近代将棋1988年11月号、羽生善治五段(当時)の連載自戦記・若きエース勝負の記録「完敗」より。
夏休みも終わり、いよいよ秋の到来です。
そして、順位戦も各クラス始まりました。
さて、この第3戦の対戦相手は佐藤義則四段です。
佐藤(義)七段は、居飛車一党流で振り飛車は全く指さないようです。
そして、本局もその通りになりました。
(中略)
急戦
予想通り、相矢倉になりました。
僕の指し方は前局と同じ様に一手得する作戦です。
これに対して佐藤(義)七段は穏やかな展開を望まず、急戦を狙って来ました。
この5筋の歩を切る指し方は僕も初戦で指しました。
しかしその時とはやや形が異なります。
どちらが優秀か僕には解りませんが。
さて、どのように対応したら良いのでしょうか。
二通りの指し方があります。
1図以下の指し手
▲5五同歩△同角▲6五歩△3三角▲6六銀△6四歩(2図)反発
一つの指し方は本譜の様な指し方。
もう一つは▲6五歩の所で▲5七銀と上がる指し方です。
どちらの指し方も一局で、このあたりは個人の好みだと思います。
▲6六銀までは今期A級順位戦中原-内藤戦と同じ局面になりました。
しかし、△6四歩と佐藤(義)七段が指したので、前述の将棋とは全く異なった展開になりました。
さて、この局面でも二通りの応手が有ります。
2図以下の指し手
▲6四同歩△6二飛▲7九玉△7三桂▲7五歩△6四銀▲7四歩△8五桂(3図)分岐点
本譜の▲6四同歩では▲5七銀上も有力だと思います。
▲5七銀上以下、△6五歩▲同銀△8八角成▲同金△6二飛▲6六歩……と言った感じの展開が予想されます。
ただ、こうなった時に形が乱れるのであまり指す気になれませんでした。
▲7九玉に対して△7三桂はやや意外な感じでした。
なぜなら、▲7五歩が直ぐにあるからです。しかし、▲2八飛が遊んでいる内に戦いを起こそうとする佐藤(義)七段の大局観の方が正しかった様です。
3図は一歩得ながら指し手が非常い難しい局面です。
3図以下の指し手
▲8六歩△7七歩▲同桂△同桂成▲同金寄△6五歩(4図)苦戦
▲8六歩は他に指す手が解らなかったので、こう指してしまいました。
他には▲5九銀という手も有りましたが、この手は対局中は全く考えませんでした。
▲同金寄の所で、▲同銀は△8五歩で、▲同角、▲同金直は△5四桂で困ると思いました。
しかし、本譜▲同金寄も△6五歩とされると指し方が考えれば考える程難しい事が解りました。
4図では苦戦を自認しました。
時間もあまり残っていませんし、良い条件が見当たりません。
こちら側は大駒の働きがとても悪いのが痛い所です。
4図以下の指し手
▲5七銀引△7二飛▲5六銀△7四飛▲7六歩△8五歩▲同歩△3一玉▲5七銀△7五歩(5図)壊滅
▲5七銀引は辛抱した手ですが、悪いのですから、▲5四桂と勝負した方が良かったかもしれません。
△7二飛と指された後の変化を考えると全部の変化がつぶされるのです。
それで、仕方が無いと思い、本譜を選びました。
手順中、△3一玉が落ち着いた一手で、これには本当に参りました。
▲5七銀とようやく飛の横利きが通りましたが、あまり関係ないのです。
5図、△7五歩とされると先手陣は壊滅してしまうからです。
佐藤(義)七段の陣形は理想形とも言える形、それにひきかえ僕の陣形は何と醜い形をしているのでしょう。
さすがにここでは嫌気がさしました。
しかし、これから更にひどくなって行くのです。
5図以下の指し手
▲7五同歩△同飛▲7六歩△8五飛▲8六歩△8三飛▲6八飛△7四桂(6図)痛打
(中略)
△7四桂は何とも味の良い一着で、▲6五銀に対しては△6七歩▲同飛△6六歩を見せていますし、△8六桂の狙いもある一石二鳥の手なのです。
6図以下の指し手
▲9八桂△5一金▲8九玉△9四歩▲4六歩△9五歩▲8七金寄(7図)壁
▲9八桂。
こんな所に桂を打つのだったら▲6五銀と出て自爆してしまった方が良かったのかもしれません。
どうも延命策をとりすぎて、楽しみがなくなり、じり貧になってしまった様です。
△5一金で後手陣は恐い所がなくなりました。
先手陣は何手かけてもちっとも固くならないのです。
9八桂、9九香の愚形がその原因で、先手玉の壁になっており、玉を窮屈にしているのです。
▲8七金寄はもう仕方がないと言った所です。
7図以下の指し手
△6六桂▲7七金直△7五歩▲6七歩△9六歩▲同歩△7六歩▲同金直△9七歩▲6六歩△9六香(8図)だめ押し
△6六桂は少し驚きました。
これで桂を取り切れれば楽しみも出て来ると思いましたが、巧みに攻められ、桂を取り返される形になってしまいました。
しかし、直ぐに桂を取らず、△9六香が何ともにくい一手なのです。
▲同金なら、△8七歩がありますし、放置すれば△9三飛があります。
だめ押しの一手だったと思います。
(中略)
9図以下の指し手
▲7九玉△6八角成▲同玉△6六香▲6七桂△2八飛▲5八角△2九飛成▲5九歩△4四桂▲5五銀△5六桂打▲6九玉△1九竜▲5四香△6七香成▲同角△6六香(投了図)
まで110手で佐藤(義)七段の勝ち完敗
9図の△5九角が決め手で以下は指して見ただけに過ぎません。
結局、最後まで遊んでいた2九桂、1九香でとどめを刺されました。
これも駒を有効に使わなかった報いというやつでしょう。
しかし、これを見つけた時には何故かホッとしました。
まあ、何ともひどい将棋を指してしまったものです。出来ればこの将棋は誰にも見せたくはありません。
しかし、それはかなわぬ注文というものでしょう。
後は印刷屋さんが何かの手違いでこの項が白紙に印刷されることを祈るのみ。
—–
この期のC級1組順位戦、羽生善治五段(当時)は本局と、第6戦の対剱持松二七段(当時)戦で敗れ、8勝2敗。
頭ハネの3位となり、昇級を逃している。(昇級は8勝2敗の浦野真彦五段と西川慶二六段。また、泉正樹五段も8勝2敗で4位)
—–
決定的な悪手を指したわけでもなく完敗してしまったことが、羽生善治五段(当時)にとって後悔の残るところだったのだろう。
「それにひきかえ僕の陣形は何と醜い形をしているのでしょう」という言葉が心に突き刺さる。
「結局、最後まで遊んでいた2九桂、1九香でとどめを刺されました」も印象的。
—–
他にも対局はあったのだから、この号の自戦記には別の対局を選ぶこともできたはずだが、あえてこの一局を選んだ羽生善治五段の強い心意気を感じる。