へ来るのであろうか。今やコンピュータ時代と言われ、パソコンで将棋の研究ならいくらでもできるのにである。

 我々の使っているソフトには、古今のプロの対局が、現在31,500局あまり入っている。そして対局日の1~2日後には、将棋連盟手合課で入力した棋譜が、通信で自宅に取り込めるシステムが完成している。

 このシステムは、残念ながら会費を払った将棋連盟関係者のみのシステムなのだが、私のように伊豆に住んでいる棋士でも、他の棋士の棋譜を研究するには困らないのだ。

 しかし、棋譜やパソコン上で人の将棋を研究するのと、実際に現在指している将棋を見ながら研究するのでは、根本的に違うのである。

 私の奨励会時代にも、記録係をやるのは能率が悪いと言って。棋譜のみで勉強する奨励会員がいた。なるほど記録係をやれば、1日に1局しか勉強できないが、棋譜を並べれば、1日で50局は勉強できる。

 ところがそうやって記録係をやらなかった人は、ほとんど退会していった。記録係を多くやった奨励会員の方が、多く棋士になったのだった。

 私はそれが、何を意味するのかが、長い間わからなかった。しかしそれが最新の医学的研究―右脳と左脳の研究―等のデータを見ておそらく棋譜を並べて研究する、他人の将棋を覚えて頭に入れるというのは、左脳、すなわち計算や理論を考える方の頭に、データを蓄積するに過ぎない作業なのに対し、記録係をやりながら、次にどう指すのかと考えることは、右脳、すなわち感覚、創造力を養うための修業であった、と確信している。

 もっとも羽生のように、3局しか記録係をやっていない―中学生だから無理もないが―で、スルスルと奨励会を抜けてきたり、森内が棋譜を手にしたかと思ったら、30分も1時間も動かずに棋譜をニラんでいたという話を聞くと、記録係もさして才能のない少年が、無理に強くなるための手段だった、と思わない訳でもない。

 1局の将棋、1枚の棋譜から、どれだけの養分を吸い上げられるかということは、もはやどうにもならない、才能の世界であろう。

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羽生善治名人や森内俊之九段も若い頃は控え室の常連だったわけで、やはり現場で体感することが大きいのだと思う。

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直接このこととは関連しないが、現場の生の迫力の貴重性をあらためて感じさせられたのがライブハウスへ行った時のことだった。

私が昔、通っていたことのあるライブハウスは、1970~1980年代の音楽をやるところだったが、初めて行った時からその圧倒的な迫力に魂を奪われたものだった。

体に響いてくるベースギターとドラム、エフェクターで様々な雰囲気に変わるリードギター、妖しげなキーボード、格好いいバンド。

酒を飲みながら曲を聴くのは至福の時だった

オリジナルの曲をCDで聴くよりも、こっちの方がいい、と感じたほどだった。

ちなみに、カラオケで私がオックスの「スワンの涙」という曲を歌うことが稀にあるが、その際の指差しの振り付けなどは、この時のライブハウスのうちの一軒で覚えたものだ。