近代将棋1990年11月号、谷川浩司王位(当時)の「復活への道」より。
塚田編集長から原稿依頼があったのは、8月下旬のことだった。
王位戦七番勝負を戦いながらも、王座戦の挑戦者になり、竜王戦でも決勝三番勝負に進み、ようやく復調の目処がついた頃である。
技術的なものではなく随筆で、ということなので、今期前半を日を追って振り返ってみたいと思う。
4月11日 名人戦第1局前日
新幹線で京都入りする。
3月16日に名人挑戦者が決まって以来、中原棋聖の平成元年度の将棋を徹底的に調べた。
後手番での相掛かり対策は万全。先手番での、飛先不突矢倉に対する中原流に不安が残るが、角換わり腰掛銀という切り札も残している―。
今だから書いてしまうが、うまくゆけば四連勝も、と甘いことも考えていた。
4月15日 第1局翌々日
六甲アイランドマンションの内覧。
1分将棋まで頑張ったのだが、惜敗。局面が研究通りに進んでいただけに残念である。
33畳のリビングは流石に広く、13階なので眺めも良い。友達を20人ぐらい呼んでパーティーができそうである。
先崎君が書いていた諺によれば、とりあえず、一ヵ月幸福になりたいと思う。
4LDKのマンションは、一人で住むのにはやはり広すぎる。
そういえば、マンションの話をしていたらある女性に、「一人で住むんですか」と明るく言われて、がっかりしたことがあったような気もする。
4月28日 第2局翌日
島前竜王の結婚式のため、東京へ。
難しい将棋だったが、中原棋聖に大きな見落としがあり、辛勝した。
スピーチは、原稿を完璧に作っていたこともあり。予想通りにうけた。ただ、こんなことに情熱を燃やしていても仕方がないが。
二次会も、女性が多く華やかだった。
島君に、某局のアナウンサーを紹介して頂く。彼に頼まれたこともあり、タクシーでお送りしようとするも、丁寧に断られ、皆にひんしゅくを買ってしまう。
この日は恐ろしいことに五次会まであり、ホテルにもどったのは午前7時。たったの二時間で三万円は、さすがの私も高いと思った。
4月30日 第2局3日後
親戚15名が集まって兄夫婦の送別会。
オランダへ5年の予定で駐在。出発が5月18日である。
技術系なので転勤はない、と思っていただけに、当初は驚きだった。
将棋は、今後は普及に努めるとか。アムステルダムとフランクフルトは近いかな。
5月3日 第3局5日前
大阪での谷山浩子さんのコンサートを聴きに行く。
素敵な歌の合間に、彼女のトーク。
「実は今日、将棋の谷川名人が来ておられます。衛星放送で見てすっかりファンになってしまいました。どうも私は、仲間から変形面喰いと言われていまして―」
言ってしまってから慌てて訂正していたがもう遅い。当然、終了後は楽屋に抗議に行きました。
(つづく)
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この頃の近代将棋では、月替りで棋士が編集長を務める企画となっており、この号の編集長は塚田泰明八段(当時)。
谷川浩司王位(当時)の読み切り大型エッセイが実現することとなった。
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名人戦第2局で、「中原棋聖に大きな見落としがあり」と書かれているが、この時の中原誠棋聖(当時)の大ポカこそが有名な△2五桂打(1図)。
▲同飛と取られるのをウッカリしたと言われている。
4月28日の島朗前竜王(当時)の結婚式は、式は世田谷区の上野毛教会で、披露宴は白金台の都ホテルで行われている。
谷川浩司名人(当時)は、神戸→愛知県蒲郡市(名人戦第2局)→東京駅→赤坂プリンスホテルへチェックイン(谷川九段の東京での定宿)→上野毛教会→都ホテル→二次会→三次会→四次会→五次会→赤坂プリンスホテルに午前7時に到着、というスケジュール。
ホテルへチェックインして休む間もなく、結婚式へ向かわなければならない状況。
今でこそ都ホテル(現在のシェラトン都ホテル東京)のある白金台は賑やかになっているが、当時は都心の僻地だったので、少なくとも三次会以降は白金台に近い六本木で行われたものと思われる。
そして、午前7時にホテルに戻って午前9時にチェックアウトしたとして、ホテル滞在2時間で宿泊費が3万円。
たしかにコストパフォーマンス的には悪いが、対局に勝った後なので、リアルタイムではあまり気にならなかったかもしれない。
島朗九段の結婚式の模様は、将棋世界に書かれている。
将棋世界1990年7月号、青島たつひこさんの「駒ゴマスクランブル」より。
「いいなあ」
全独身男性棋士の目が、いや、会場の全男性の目が、嫉妬の火で燃えた目。そう、島朗前竜王と薫さんの結婚式のあった 日である。
式は世田谷の上野毛教会にて、披露宴は港区の都ホテルにて。披露宴の出席者が約200人。にぎやかだったが、それでいてきちんとした雰囲気の、とても気持ちのいい披露宴だった。こういうのは、やはり主役お二人の人柄が反映されるのだろう。
祝辞の中では、谷川名人の祝辞がえらく受けていた。話がまとまっていて、適度なジョークがまじり、自然、悔しさもにじんでいて…。ただし、ご本人はこれ以上祝辞がうまくなりたいとは思っていないようである。
披露宴は薫さんばかりでなく、薫さんのお友達の美人女性もたくさんいらしていた。二次会、三次会…。将棋連盟の独身貴族との接点はかなりあったはずだが、その後まだ、第二の島が出現したという話は聞いていない。
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この年のはじめに、谷川浩司名人と谷山浩子さんの対談が行われている。