中原誠名人と羽生善治竜王による座談会(後編)

近代将棋1990年9月号、中原誠名人と羽生善治竜王(当時)の夢の対談「将棋は先手が勝ちなのか?」より。司会はこの号の編集長を担当する田中寅彦八段(当時)。

田中 中原先生みたいに修羅場をくぐってきた方には関係ないですか。

中原 一番一番やるわけですからね、それほど関係ないですね。

田中 これからもこの傾向は続くと思いますか。

中原 こんなに極端はちょっと不自然だと思いますね。全体でみても五割四分か。うーん、それでもけっこう……これが60対40になるとハンデつけないといけないな。これは大変だな。

田中 時間をハンデにするか。

羽生 千日手で先手負けにするとか。タイトル戦に限ってみるとちょっと助けすぎている。

田中 これはたんに一時的現象だと。

羽生 はい。今日一時的な異常だと思います。いくらなんでもこれ以上は…ないと思います。

田中 タイトル戦の場合は、一回振り駒すると先手後手が決まってある程度戦型が読めますからね。勝率六割台は続くでしょうね。

羽生 組み立て方がわかるということはありますね。やる形がいつも決まっている人は別ですが。

中原 後手番の時、ある程度やってきた形を受けて立つという気持ちはありますね。極端な逃げる手はやりたくない。居飛車で(相手の注文する形を)避けるのは嫌ですからね。

田中 やはりそうすると先手番が思ったような戦型になるわけですね。トーナメントとリーグ戦の勝率も違うでしょうね。リーグ戦は先後があらかじめわかっているから。(現在、順位戦、王将戦、王位戦がリーグ戦)

羽生 順位戦B2組の場合、十局のうち五局が先手で相手も決まっています。順位戦の表を見ていてこの相手には先手番がほしい、と思うことはありますね。

中原 うん、多少はあるけどね。この人とは先手でよかったとか、多少はあるね。あの、振り駒の後に、後手を持ちたいと思うことあるかい?

羽生 そ、それはないですね。

中原 あ、そう。僕はあるんだよ、時々。

羽生 え、そうですかァ。

中原 今日は後手の方がいいな、という日がありますね。

田中 へェ、そうですか。

中原 今日は先手番しんどいな、相手についてって指したいな、と思う。つまり、しょっちゅう先手番は辛いなという気持ちですね。

田中 まあ、これだけの人になると我々と感覚も大分違うわけでして(笑)。

田中 若い人はつらいという所までいかないでしょ。

羽生 まだ面白い段階ですね。

田中 先手番だと攻められる心配ないしね。

羽生 そうなんですね。先攻される怖さがあるので神経使うんですよ。

田中 この間の棋聖戦(中原-屋敷)みていると見事な将棋でしたね。どこからでも来いという構えで、横綱相撲みたいな。それから名人戦で中原さんの5六飛は昔だったら田舎に帰されますよ。原始中飛車よりひどい。歩越しの飛車なんだから(笑)。

中原 いや別に大した手じゃないんです。番数がいけば出てきた手です。それを最初にやったというだけでして。

田中 今のところ誰も真似しないようですね。

中原 まあ、大した手じゃないから。

田中 ところで今日は研究が進んでいますが、これも先手有利の原因ではないかと。

中原 研究が、早いですね。昔は山田先生くらいであとはあんまりやってないですよ。ほとんど誰もやってないです。コピーしかないからね。ファックスもないし情報が遅いから。

羽生 そういう環境は今いいですね。

中原 コンピュータに入れている人もいるというからね。どんどん活用していけばね。だから一人だけやらないと置いていかれる焦りもあるんじゃないかな。

羽生 ええ。一人だけやらないと怖いですからね。焦りはあるんでしょうね。

田中 昔は、研究会やる人やらない人、連盟に来る人来ない人が決まっていましたよね。今はその面は変わってきましたね。

羽生 研究会といっても個人のあれですから。ええ、すぐに全部伝わるというわけでもない。ある形だけを徹底的にやるのが好きという人はいますけど。中川さんみたいに横歩取りだけやるとか、対振り飛車ならこれとか。スペシャリストがいるんです。

