究極の上座の譲り合い

近代将棋2003年1月号、スカ太郎さんの「関東オモシロ日記」より。

 というわけで、無謀にも連載が始まってしまったのであ~る。さて、この連載を引き受けて最初に見た名勝負は、丸山忠久九段対野本虎次七段の王位戦での勝負であった。

 羽生善治王位対谷川浩司九段の七番勝負が終わり、谷川王位が誕生した王位戦ではリーグ入りを目指した予選トーナメントが始まっている。

 王位戦予選のいいところは、リーグ入りを懸けた予選にシードがなくほぼ横一線から始まるという点である。全日本プロ将棋トーナメントが朝日オープンになって本戦シード制に変わってしまい、現在、抽選による横一線のトーナメントはこの王位リーグ予選だけとなってしまった。そのため、王位戦予選にはおもしろいカードがわんさわんさとあるのだ。

 話を戻して丸山-野本戦である。

 この対局、開始前に丸山九段が下座に陣取った。オイラにはこの気持が何だかよーくわかる気がするのですね。何と言っても、野本七段57歳。対する下座に陣取った丸山九段は32歳。年齢差25歳という大先輩に対しては、段位が上だから、といって上座にドカンと座っていられないじゃありませんか。

 ところが、後から来た野本先生もこれではやはり納まらない。何と言っても、丸山九段は昨年度まで名人を張っていて、「前名人」を名乗る資格もあった棋士である。野本七段も「実力で上座下座が決まる世界で生きてきた」という勝負師の自負があり、下座は譲れない?のだ。

「だめだよ。俺が上座に座っちゃ、後で皆から殺されちゃうよ」と野本七段が「たのむよ~」という感じで丸山九段に上座を譲る。

 丸ちゃんも「いえいえ」と先輩に上座を譲る。

 そんなこんなで、どちらも下座に陣取らねば収まりがつかない状態になった。約20秒ほど「まあまあ」「いえいえ」というやりとりがあった後のことであった。

 野本七段が左上手を取るやいなや、そのまま上手出し投げを決めて、丸山九段を下座から投げ飛ばしたのである。

 下座から丸山九段がコロコロリンとおむすびのように転落し、野本七段が空いた下座に着いた。オイラは心の中で「ただいまの決まり手は、上手出し投げ、上手出し投げで野本七段の勝ち」とアナウンスし、軍配を野本先生に上げた。

 下座を力技でむしりとったのは野本七段の先輩としての格である(後輩棋士がこれをやったら、確実に血を見るであろう)。豪快な技を決めて下座に陣取った野本七段の勇姿を、オイラは生涯忘れないと思う。

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上座の譲り合いがこれで解決してしまうのなら、この方法が決定版とも言うべき手筋ということになるだろう。

それにしても、あまりにも見事な瞬時の判断と思い切りの良さだ。

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野本虎次八段は故・花村元司九段門下で2003年3月に引退をしている。

野本八段は、麻雀の超強豪としても数々のエピソードに登場している。

村山聖五段(当時)の四角いジャングル(前編)

泉正樹四段(当時)「さわらぬ彼に不満あり」