船で行く3泊4日「大山十五世名人と将棋の旅」

将棋世界1983年4月号、「第3回名将戦まつり 洋上に駒音響く」より。

”アマプロ交歓””動く将棋大会””将棋ファンの親睦”の意味を持つ、第3回名将戦まつり「大山十五世名人と将棋の旅」が、2月10日から13日まで3泊4日の日程で行われた。

 近年この「将棋の旅」が盛んになって、毎年定期的に催されるのがいくつかある。名将戦まつりもその一つで、大山名人以下専門棋士と一緒に旅行して、存分に将棋を楽しむのは将棋ファンにとって嬉しい企画である。

 今回の名将戦まつりは関東班と関西・四国班と分け、関東班の場合東京港からカーフェリーで出港。途中徳島で関西・四国班と合流。九州の小倉に入港して、北九州を観光。長崎から飛行機で帰途につく予定。船中で2泊、ホテルで1泊する。

 参加者は約150名、そのうち関東から出発する80数名が、2月10日の午後3時半に千駄ヶ谷の将棋会館に集まった。

 何人かのグループで参加した人、単独で参加した人など様々である。以前の将棋の旅で顔見知りになった人が、あいさつをしている光景も見られる。50歳以上の年配の方も多く平均年齢は高いが、どの人も小学校の遠足の時のように浮き浮きしているのが印象的。

東京港から出発

 午後6時に東京港から7,700トンのカーフェリー”第11伊豆”で出発。いよいよ将棋の旅の始まりである。

 船旅と将棋をドッキングさせたのは、なかなかグッドアイデアと言える。長い船旅を将棋を指すことによって退屈しないですむ。しかも船内の広いスペースを利用して、陸と変わりなく将棋大会などを開くことができるわけだ。

 7時から開会式。参加棋士が一人一人紹介され、盛大な拍手を受ける。大山康晴十五世名人、荒巻三之八段、佐瀬勇次八段、石田和雄八段、前田祐司六段、宮田利男五段、奨励会の中田功1級、それと徳島で合流する有吉道夫九段が今回のメンバー。

 開会式の後、大山名人が現在挑戦している棋王戦第1局、対米長棋王戦を大盤で解説。この将棋は前日の9日に行われたもので、惜しくも大山名人の敗局。”負けはしたが、面白い将棋が指せた”という話に、みな熱心に耳を傾けていた。

 開会式、大盤解説をした所が、50坪あまりの広さのある船席で、将棋盤を常時置いて対局場となっている。夜中でも開放してあり、何時までも好きなだけ将棋が指せるわけである。

洋上の将棋大会

 二日目朝、船は紀伊半島付近を航行中。

”ゆうべは◯時まで将棋を指しました””私は□時です”というのがあいさつ代わり。昨晩少々船は揺れたが、幸い船酔いしている人はいないようだ(二日酔いは少々いる)。

 午前9時から、アマ名将戦トーナメント、一般将棋大会、専門棋士の指導対局といった催しが開始。

 アマ名将戦は、関東は32名のトーナメント戦。ここで勝ち残った人は、徳島で合流する関西・四国班のトーナメントで勝ち残った人と決勝戦を行い、アマ名将を決定する。

 一般将棋大会は、将棋道場のような手合いカードによる対戦。何局という制限はなく、一局の将棋が終わると新しい手合いをつけ、好きなだけ指しまくってもらう。その合間に希望者は専門棋士の指導が受けられる。

 指導対局は三面指しで、4、5人の棋士が並んでお相手をする。角落ちで勝利をあげた強豪もいたが、大体飛落ちから二枚落ちの手合い。大分、上手の勝率が良かったようだ。中田1級も指導対局で奮戦している。奨励会の連中は駒落ちでもとにかく下手を負かそうと指してくるので厳しい。中田君は今回の旅行の指導対局で1局しか負けなかったと話していた。

 これらの催しが進行するうちに、午後1時徳島港に到着。関西・四国班を拍手で迎える。すぐに将棋大会に加わり、船内は一層にぎやかになる。

 これより船は瀬戸内海を通って行くのだが、周りの景色が眼に入らないかのように熱心に将棋を指している人が多かった。

 関西・四国班のアマ名将トーナメント戦は16名。アマ名将戦に参加するのは腕自慢が多い。関東の方では元アマ名人の南川義一さん、関西では元朝日アマ名人の大田学さんの名が見える。