中原 僕んとこは今中断。一門でただ指すだけですから。

羽生 僕も実戦の研究会です。公式戦では怖いのを指してみるとか、実戦不足を補うとか。

中原 公式戦とは違うからね。

羽生 ある意味では気軽にできますから。

田中 もしも、これ以上先手の勝率が高くなるなら、ハンデも考えなくてはなりませんがその必要はありますか。

中原 しばらくはないでしょう。ただ、勝率六割になったら大問題です。これは。

羽生 ええ、大問題ですよ。

田中 いやタイトル戦でも大問題なんです。頂点を決めるわけですから。ほとんどのファンはタイトル戦を見ているわけだし。

羽生 今までは先手番がどうの後手番どうのなんて、考えなかったですからね。

中原 うーん。順位戦とかリーグ戦とか、もっとデータを集めて調べてみる必要があるね。

田中 こういうハイテク時代ですから、なおさらのこと、問題にして、考えるべきなんです。

中原 昔は名人が後手を持ったね。

田中 あー、歴史的背景があったんだ。

中原 勝ち抜き戦でも後手でしたよ。下位者先手というルールで。だから、ハンデがあったんですよ。

本誌 タイトル戦の最終局振り駒もここ25年くらいの歴史でしょう。昔は最初の振り駒で全部通してましたよ。

田中 そのハンデなくしたからこういうことになったと。でもタイトル戦は関係ないか。今はタイトル戦やると先手勝ちとなって面白くないですよ。

羽生 どっちが勝つか難しいいから面白いんですからね。テニスのサーブ権と同じという声もあるし。

田中 ブレイク(テニスで後手が勝つこと)するかどうかになってきている。(笑)

本誌 序盤からよくしようという意欲の強いひとかもしれませんね。

羽生 大山先生は関係ないみたいですね。

田中 受けるのが好きな将棋ですから。あの、ハンデのつけ方ですが、千日手や持将棋の時に後手に有利にするというのは。

羽生 それはちょっと…。

中原 それは将棋が悪く変わるのでよくないよ。以前に持将棋で駒数のひとつでも多い方が勝ちという意見が出たんだ。ところが僕が反対した。僕は持将棋好きなんだけどね(笑)。それやっちゃうと、将棋の質が変わる。アマ大会では時間の関係で採ってるようだけどね。

田中 ええ、ではひと通りご意見が出ましたが、今年のタイトル戦はやや異常で、もう少し調べる必要があると。来年また調べてみてあまり差があるようなら、お二人は後手番になってもらう(笑)ということで、一応締めたいと思います。今日はおふた方ありがとうございます。

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田中寅彦八段(当時)が兄弟子の中原誠十六世名人を「この間の棋聖戦(中原-屋敷)みていると見事な将棋でしたね。どこからでも来いという構えで、横綱相撲みたいな」と持ち上げておきながら、「それから名人戦で中原さんの5六飛は昔だったら田舎に帰されますよ。原始中飛車よりひどい。歩越しの飛車なんだから(笑)」と大胆な発言。

中原誠名人は「いや別に大した手じゃないんです。番数がいけば出てきた手です。それを最初にやったというだけでして」と、”▲5六飛はいい手だけれども、自分が指さなくともいつかは誰かが見つけていた手だから”だという意味で話す。

しかし、田中八段は、「今のところ誰も真似しないようですね」と、暗に、いつになったって誰も見つけないし誰も指さないような手だと追い打ちをかける。

そして、中原名人の「まあ、大した手じゃないから」。

この二度目の「大した手じゃないから」は、一度目とは違って▲5六飛自体に向けられた自虐的なニュアンスとなっている。

なにか、とても可笑しい。

中原5六飛

中原十六世名人のこの▲5六飛(1図)が初めて指された名人戦第3局の観戦記を羽生善治竜王(当時)が将棋マガジンに書いている。

羽生善治竜王(当時)の観戦記(前編)

羽生善治竜王(当時)の観戦記(中編)

羽生善治竜王(当時)の観戦記(後編)

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持将棋で駒数のひとつでも多い方が勝ち、というルールになったらどうなるのだろうか。

お互いが入玉して、駒数が拮抗していたりすると、いつまで経っても勝負がつかないということもあるかもしれないし、駒数が3~4枚違っているような時は、早々と勝負を投げてしまうかもしれない。

どのように将棋の質が変わるのかはわからないが、持将棋に引き分けという緩衝地帯を設けたのは、古人の知恵と言うことができるのだろう。