郷田真隆王将の2000年の著書「実戦の振飛車破り」より。
伊藤能四段はユーモアのある、とても楽しい先輩だ。
私の兄弟子である田畑良太さん(指導棋士四段)と親友で、私が伊藤さんの弟弟子である先崎学四段と親友という関係もあって、何度か一緒に飲みに行ったこともある。伊藤さんは居飛車党の本格的な将棋で、矢倉や相掛かりを得意にしている。奨励会の三段リーグで何度か指していたこともあり、棋風はお互いに分かっていた。
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将棋世界1984年4月号、銀遊子さん(片山良三さん)の「関東奨励会だより」より。
桂文珍+滝廉太郎÷2という顔で、みんなに人気がある田畑三段(顔が好かれているわけではなく、将棋以外のゲームがケタ外れに弱いからというのがその理由らしいが)が、唯一勝てるはずの将棋さえ勝てなくなった。彼でも真剣に悩むらしい。その結果達した結論は「心、技、体、どれをとっても万全。流れが悪いだけである」となったそうだ。違うような気もするが……。
そうして、「これしかない!」とやってのけたのが、対局の3日前から全く睡眠を取らない、というなんだかわけがわからない奇策である。これで流れが変わるはず、と信じてやっているのだから、他人がとやかく言うべきではないのだろうが、どうしてそういう結論になってしまうのかは凡人にはわかりかねるところである。
1局目を達三段に勝ち奇策の成果はあがったかに見えたが、2局目は羽生に簡単に寄せられて「大成功」には至らなかったのは、冷静に考えれば当然であろう。
人間、苦しくなると何を考えるかわからない、という見本を見たような気がする。1勝7敗と、さらにピンチに立った田畑君。次にどんな奇策を立ててくるのか興味深い。
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将棋世界1984年5月号、銀遊子さん(片山良三さん)の「関東奨励会だより」より。
昨年の夏、折悪しく将棋会館のクーラーが故障した日に奨励会の例会が行われたことがあった。ただでさえ暑いのに、部屋が広いとは言え100人に近い人間が、文字通り湯気を出しながら将棋を指したのである。室温はゆうに40度を超えていたはずだ。
その時、悠然と熱い茶をすすり、春物のブレザーを脱ごうともせずまるで「いい湯だな」とでも言いたげな顔で、しっかりと将棋に没入していたのが鈴木桂一郎であった。「そんなに暑いっしゅか」と言いつつ、楽に3連勝してしまったので、暑さのためにまるで将棋にならなかった伊藤能二段に、「おまえがクーラーをこわしたんだろう」と、恐怖の四の字固めをかけられたのは記すまでもない。
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将棋世界1984年7月号、銀遊子さん(片山良三さん)の「関東奨励会だより」より。
田畑三段と荒井初段が降級のピンチに立たされていたのは、先月号「ドツボの一戦」でお伝えした通りだが、二人とも今月は3勝1敗と巻き返して、きれいな体に戻ることができた。全国の田畑ファン、荒井ファンの皆様、御安心を。
原因不明のスランプが長く続いて、師匠筋の某八段から「落ちたら破門だからな!」という心あたたまる言葉をいただいて、プレッシャーにふるえる日々を送っていた田畑三段も、これでやっと人並みの生活に戻れると、おなじみの文珍スマイルを見せた。今回は思いっ切り開き直って、奨励会の前日に四角いジャングルの上で4人で戦って来たのが勝因だとか。なるほど、一緒に付き合ってあげたという、Tち、Tとく、Nたの4人が4人ともが次の日の奨励会では2連勝している。こんなこともあるから、あの中国系のゲームはなかなかやめられないものらしい。
どちらかというとズッコケ系で出ることの方が多いが、田畑は毎回のように当欄をにぎわすスターである。若くして三段に上がったように、もちろん将棋は強い。強いんだけどもう一つ勝ち込めないのはどうしてだろうか。私が思うには性格が良すぎるからではないかという気がするのだ。
「四の字固めのI藤」と言えばおわかりだろう。そのI藤は、将棋に負けると誰彼となくつかまえて四の字固めというプロレス技をかけて将棋のウサを晴らす奇癖を持っているのだが、ある日、田畑をみつけて「タバタァ、ちょっと四の字固めかけさせろよ」と声をかけたところまではよくある話。しかしそこで田畑は何と言ったか?なんと、「あ、ちょっと待って。上着脱ぐから」と言いつつ、ブレザーをたたんで横に置き、ゴロンと横になって「いいよ」という行動に出たのである。これには驚いたというか、あきれたとかを通り越してただただ笑った。その数秒後、田畑の「イテーッ、イテーッ」という悲鳴と、観衆の「ギャハハハ」という笑い声が、会館内に大きくコダマしたのは言うまでもない。これが有名な「タバタ上着を脱いでドウゾ事件」である。本当に田畑君は憎めない善人なのだ。
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最後の「タバタ上着を脱いでドウゾ事件」は、5年前にも取り上げているが、今日はそのフルバージョン。
師匠筋の某八段とは、大友門下の森雞二九段。
Tとくは、高徳昌毅二段、Nたは16歳の中田功二段。Tちだけが誰なのか判明しない。
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将棋会館の4階は襖を取り外せば非常に広い畳の大広間となるので、寝技を中心としたプロレスの技をかけるのには絶好の場所と言えるだろう。
四の字固めは、1960年代前半にNWA世界ヘビー級王座だったバディ・ロジャースが開発した技とされているが、四の字固めを最も有名にしたのはザ・デストロイヤー。
四の字固めはかけられると非常に痛いが、裏返しになると、技をかけている人のほうが痛くなるという性質を持っている。
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田畑良太三段(現在は指導棋士六段)の、対局の3日前から全く睡眠を取らないという奇策。
2011年の記事「新宿のナポレオン」で、田畑さんがほとんど眠らないということをスカ太郎さんが書いている。
そういう意味でも、田畑三段の眠らないという奇策は、田畑さんの体質に合った妙策だったと考えることもできる。
1戦目に勝って2戦目の相手が羽生善治初段(当時)。
2戦目が羽生初段でなければ勝てていた可能性もあったかもしれない。