 アマ名将戦で勝ち残ったのは、関東は決勝で南川さんを破った、沼津の会社員、藤井祐輔さん。関西は徳島の強豪、石川哲也さん。アマ名将を賭けた一戦はこの二人で争われた。 

 先手藤井さんの四間飛車に後手石川さんが居飛車左美濃戦法。藤井さんの仕掛けがやや早かったようで、石川さんが鋭く反撃。熱戦の末、ちょうど100手で石川さんの勝ち。

 石川さんはアマ名人戦の徳島県代表に6回もなったことのある強豪。57歳で六段、徳島新聞社で観戦記者をしている方である。

 熱戦の後を物語るように紅潮した顔の石川さんは、優勝トロフィの他に大山名人書、香月作の盛り上げ駒を大山名人から手渡されて大喜び。回りにいた人が、駒を見て”変わった書体ですね”と言うと”私が書いたんですよ”と大山名人。思わず周囲から笑いが起こった。

 時間の関係で、この決勝戦に先立って、賞品授与式が行われていた。アマ名将戦で上位入賞した人。一般将棋大会では、対局数の多い人、勝ち星の多い人が表彰された。対局数では15局指した、沢田茂さんが最高。まずもってよく指したものだと、みな感心。

 後は抽選で賞品が全員に進呈された。棋書、将棋盤、色紙などを組み合わせたものだが、なかには定価18万円の名人戦全集が当たった人がいた。

雲仙温泉に泊まる

 12日朝6時半に小倉港に到着。1日半過ごしたカーフェリーに別れを告げた。おりから寒波が襲来していて”寒いなあ”というのが九州到着の第一印象。ただちに観光バス4台に分乗して出発。これからは北九州の観光が中心となる。

 博多で将棋盤店を見学し、大宰府を参拝と駆け足で回る。佐賀では昼食に有明海で取れる、ムツゴロウの料理を食べた。有明海沿いにバスは走り、雲仙へと向かう。夕方、白い湯煙が立つ雲仙温泉に到着。今夜の宿泊場所「ホテル東洋館」に入った。

 ホテル東洋館では、すでに板谷進八段対森信雄四段の名将戦が始まっている。これは名将戦まつりの企画の一つで、専門棋士の対局の様子を観てもらおうというもの。

 棋士が指すところを間近に観て、その真剣な表情に感嘆した様子だ。この将棋の模様は自由対局場に開放してある大広間に伝えられ石田八段、有吉九段が大盤で解説。

 7時からは、地元長崎支部の人などを交えて、立食パーティーの始まり。もうこの頃になると、みな打ち解けて、にぎやかに談笑している。パーティーもたけなわになると、様々な余興が飛び出して盛り上がった雰囲気。

 名将戦は難解な将棋であったが、板谷八段が攻め切ることができ、勝利をあげた。両対局者もパーティーに顔を出してあいさつし、盛大な拍手を浴びた。

 今夜が最後の旅の晩となると、指しおさめとばかりに、自由対局室に夜遅くまで駒の音が響いていた。

長崎空港から別れを告げる

 雲仙温泉は標高700メートルの高さにある。最終日の朝、今年一番の寒さに見舞われたこともあって、出発時にバスが1台ブレーキが凍って動かないというハプニングがあった。

 最終日は長崎市内を見学、長い坂を上がってグラバー邸に立ち寄る。そして西彼杵半島を通り、大村湾と佐世保湾を結ぶ針尾の瀬戸にかけられた西海橋を渡った。ここのうず潮は鳴門のうず潮と並んで有名だそうである。焼きものの町、有田に立ち寄り、大村湾をぐるりと回って長崎空港へと向かう。

 旅の終わりは妙にもの悲しいが、それをかき消すようにバスの中ではマイクを回して、歌謡大会が始まった。年配の方が多いせいか、浪曲なども聞かれる。ガマの油売りの口上をやった人がいて、やんやの喝采を浴びた。昨日から同行しているバスのガイドさんも、芸達者ぶりに感心した様子。

 歌を楽しんでいるうちに、名残惜しくも、大村湾に浮かぶ海上空港長崎空港に到着。

 各所で買った土産をいっぱい抱えて、午後6時半の飛行機で一路羽田へと帰路についた。

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名将戦は週刊文春に掲載されていた文藝春秋主催の棋戦。

船の中なので将棋三昧。

誰も家に帰らずに船の中に居続けるのだから、非日常の空間だ。

バスの中の光景などは、いかにも昭和の頃の風情だが、2015年、このような船の旅をやったらどうなるのか考えてみた。

  • トークショー
  • 講演
  • 席上対局+次の一手名人戦
  • 公開公式戦
  • サイン会
  • 将棋大会
  • 指導対局
  • 自由対局
  • 将棋横断ウルトラクイズ、将棋カルトQ
  • 洋上SHOGI-BAR
  • みろく庵出張酒場
  • レストラン イレブン試食会
  • バトルロイヤル風間さんの似顔絵コーナー

女性の将棋ファン、観る将棋ファンをメインターゲットとした形。

ゆっくり楽しむにはやはり船上に2泊はしたいので3泊4日コース、あるいは船上だけの2泊3日コールとなるのだろう。

営業的に成立するかどうかのシミュレーションは難しいが、今の時代、このような船の旅があっても面白いと思う。