羽生善治名人のお母様「片山さん。善治のことを一番最初に褒めていただいたお礼を改めて申し上げます」

将棋世界1984年3月号、銀遊子さん(片山良三さん)の「関東奨励会報告」より。

 羽生善治(はぶ・ぜんじ)は1年1ヵ月の猛スピードで6級から初段までを突っ走った。55勝22敗、勝率0.714というハイアベレージである。9月で14歳になるが、それまでに三段にはなっているだろうというのが大方の見方。14歳四段は確実のようだ。

1図は入段後の初対局、対富岡三段の香落ち戦の終盤。

羽生奨励会1

 子供らしくない、ブ厚い将棋だという評判を聞いたが、1図から▲6五香打△6二金上▲3六歩と進めたことでなるほどと思った。以下も△9五歩▲4七竜△9六歩▲6三香成△同金直▲同香成△同玉▲5五桂△7二玉▲4二竜(2図)まで、危な気無い寄せで”大器”ぶりを見せつけた。秒読みにも全くあわてることのない落ち着いた対局態度といい、ケチのつけようのない超大物の出現である。

羽生奨励会2

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将棋世界1984年3月号から、奨励会に関する記事が充実されることとなり、関東は銀遊子さん(片山良三さん)、関西は神吉宏充四段(当時)が執筆を担当した。

今日の記事は、その第1回目の記事からの抜粋。

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羽生善治(はぶ・ぜんじ)と書かれているように、この当時は羽生善治初段(当時)は「ハブゼン」と呼ばれていたので「よしはる」という名前がほとんど一般的にはなっていなかったものと思われる。

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銀遊子さん(片山良三さん)から昨年の11月に、このブログへ次のようなコメントをいただいている。

 片山良三です。連日の拙文のご紹介、ありがとうございます。
 これが競馬の予想記事なら特大の配当はもちろん、部長賞ぐらいはいただけそうですね。原稿も遠慮がなくて元気がいい、なんて自分の文章にそういう感情を抱くようになったのは、年齢を十分過ぎるほど重ねたせいでしょうね。
 ひとつ思い出しました。羽生さんが7冠を独占したときだったと思いますが、たしか「Number」かなにかの企画で、八王子のご自宅に取材に伺ったときのことです。玄関先まで応対に出て来られた羽生さんのお母様が「片山さん。善治のことを一番最初に褒めていただいたお礼を改めて申し上げます」と、先に頭を下げてこられ、恐縮至極でした。
 私の「関東奨励会レポート」の数少ない読者のなかに、親御さんという大事な人たちもいたということをそのときに思い知ったというお粗末。若さを武器に遠慮なく書き飛ばしていたわけですが、逆に傷つけてしまったこともきっとあったのではないかと気づかされました。どれもこれも、懐かしいことばかりです。

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本当に素晴らしいお母様だ。

前年の将棋世界7月号で、奨励会幹事の滝誠一郎六段(当時)が羽生善治3級(当時)の棋譜を紹介しているが、羽生奨励会員のことが折に触れ取り上げられるようになったのは銀遊子さんの「関東奨励会報告」(4月号から「関東奨励会だより」、1987年1月号から「関東奨励会レポート」と改名)が歴史的には初めて。

羽生名人のお母様が「善治のことを一番最初に褒めていただいた」と言っているのは、今日取り上げている記事についてのみならず、羽生奨励会員が四段になるまでの間に「関東奨励会だより」に片山さんが書かれたこと全てを指しているのだと思う。

「関東奨励会だより」で書かれた羽生奨励会員の記事はこれからも紹介していきたい。

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片山良三さんは、2013年1月に行われた第25期竜王就位式で、渡辺明竜王(当時)に祝辞を述べられている。

第25期竜王就位式2(竜王戦中継plus)